五・ロイ登場
パブリックスクールを卒業してから十日が過ぎようとしていた。ニエルの父が本日、仕事場で使う予定の書類をテーブルに置き忘れて出勤したというので、母に届けるように頼まれた。時間があれば自ら行ったものの、コンサートの打ち合わせで手が放せないからと押しつけられた。父は経営者、母はオペラ歌手だ。ガルフィオン伯爵家には従業員がたくさんいても、出不精になったら困るからと、というのが母の言い分だ。家族から使い走りにされるのは、前世でもそうだったので別にかまわないが。
(今日は、確か……あの日だよな)
予定通りならば攻略対象キャラと遭遇する日だ。イリーナが街へ出かけると、パブリックスクールの後輩ロイが、屈強な肉体を持つ暴漢に絡まれているところを目撃してしまう。できることなら回避したい。しかし、必須イベントゆえに誰を攻略しようとも出てくる仕組みだ。
(お、やっぱりいた)
妹に付き合い周回する都度、目にしていたのでロイのことは覚えている。
ニエル・ガルフィオンはユージンとは違い万能キャラではない。ただのモブだ。だからロイを助けるには、自分だけでは厳しいことも自覚している。
(だからってロイを助けるのに、わざわざユージンを呼んで来るのも……ないな)
負傷することは覚悟のうえで助けるしかない。この世界のニエルは弟だが、前世では妹がいたので殴られそうな年下を見過ごすことはできない。
「おい、オッサン。子どもをいじめて楽しいのか?」
「なんだ、テメー!」
追い詰められているロイの前に立ちはだかる。大柄な男は今にも殴りそうだ。ことの発端は知っている。小学生と缶蹴りで遊んでいたロイが、この暴漢の頭に空き缶をぶつけてしまったのだ。怒られて当然と言えば当然だが、少々怒りすぎな気もする。
「俺は今、虫の居所が悪くてイライラしてるんだ。誰でもいい。殴ってやる!」
暴漢は問答無用と言わんばかりに拳を振り上げた。目を閉じて痛みに備えようとしたところ──。
「おっと、暴力はいけない」
「ハア? なんだお前は!?」
「ここで騒げば、大人であるあなたが警備兵に捕まりますよ。私が話を聞きますから、あちらに行きましょう」
殴られそうになったニエルを助けたのは、アイアンズ家の護衛騎士──フランクだった。二十八歳だ。非番らしく私服だが、ブロンドヘアに赤い瞳の男前なのですぐにわかった。
(な……なんでだ!?)
なんと、この場では登場するはずのない攻略対象キャラに遭遇してしまったのだ。ロイをかばったヒロインであるイリーナを、さらに助ける人物が変わってしまった。ゲームだと、たまたま通りかかった暴漢の鬼のように怖い母親が叱るはずが、フランクになってしまった!
「ふん。もうどうでもいいわ! さっさとどっかに行け!」
ばつが悪そうに大きく舌打ちをした暴漢は、すっかり萎えたのかぶつくさ文句を言いながら立ち去った。
尻餅をついていたロイに手を差し伸べると、怯えながらも立ち上がった。
「あ、ありがとう……ございます」
「いや。気にしなくていい。次、ああいうのに絡まれたら、股間を蹴って逃げること。それより、遊ぶなら公園にしな」
「えっ、股間!? あ、ああ、はい」
パブリックスクールに通う生徒に、暴漢の急所を狙えというべきではないのかもしれない。ところが彼は妾の子で、目障りだからと本妻の強い勧めで寄宿舎に入れられたという事情がある。よからぬ連中に目をつけられないとも限らない。いざというときのために自衛の方法を伝授しておいた。
傍で見守っていた子どもたちがロイに駆け寄ってくる。みんな無事で安心した。
「大丈夫ですか? ニエルさん」
「あ、ああ、ハイ。助かりました、フランクさん」
以前から面識はあっても、挨拶程度のやり取りしかしていなかったので、ニエルに転生してから初めて会話をした。ロイにした金蹴りのアドバイスを聞かれてしまったので少々気まずいが、フランクはおくびにも出さずに佇んでいる。
「いえ。間に合ってよかったです」
「え?」
「たまたま歩いていたらお姿が見えたので、声をかけようとしていたんです」
「そうだったんですか」
攻略対象キャラとは、なるべく接点を持つべきではないことは理解している。けれど、今回ばかりは仕方ない。助けてもらった礼を兼ねて後日、アイアンズ家の護衛騎士あてに差し入れすることにした。個人的に礼をするわけではないので恐らく平気だろう。
「あの、ニエルさん。もしこの後、お時間があれば食事でも……」
「あ、ああ、ごめんなさい。父に書類を届ける途中だったんです」
「あ、そうでしたか! それならまた今度!」
(なんでいきなり誘われたんだ!?)
