最終話ーーノランと私
その夜、夕食の準備ができると私はノランとリカルドをランプ片手に呼びに行った。
時折冷たい秋の風が強く吹き体温を奪うので、二の腕を摩りながら歩く。
馬小屋にも、牛舎にも二人はいなかった。我が家の可愛い家畜たちが平和に飼葉を食んでいるだけだ。
探し回ってもなかなか見つからず、こういう時に彼らがいる場所は、やはり納屋の地下だった。
ノランとリカルドは地下の床に座り込んでいた。周辺には蓋を開けられた木箱が散乱している。
「お二人とも、何をされているんですか?」
まさかまだ木箱の中に隠しているものがあったのだろうか?
私が近づくと、ノランは笑った。
「引っ越しの整理をしていたら、こんな物が出てきた。この屋敷を出て行く時に叔父上が置いていった物だ」
隣に行って覗き込むと、たくさんの紙の束が見えた。どれも目が霞みそうな細かい字がビッシリと書き連ねられている。
「全て叔父上が執筆されたものだ。叔父上にこんな趣味があったとは知らなかった」
リカルドは胡座をかいた足の上に紙の束を乗せ、眺めていた。どうやら小説の原稿のようだ。リカルドは朗らかに言った。
「さわりだけ読んでみるつもりだったのが、面白くてやめられなくなりましてね」
「意外と夢中になってしまった」
今度叔父上に感想をお伝えしよう、と二人は盛り上がった。
「お二人とも、ここで読書に没頭すると目が悪くなりますよ?」
それに夕食の時間だからさっさと上に上がるよう頼むと、ノランとリカルドは重たそうな腰をあげて納屋の地下室から出てくれた。よほど続きが気になるのか、リカルドは原稿用紙の束をいくつか、小脇に抱えていた。
納屋から出ると、ノランは私とリカルドに屋敷へ先に帰るよう言った。
「私はこちらを処分してから戻る」
ノランは手に白い紙を携えていた。原稿用紙ではなく、あの手紙だーー第五王子が財政大臣から手渡された手紙だ。
リカルドは丁寧に頭を下げると、一人屋敷に向けて歩き出した。私も後に続いて歩き出し、屋敷に入る所で止まった。
ふと気になって振り返ると、ノランは納屋の外壁に寄りかかり、芝の上に座っていた。こちらからはかなり距離があるので、彼は私が見ていることには気がついていないようだった。
彼の前には、ランプとブリキのバケツらしきものが置かれている。納屋から持ち出してきたのだろう。
納屋に背をもたれ、両膝に腕を乗せ、座り込むノランを、夕日の赤い光が照らす。彼はゆっくりと手紙を広げ、おそらく文面を読み始めていた。
リカルドは屋敷の中に戻ってしまったが、私はその場所から動けなかった。島特有の強い風が吹き、私の髪を弄ぶ。私は片手で髪を押さえながら、立ったままノランをただ見つめていた。
やがてノランはゆっくりと手紙を畳んだ。そしてそれを片手に持ったまま、何度も溜め息をついている様子が分かる。
ついに決心がついたのか、ノランは手の中の手紙を芝の上に置いていたランプに近づけていく。風に吹かれて、ランプの火が揺らぐ。やがて手の動きが止まり、夕闇の中でノランの手の先から小さな火が上がる。
燃え出した手紙を、ノランはバケツの中に放った。バケツの中が俄かに明るくなり、炎はしばらくの間光を放っていたが、じきにそれは明るさを失い灰色の煙となった。微かな煙だけが立ち昇り、夕暮れの薄暗い空気に溶けていく。
燃え尽きたのだ。
ノランは手紙が消失したのを見届けると、バケツを持ち上げ、納屋へ足を向けた。納屋の中にバケツをしまいに行くのだろう。
私は納屋の入り口まで戻り、彼が出て来るのを待った。
中から出てきたノランは、納屋の入り口に私が立っているのを見て目を見開いた。
「屋敷に戻っていなかったのか?」
「気になっちゃって……。それに、風が強かったので、風に吹かれて手紙が飛んでいってしまったら、私が追いかけようと思って」
「見上げた危機管理だ」
「……それに、目が離せなかったんです」
「心配だったか? ……私が燃やせないと?」
