十七・なにかを盛られて……!?
狩猟大会が無事に終わると、その日の夜に、参加者限定でちょっとした宴会が開かれる。ニエルはすでに息絶えていた兔の脚に矢を放ったとはいえ最下位なので、本当はすぐにでも帰りたいところだが、そういうわけにもいかず参加している。ちなみにユージンの順位はもう少し上だ。大鹿に襲われた他家の子息を助けて表彰されている。
最下位のニエルが呼ばれる可能性は今のところ皆無だ。手持ち無沙汰だ。今回の狩猟大会には、兄のアルノーは用事があるからと不参加だ。だから話し相手がいない。
(そういえば、原作以上にユージンがべったりしてくるから、あまり友達がいないんだよな)
一応、スクール時代の先輩である、変態の属性を持つエリオットの姿もあるが、なぜかこちらを見向きもせずに他の参加者と楽しそうに交流している。もしかすると、飽きてくれたのかもしれない。このまま関わり合いを絶てるのなら、願ったり叶ったりだ。
ブレンダン侯爵が関わっている以上、ある程度は我慢して人付き合いする必要があるため、適当に飲み食いして時間を潰すしかない。ユージンはというと、会場入りした直後におしゃべり好きの婦人グループに捕まり、取り囲まれてしまった。貴重な情報源でもあるため、誘われれば基本的には断らない。
「お飲み物はいかがですか?」
そんなニエルの元へ、瓶底眼鏡と三つ編みという、今どき貴重なくらい古風な装いをした給仕が近寄ってきた。前世で遊んだゲームでしか目にする機会はなかった。目鼻立ちがすっきりしているし、すらっと背も高く、洗練された美しい容姿を野暮ったい格好で隠しているようだ。ニエルにはわかる。無表情のクール美人に違いない。もしかすると、どこかの令嬢がお忍びで給仕をしているのでは、と勝手に想像した。ここまで背筋がぴんとしているならば、ひと目見ただけで覚えていそうなものだが、残念ながら初対面だ。ユージンがいなければ口説きたかった。
「お客様。どうされましたか?」
給仕に見とれているうちに反応が遅れてしまい、不審がられてしまった。慌ててトレイを覗く。載せられているのはシャンパンやワイン、カクテルらしき色とりどりのアルコールの他に、葡萄やオレンジ、林檎ジュースなど十種類ほど並んでいた。
「あ、ああ、じゃあ、葡萄ジュースを一つ」
「かしこまりました」
飲み慣れているものを選んだ。グラスが十個あれば重そうなのに、彼女は片手で軽々と持っていた。鍛えているのだろう。筋力自慢の女子も最高だ。
「では、ごゆっくりお寛ぎください」
「ありがとう」
ニエルが飲み物を手に取ったあと、給仕は大柄な男性客に声をかけられた。葡萄ジュースを口にしながら、何となく眺めていた。別に、彼女の外見に釣られて見ているわけではない。決して。断じて。
(…………ん?)
給仕が、大柄な男性客に近づくまでは普通だった。だがしかし、その直前で何かに躓いたのかふらっと右によろめき、あろうことか片手に載せていたトレイは、手を離れてしまった。勢いよく前方に飛び、グラスは当然ながらトレイの中で倒れる。そして、そのまま男性客の足元手前に落下し、ガチャンガチャンと音を立てながらすべてのグラスが無残にも割れてしまった。様々な色の飲み物が絨毯に吸われてしまう。ついでに給仕も転んでいる。まさに大惨事だ。
「ど、どうしてくれるんだ!」
飲み物がかかったのか男は激怒し、ほかの給仕は大慌てで駆けつけた。
(なんか、変だな?)
一部始終を後ろから観察していたニエルは、胡散臭い気配を感じ取った。わざとトレイを手放したように見えたのだ。男性客に近づくまでは確かな足取りで凛としていたのに、目の前に差しかかると不自然によろめいただけでなく、いきなりか弱いふりをした。明らかにおかしい。
そんな怪しさ満点の給仕は、立ち上がるなり頭を下げて謝罪し、片付けを他の者に任せて引っ込んだ。
さらなる異変に気づいたのはその後だ。
(なんだ……?)
