四・久しぶりの社交界にて
パブリックスクールを卒業してからあっという間に一週間。時間があるなら、たまにはパーティーにでも顔を出しなさいと母親から注意されてしまった。小遣い抜きだと言われてしまえば出ないわけにはいかない。
四月から八月にかけては、社交界シーズンだ。貴族の邸宅やオペラハウス、劇場、公共の集会場などに客を集め、交流を深めつつ情報交換するのだ。もうすぐ倒産しそうな企業や、これから注目を浴びるであろう人物の話題や、どことどこの令息令嬢が婚約したなど豊富だ。多忙な父親に代わり情報収集しなさい、ということなのだろう。
ニエルがパーティーに参加するのは三年振りだ。ひたすら食べていいから一緒に来てほしいと、二歳年上の兄──アルノー・ガルフィオンに連行されたのだ。だから有言実行とばかりに食べまくったところ、訪問した邸宅のお抱えシェフには、いい食べっぷりだと大いに褒められ、出来立ての料理をたくさん振る舞ってくれた。いい思い出だ。
今回は兄がおらず、あまり気が乗らないが仕方がない。小遣いがなければ趣味の食べ歩きに支障を来たしてしまう。クローゼットの中から適当に一着選ぶと、身なりを整えてから出発した。
日が暮れてから公爵家所有のホールに集まったのは、男女百人あまり。その中にはユージンの姿もあった。
けれど、ニエルが真っ先に向かった先は、ユージンのもとではない。ホール後方にある、飲み物や食べ物が用意された飲食コーナーだ。ニエルの目的は、もちろん交流よりも提供される料理。立ちながら口に出来る軽食だが、定番のローストビーフからビーフシチュー、パイ、フルーツタルト、サンドイッチのときもあれば、小籠包に饅頭、青椒肉絲に胡麻団子など、異国の料理が並ぶこともあるため楽しみでもあった。
以前、参加した際も、食べることだけに専念していたので、声をかけられても気にせず空腹を満たしていたところ、いつの間にかいなくなっていた。情報収集としては間違っているが、煩わしい付き合いをしたくないニエルにとってはまさに一石二鳥だ。
「ニエル。君も来てたんだね」
「おー」
料理を物色しているニエルに気づいたユージンが近づいてくる。しかし、呼びかけられたニエルは無視をした──というよりも、出来立ての料理に夢中でそれどころではなかった。そんな二人の様子に眉を顰めたのは侯爵令嬢だ。
「公爵家よりも二つ下の伯爵家次男が、嫡男のユージン様を無視するなんて……程度が知れてるわね」
ニエルの耳にも届くほどの声量だった。嫌味には慣れている。
(……無視したわけじゃないんだけどな)
いちいち相手にするつもりはない。時間が勿体ないので、聞こえない振りをして料理を堪能することにした。
デザートとして運ばれてきたのは、苺の載ったスポンジケーキにプティング、焼き立てのスコーンだ。さらにアイスらしきものを見かけたので傍にいた給仕係に尋ねたところ、ヨーグルトとバナナを使っているとのことだった。
「ヨーグルトバナナアイスまであるとは……!」
以前、ユージンに食べさせたアイスまで運ばれてきたので懐かしさを覚える。体重を気にする令嬢に受けるだろうと、家を訪れた客人に振舞ったところ、気に入ってもらい一時期話題になったことがあった。あのときに店でも出していれば、一儲けできたのでは……、なんて思わなくもないけれど、人に喜ばれて悪い気はしない。
「なあ、ユージン。このアイス、覚えているか?」
容器に盛りつけスプーンを手にしてから、ユージンのもとへと歩み寄る。先ほど悪口を言っていた侯爵令嬢が、「今更なによ」と言わんばかりに、軽蔑した眼差しを向けてきても気にしない。
「やあ、ニエル。楽しんでいるかい?」
ユージンは作り笑いを浮かべたまま、容器を渡そうとしたニエルの肩を抱き寄せた。人前だというのに密着してしまう。
「ユージン……」
わざとだ。侯爵令嬢を黙らせるために、親密だとアピールしているのだ。
「僕たちの関係をご存知ないようだからね」
そう告げると、ユージンを取り囲んでいた人々は気まずそうに視線を逸らす。侯爵令嬢はというと、悔しそうに口元を歪めていた。
「余計恨まれるから、やめてくれないかな!?」
「心配はいらないよ。誰もうちに喧嘩は売らないからね」
「……こわっ」
「なにか言った?」
「出たよ、聞こえないフリ! なんでもないよッ!」
王室からも一目を置かれ、大地主であり広大な土地を運用しているアイアンズ公爵家に逆らうものはまずいない。二人のやり取りを、周囲にいる面々は固唾を呑んで見守っている。
「…………例え誰だろうとも、君を蔑むものは許さない」
ニエルの耳にしか届かないくらいの声量でつぶやいた。思わず表情を盗み見る。先ほどまで見せていた作り笑いを引っ込めていた。冗談ではないのだろう。
「ユージン……こわい」
「ハハ。それより、それ、食べさせてくれないの?」
ユージンが普段通り柔和な雰囲気をまとうと、困惑していた子息たちは安堵したように笑った。どさくさに紛れてアイスを食べさせてほしいとねだられる。周囲にいる人々は軽い冗談だと捉えているが、ニエルはユージンが本気で言っていることを知っている。
「はあ? やだよ、お断りします。人前だし」
「人前じゃなければいいの? それなら、僕が食べさせようか?」
「なんでそうなるんだ。まあ、いいけど」
面倒だったので大人しく口を開けると、本当に食べさせられてしまった。餌付けだ。
「どう?」
「美味いよ」
「それならよかった」
容器に盛ったヨーグルトバナナアイスを、まんまと完食してしまった。してやられてしまった。ユージンは満足そうだ。
侯爵令嬢はというと、わなわなと小さく体を震わせ、顔を真っ赤にしていたのに、いつの間にか姿を消していた。
(大丈夫か……?)