「違います。ノラン様をただ見ていたかったんです」
ノランは破顔一笑した。
彼が笑ってくれたので、私は嬉しくなった。
「そもそも夕食に呼びに来たんです。……今夜はオリビアが、シチューにしてくれたの」
寒い日は熱いシチューに限る。想像しただけで、ごくりと生唾を飲み込んでしまう。
私たちは二人で並ぶと、一緒に歩き始めた。
ふと気が付くと、ノランは腰のポケットに丸めた薄い冊子のようなものを突っ込んでいた。彼は私の視線に気づくとそれを広げて見せてくれた。どうやらそれは地図だった。
「新しい領地の――シュヴァン公爵領の場所だ」
地図を受け取ると、私は覗き込んだ。歩きながら片手で持ったランプで照らしつつ見るので、見にくい。暗がりで目を凝らして懸命に見ると、どうやら新しい公爵領は随分広大なようだ。
本当にこれがノランの領地になるんだろうか。お金に細かい貧乏なダール伯爵が、大出世だ。
そもそもダール伯爵こそが、彼の仮の姿だったのかもしれないけれど。
地図が信じられず、その面積に息を飲みながら食い入るようにして見ていると、道端の小石に躓いてよろめく。
すかさず隣からノランの腕が伸ばされ、私を抱きとめた。
「危ない!……貴方は目を離せないな」
そういうと私の手の中から地図を取り上げ、ノランが私の額にキスをした。
冷たい夜空の下で、それは妙に熱っぽくて、くすぐったい。
ノランは私の額をなぞるように唇を滑らせる。
その動きがとてもくすぐったくて、余計に細かな笑いが溢れてくる。
「ノラン様、くすぐったい……!」
恥ずかしいのとくすぐったさが混ざり、私は反射的に首を引っ込めていた。
だがノランは私が逃げるのを許さず、私の背に手を回して更にキスを続ける。その唇が私の頰から唇に向かい、一気に私の全身が熱を帯びる。
笑いは消え失せ、困惑して声も立てられない。
ーーなに、何……?!
それは明らかに今までの彼からのキスとは一線を画していた。
ノランの口付けが、深いものへと変わっていく。それは私がいまだかつて受けたことがないほど、情熱的なものだった。
ノランはゆっくりと私から顔を上げた。
そのいつも以上になんだか鋭い視線に、怯えたように胸がどきんと痛む。
これは何の痛みだろう。感じたことのない痛みに私は困惑した。
それはどこか心地よい痛みだった。
至近距離で私の顔を覗き込んだまま、ノランは低い声で囁いた。
「実は貴方にもう一つ隠し事をしていた」
「な、なんですか……!? ノラン様は隠し事の宝庫ですね」
「貴方が好きでたまらない」
突然の告白に驚愕して私が息を呑んだのと、ノランが再び私にキスをしてきたのはほとんど同時だった。
唇をそっと押し当てるような優しいキスではなく、私の唇をあらゆる角度から味わうみたいな、貪るようなキスに思わず怯んでしまう。
ノランは唇を私から離すと、私を見つめて呟いた。
「実は、ずっと貴方が欲しくてたまらなかった」
ノランの薄い水色の瞳は、見たことがないほど熱を帯びていて、私は嬉しいような照れくさいような、自分でも訳が分からない気持ちでいっぱいになる。
私はその気持ちを隠すように身をひるがえし、屋敷の方へ小走りしながら言ってやった。
「私、それもとっくに知ってましたよ!」
走りながらも夕焼けの空の下で、小さな花々が小道の緑の合間から顔をのぞかせていることに気が付く。
思わず足を止めて小花たちに見惚れる。
この島の自然はいつも違った表情を見せ、飽きない。
顔をあげれば、屋敷の脇に立つ一本の木の、その太い枝から思わずゾッとするほど大きな蛾が飛び去った。かと思えば、次の瞬間には木を駆け下りる愛らしいリスがいる。
後ろから追いついたノランが、私の手を優しく取った。
手を繋いで屋敷までの道を歩くと、その景色はいつもよりもずっと優しい景色になった。
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