ニエルは、急激な眠気に襲われていた。十分、眠ったはずなのに、眠くて眠くて堪らない。なんだか落ち着かない。会場に着いてからは、先ほどの葡萄ジュースしか口にしていないし、味もいつもとそこまで変わらない気がした。飲んだときは一瞬、喉が熱くなったけれど、気にせずごくごくと飲み干した。
眠気を覚ますために、冷たい水でももらいに行こうとしたところ、一仕事を終えたユージンが戻ってきた。
「ニエル?」
「……ゆ、ユージン」
「もしかして、お酒でも飲んだ?」
戻って早々、顔が赤くなっていると指摘された。自分で頬に触れると、そこから発熱していると錯覚するくらい熱を帯びていた。風邪で高熱が出たと勘違いしそうなほどの熱さだ。
「ち、がう。飲んだのはジュース、のはずだ」
「まだ残ってる?」
「あ、飲み干した……」
すでに飲んでしまった。味に不審な点はなかったし、飲んだ直後は何ともなかったのに、数分経った現在は非常に眠い。
「誰かに渡されたの?」
「う、うん。けど、他の人と同じ給仕の格好だったから。あ、ほら、あの人」
丁度、会場に戻った給仕係が視界に入ったので、ニエルは指を差す。格好に変化はない。掃除道具を取りに戻っていたようだ。ユージンは彼女をひと目見るなり、顔をしかめて怪訝な表情をした。
「あれは……エリオットのところの侍従長じゃないか!」
「えっ!?」
「だからこの前、忠告したのに……君って人は!」
そう言われても、まさかエリオットが給仕係を差し向けてくるとは予想できるはずもなく。それほど面識があるわけではないのに、いちいち顔を覚えていられない。容姿が秀でていたので、今回は覚えられそうだっただけだ。残念でならない。
やたらと見目が整っていたのは雇い主の趣味だったらしい。側近はみな派手な外見をしている。だから、ニエルもエリオットに目をつけられたのだろう。
「ここで待ってて。なにを飲ませたか問い詰めてくる」
「う、うん」
水差しを運んでいた給仕から、一杯もらってきてくれたユージンは、ニエルに手渡してから、二人の元へと向かった。殴りかかったり、すごい剣幕で怒鳴ったり、ちょっとした修羅場になるかとヒヤヒヤしたが、二言、三言やり取りをしただけで足早に戻ってきた。
「水は飲んだ? とにかく、ここから移動しようか」
「や、やばい薬だったのか……?」
炎天下にいるわけでもないのに、頭の上からつま先まで全身が灼けるように熱い。暖房が効きすぎているわけでも、着込んでいるわけでもない。毒でも飲まされたのだろうかと不安が脳裏を過ぎる。まだ十九歳という若さで死にたくはない。放蕩息子として悠々自適に暮らしたい。
「君が飲んだのは、ワインだ」
「え、ジュースじゃなかったのか!?」
「まったく……」
「葡萄ジュースって言ったのに……渡し間違えたのかな。とりあえず、どうしたらいい? 眠くて眠くて堪らないんだけど……」
「ここでは人目が多すぎる。ついて来て」
腕を引かれながら会場を後にした。
「家まで我慢できる?」
「む、むり!」
ユージンが、控え室に隣接する部屋のドアノブに手をかけると、運よく鍵がかかっていなかった。どうやら予備だったらしく、室内の灯りは消えていたもののソファーやテーブルは設置されていた。断りもなく勝手に侵入し、ユージンは後ろ手で鍵を閉めた。真っ暗闇なのでユージンはテーブルに置かれた蝋燭に火を灯す。少しだけ辺りが明るくなった。
もう我慢できない。ソファーに背中を預けたニエルは、瞼を閉じて眠りの縁に落ちた──。
それから数時間。ふとニエルが目を覚ますと、どういうわけかユージンの整った顔面が至近距離にあった。吐息がかかるほど近い。額と額がくっつきそうなほど近かったため、思わず突き飛ばしてしまった。
「ユ、ユージン!? なにしてるんだよ、一体!?」
ユージンは、床に座り込みながら答えた。
