下
ザァザァと窓に打ち付けられる雨をぼんやりと眺める。
今朝から降り続ける雨は一向に止む気配を見せず、多くの店が閉まり通りには誰も歩いていない。
……フェルデは今、何してるのだろう? この雨の中、まだ栞を探していたりして。
「(って、ないない。こんな大雨の中、探し物をするとかありえないから)」
ぶんぶんと頭を振り、ポケットから栞を取り出す。
窓に透かしてみると、暗い雲を写しているというのにサクラソウは今日も綺麗だ。
なんの変哲も無い風景も、この栞を透かして見ると綺麗に見えてくる。なんて言って、昔フェルデに変な顔されたっけ。
「アリシア、それなあに?」
遊びの輪から出てきたテッドが不思議そうに私の手元を指差す。
「これはね、栞っていうの。本を読む時、どこまで読んだか目印をつけるものよ」
「ぼく、しおりって紙しかみたことなかった。いいなーほしいなー!」
「あっ…これは……」
「こら、だめよテッド」
伸ばされたテッドの手を、いつの間にかいたヘレンが優しく包み込むように握った。
「シスター、ぼくあれがほしい!」
「だーめ。あれはアリシアのとても大切な物なの。盗ってしまってはアリシアが悲しむでしょう」
テッドを宥めてから向けられたヘレンの視線にハッとして肩の力が抜ける。
無意識に力が入っていたようで、栞を握っていた手がジンジンと痛む。なにせ鉄製だ。
しかし、その無意識の反応に頭がついていけてない。
確かにこの栞は大切だと思う。だけどこんな……無くなるのがこんなに恐い、だなんて。
それはこの栞を気に入ってるから? それとも……
「とても大切な人から貰った物なのね」
「……!」
「あら、なにをそんなビックリした顔をしているの。貴女の表情を見れば分かるわよ。その栞を見ている時、とっても優しい顔をしているもの」
ヘレンの言葉にカッと顔が熱くなる。そして、想いが込み上げてきて施設から外に飛び出した。
本当は親友だと思っていた。けれど、フェルデは実力があり地位も高く皆から慕われていて。親友だと思っているのは私だけだと思っていた。5年も経てば忘れられてしまうと思っていた。
けれど、もしフェルデも同じ様に思ってくれていたとしたら? 私の事を忘れていないからこの栞を持っていたとしたら?
会いたい。今すぐ、フェルデに会いたい……!
容赦なく打ちつける雨で全身ずぶ濡れ、おまけにぬかるんだ所に足をとられて派手に転んだ。それでも、走り続けた。
走って走って、ようやく路地裏に辿り着いた時には胸が苦しいほど息がきれていた。
路地裏にはフェルデがいた。どのくらいいたのだろうか、フェルデの体もずぶ濡れだ。
「フェルデ……」
口から出た声は自分でも驚くほど小さく震えていた。
雨の音にかき消されたのではないかと思ったが、彼の耳には届いていたらしくのそりと顔を上げる。
「子ども……あの時の……?」
何の感情もない青の瞳にぶるりと体が震える。
不安で押し潰されそうになりながらも、すぅと一呼吸置いて、重い足を一歩踏み出す。
「なに、してるのよ。ずぶ濡れじゃない、風邪ひくでしょ」
「なに……?」
急に子どもに気安く話しかけられ、フェルデの顔が不機嫌そうに歪む。
だが、気にせず一歩、また一歩と近づいていく。
「それだけ探して見つからないなら普通諦めるでしょ。懲りずに毎日毎日探して……バカじゃないの」
「なんだと……っ! おまえに、何がわかる……っ!」
立ち止まって見上げると、大人でさえもひきつけを起こしそうな程憤怒の表情を見せるフェルデと目が合った。
栞を取り出して透かすと、眼力で人を殺せるのではないかという程ギラギラとした青の瞳がサクラソウを彩る。
ああ、そうだ。私が知るフェルデは、表情は乏しいものの瞳を見れば喜怒哀楽がすぐにわかった。今世で見かけた様な、死んだ様な瞳などしていなかった。
ようやく私の知る彼が見れて笑うと、フェルデの瞳の色が憤怒から驚愕に変わっていった。
「まさか……レ、ティア……?」
「驚いた? フェルデがあんまりにも必死だからさ、つい来…」
言い終える前に、フェルデから勢いよく抱き締められた。
その力は凄まじく、このまま圧死するのではないかと心配になってくる。だが、その力強さが今はとても嬉しくて、堪えていた涙がポロリと溢れる。
「レティア……レティア、レティア……!」
「ごめん。こんなに喜んでくれるなら、もっと早く会いに行けばよかったね」
「っ、大馬鹿が! 俺が今まで……どんな想いでいたと思ってるんだ!」
肩に雨とは違う熱い雫が染み渡るのを感じて、見た目は大き過ぎるが震えて小さく感じる背中をゆっくりさする。
大の大人が5歳の少女に縋り付く様に抱いている光景は、側から見たらさぞ可笑しいだろう。
けれど、土砂降りの雨の中、2人っきりの今はそんな事どうでもよかった。
「ただいま、フェルデ」
2人でひとしきり泣いた後、ずぶ濡れで帰ったのはフェルデが住んでいるという立派なお屋敷だった。
私達の姿を見るなり執事のマーテルさんが大慌てで風呂やら着替えやらを準備してくれて、私がボーッとしている間にメイドさん達が全てやってくれた。
それから風邪で2日寝込んだ後にフェルデから聞かされたのは、信じられない様な一言だった。
「私が……フェルデの娘になる……⁉︎」
「そうだ。娘ならこの屋敷に住んでも問題ないだろう。孤児院のシスターにも伝えてある」
「ちょっと待って! 私は了承してな……っ」
「レティア」
ぬっと近づいてきたフェルデの精悍な顔に、思わず口が閉じる。
何故だろう。今、フェルデがもの凄く恐い。
「俺はもう二度とお前を離すつもりはない。諦めて俺に囚われろ」
真面目な顔をして娘にとんでもない発言をするフェルデが、そっと優しく、しかし逃がさないと言わんばかりに抱き締めてくる。
……もしかして、親友のイケない扉開いちゃった? なんて思うも時すでに遅し。
私は色々諦めて親友、改め新たな父親の抱擁を受け入れるのであった。