心配とは裏腹に、睦まじい姿を目にした人々は、ニエルの容姿を口々に絶賛した。ユージンに、少しでもいいから気に入られたいのだろう。無理もない。
こうして、久しぶりの社交界は滞りなく(?)終わった。
***
翌々日、朝七時。惰眠を貪っているというのに侍従に叩き起こされ、眠気眼のまま着替えさせられた。朝食は八時なのでまだ早い。
そんなニエルが、背中を押されて半強制的に押し込まれたのは応接室。
(なんだなんだ?)
昨夜、なにかやらかしただろうか。考えてみても、なにも浮かばない。
「ああ、ニエルさん! 先日は、うちの娘が粗相をして大変申し訳なかった。この通り、謝罪します!」
「あ、頭をあげてください!」
そこにいたのは、顔面蒼白で必死に頭を下げている侯爵とその令嬢だった。社交界の夜にニエルにも聴こえるよう、嫌味を言っていたあの令嬢だ。慌てて謝罪にきたということは、ユージンが動いたに違いない。
(好きに言わせておけばいいのに!)
父と娘は手土産持参で来たらしく、ずっしりと重い箱を強引に押しつけられる。中身は十中八九、金品だろう。これで水に流してほしいと言いたいのだと察する。さすがに怖すぎて受け取れない。
「やめてください!」
侯爵の爵位は公爵に次ぐ二番目で、伯爵よりも一つ上だ。そんな目上の人間から謝られても戸惑うだけだ。
「わかりましたから、頭をあげてください。あと、困りますのでこちらはお持ち帰りください」
「ですが……それでは……その」
謝罪を受け入れてもらわないと、侯爵家としても困ることになるのだろう。そのくらいニエルにも理解できる。
「謝罪だけ受け入れます」
「そ、そうですか。ほら、お前も謝りなさい!」
「ごめんなさい……」
侯爵令嬢は怯えた目をしていた。なんだかこちらが悪いことをしているようで申し訳なくなってくる。
なんとか宥めて帰ってもらうと、ニエルは大きな溜め息を吐いた。
「……アイアンズ家に行ってくる」
「朝食はいかがされますか?」
「帰ってから食べるよ」
「承知しました」
徒歩十分の距離にアイアンズ家は洋館を構えている。ニエルが訪問することを予測していたらしく、多忙を極めているはずのユージンに笑顔で出迎えられた。
「おはよう、ニエル。朝食は済ませた? まだなら食べながら話そうか」
「はいはい」
真紅の薔薇に取り囲まれたテラスには、ずらりと料理が並んでいた。適当に腰かけさっそく切り出す。
「あの侯爵家に圧力をかけたんだろ?」
「うん。さすがに度が過ぎていたからね。あのまま野放しにしてしまうと、止めに入らなかったこちら側まで同類だと見なされかねないから、だから釘を刺したんだ」
「だからってなあ……」
ユージンの言い分もわかる。口は災いの元だということを肝に銘じておかなければ、いつ上げ足を取られてしまうかわからない。そういう世界だ。発言には注意しなければならない。
ニエルに直接謝罪しない限り、今後、侯爵家との取引を行わないと通達でもしたのだろう。慌てるのも無理はない。大地主から手を離されてしまえば、侯爵家にとって大損失になりかねない。
「他人を蔑む人間には容赦しない。知ってるよね?」
「……まあな」
ユージンがマシュマロボディだといじめられた際に、ニエルが励ました言葉でもある。あのとき、思わず強すぎる言葉を使ってしまい、それが今更発揮されているのだから罪悪感がないとは言い切れないが、後悔はしていない。
「話はこれくらいにして食べようか。お腹空いたでしょ?」
「空いてる!」
ここでたらふく食べたあと、家でも食べる予定だ。後味悪いことは食べて忘れることにした。