「……なにもしてないよ。君の嫌がることは。でも、額にキスはしちゃったから、なにもしてない、とは言えないか。どうか許してほしい」
どういうわけか、ユージンが頭を下げたので度肝を抜かれた。給仕が運んでいたからといって迂闊にアルコールを口にしてしまい、巻き込んだのはニエルだ。ユージンに落ち度はない。
「なんでお前が謝るんだ? 助けてくれたのに」
「紳士にあるまじき行為だからね」
そう言われたニエルは首を傾げた。紳士にあるまじき行為とか、一体どの行動を指しているのかさっぱりわからない。空いている部屋に案内してくれて助かったのに、ユージンは忘れているらしい。
「十分、紳士だっただろ?」
「そうかな?」
「ああ。俺を最優先にしてくれた!」
「僕が君に対して紳士なのは、君が言ったからだよ」
その言葉に、ニエルは思わず顔をあげた。そんな話をした記憶はない。ニエルはユージンの言葉の意味を測りかね、素直に問い返す。
「なんて?」
ユージンは、ニエルの視線を受け止め、柔らかな笑みを浮かべた。その瞳には、ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎が映り込んでいた。碧い瞳に赤が映える。
「うん。『俺の理想はかっこいい紳士だ』って」
ニエルは一瞬、数少ない記憶を手繰り寄せた。確かにそんなことを言った覚えがある。ユージンと出会ったばかりのまだ小さい頃の話だ。
「……それ、俺の目標の話だろ?」
ニエルの問いかけに、ユージンは小さく頷く。そして、少しばかりいたずらっぽい表情を浮かべた。
「君にかっこいいって思われたかったんだよ」
「……ユージン」
ユージンのまっすぐ過ぎる告白に、ニエルは言葉を失ってしまった。予想外の一言に、理由もわからず胸の奥が熱くなるのを感じる。普段は冷静で隙のないユージンが、自分にだけこんなにもストレートな感情をぶつけてくるのだ。こんな言葉をもらっていいはずがないのに、嬉しいという感情が湧いてしまう。
「……バカだなぁ」
「そうだよ?」
「スクール時代は常に首席だったくせに」
ニエルの言葉に、ユージンは少し誇らしげに胸を張った。
「頑張ったからね」
ユージンの一言一句に、ニエルに対する深い愛情が見え隠れしていた。伝わってくる。
しかし、ヒロインではないただのモブキャラでしかないニエルには、ユージンの気持ちに応える資格がそもそもないのだ。その感情を向けられるべきなのは、イリーナ・アルハイン、ただ一人。それを知っているので、申し訳なさに押し潰されそうになったニエルは話題を変えた。
「それで、俺に酒を飲ませた理由は? 聞いたんだろ?」
侍従を使ってまでアルコールを飲ませたということは、何かしらの悪意や思惑、企みがあるからだ。攻略対象キャラからどうして狙われることになったのか。当事者のニエルには知る権利がある。
ところが、ばつが悪そうに視線を逸らされてしまった。
「君は知らなくていい」
「え、盛られた本人なのに!?」
ニエルが訴えようとも視線は逸らされたままだ。頑なだ。もしかすると、ユージンを困らせる意図で狙われたのではないかと考えが行き着く。終始一緒にいるところを見られているから、警戒心の薄いニエルに盛ると世話を焼くことになるのは十中八九、ユージンだ。だから心配かけさせまいと隠したのだろう。
「次はないと警告しておいたよ」
悪意があれば警告だけでは済まさないことは知っている。過去、ニエルに関して根も葉もない噂話を流していた子息の親は、全員、例外なく辺境地へと追いやられている。
エリオットに狙われるのはもうこりごりなので、今後、見知らぬ誰かになにか渡されそうになっても断ることにした。今更ながら警戒心を強めることにした。
身支度を整え、念の為に医師の診断を受けてから、自宅まで送ってもらった。
全年齢にするため、本来だと8000文字以上あったので半分ほどがっつり削りました。