好感度を一切あげていないのにフランクから食事に誘われるとは予想外だった。やはりヒロインが登場していないことで、色々と狂いはじめているんだろうかとニエルは冷や汗を掻く。
(どこにいるんだよ、イリーナ・アルハイン!)
お使いのおかげで回避できたが、やっぱり、極力、攻略対象キャラとは顔を合わせるべきではないと思った。気をつけることにした。
*****
そう思ったのに。そう思ったのに……。
そんな矢先の七月下旬。パブリックスクールの夏休みはまだだというのに、ロイとまたまた鉢合わせしてしまった。たった一回助けようとして失敗しているというのに、だ。どういうわけかロイに懐かれてしまった。さすが難易度一の攻略キャラだ。
たまたま、ニエルの趣味である食べ歩きをしている最中に遭遇してしまった。邪魔されたくないので、適当に会話を切り上げて逃げようとしたところ、今度は逆方向からユージンが現れてしまった。不運すぎた。
悲しいことに、ユージンもロイも男。異性に取り合いされているわけではないので、嬉しくもなんともない。
(どうせなら、女の子に取り合いされたかった!!)
心の中で嘆いても状況は変わらない。ニエルの目の前では、敵意を剥き出しにした二人の男が、睨み合いをしている。勘弁してほしい。
「ニエルは今から、僕と食事に行くんだよ」
「いいや、先に声をかけたのはオレだから、オレと行くのが筋でしょう?」
「婚約者の僕が優先されるべきだ!」
「はあ? オレですって!」
ユージンとロイが、まるで小学生のような言い争いをしている。注目を浴びてしまうし、なにより恥ずかしい。せっかくのお楽しみの時間だというのに、邪魔されたくない。
「ニエル!」
そんなニエルに助け舟を出してくれたのは、よく知る人物だった。
「うちの弟がごめんね。今日は僕とこれから用事があるんだ。ほら、行くよ、ニエル」
「あ、うん。じゃあ、また!」
二歳年上の兄、アルノー・ガルフィオンがニエルの腕を掴んで歩き出す。ニエルより少し背の高い兄は、弟とよく似た金髪の美青年だ。言い争いの中心に弟がいたので心配したのだろう。
「大丈夫?」
「助かった……。兄さんはなんでいるの?」
「父さんのところに寄った帰りだよ」
「そうか……」
「僕はもう行かなきゃならないけど、一人でも平気? 家まで送ろうか?」
「送らなくていいよ。このまま何軒か寄って帰るから」
食べ歩きは断念したもののまだ食欲は満たされていないので、別の方角にある惣菜店をいくつかはしごすることにした。
「わかった。じゃあ、くれぐれも気をつけてね」
「うん。兄さんも」
用事があるというアルノーを見送ってから、また店に向かって足を進めた。
相変わらずイリーナは見つかっていないし、ヒーラーを頼ろうにも守秘義務だと追い返されるばかり。家令が手配した調査員からは、改名しているのではないかと言われる始末だ。さすがに偽名を名乗っている場合は、困難を極めるだろう。それだけはないと信じたい。
少しずつ範囲を広めているというのに、一向に手がかりが掴めないため、ニエル自身も半ば諦めかけていた。




