第78話「届かない名前と真実への問いかけ」
「……おかしいわね」
彼女は、首を傾げた。その瞳には、これまでの好奇心とは違う、もっと根源的な未知の現象に対する魔術師としての探究心の光が、強く宿っていた。
「私の声は、確かに音として、あなたたちに届いているはず。なのに、私の名前という情報だけが、あなたたちの認識から、弾かれている……。まるで、この世界が、あなたたちに、私の名前を知られることを、拒んでいるみたいだわ」
彼女は、怖がるでもなく、面白がるでもなく、ただ、目の前で起きている不可解な現象を、冷静に鋭く、分析し始めていた。
「世界が、拒んでる……?」
俺は、彼女の言葉の意味が、半分も理解できなかった。
「まあ、いいわ」
少女は、考えるのをやめたように、ふっと息をついた。
「名前なんて、ただの記号よ。あなたたちが、私を『君』とか『あんた』とか呼んでくれても、私は気にしないから」
彼女は、そう言って、にこりと笑った。その屈託のない笑顔に、俺たちは、それ以上、彼女の名前を聞くのを諦めるしかなかった。
「それより、ミナト」
彼女は、俺に向き直った。その瞳は、再び、強い好奇心の光を宿している。
「あなたの話の続き、聞かせてくれないかしら。あなたは、この世界の人間じゃない、って、私は言ったわよね」
「……それは……」
俺は、言葉に詰まる。グレイからは、素性を明かすなと、あれほど言われていた。
「別に、無理にとは言わないわ。でもね」
少女は、少しだけ、真剣な表情になった。
「あなたたち、元の場所に、帰りたいんじゃないの?」
「……!」
その言葉は、俺たちの核心を、鋭く突いていた。
「あなたたちが、どうやってここに来たのかはわからない。でも、あなたたちの存在は、この世界の理から、ほんの少しだけ、浮き上がっている。それは、とても不安定で、危うい状態よ。このままでは、いつ、あなたたちの存在そのものが、この世界から弾き出されて、消えてしまうか、わからない」
「消える、だって……!?」
リリアが、青ざめた顔で聞き返す。
「ええ。だから、早く、元の場所に帰るべきだわ。でも、そのためには、あなたたちがどこから来て、どうしてここにいるのか、その原因を、正確に知る必要があるの」
少女は、俺の目を、まっすぐに見つめた。
「私は、魔術師。世界の理を解き明かすのが、私の専門。もしかしたら、あなたたちの力になれるかもしれない。あなたたちを、元の場所へ帰す方法を、見つけられるかもしれないわ」
「……本当か?」
俺は、思わず身を乗り出していた。
「元の世界に、帰れるのか……?」
「約束はできない。でも、可能性はあるわ。そのためには、あなたたちのことを、教えてほしいの。嘘偽りなく、全てを」
俺は、隣に立つグレイを見た。
彼は、難しい顔で腕を組み、黙って考え込んでいる。
リリアは、不安とかすかな希望が入り混じったような目で、俺と少女を交互に見ていた。
「……少し、時間をくれないか」
長い沈黙の後、グレイが、重々しく口を開いた。
「俺たちだけで、話がしたい」
「ええ、もちろんよ」
少女は、快く頷いた。
「答えが決まったら、また、声をかけて。私は、いつでも待っているから」
彼女は、そう言うと、俺たちに背を向け、自分の家の書斎の方へと、戻っていった。
残された俺たちは、互いの顔を見合わせる。 真実を話せば、帰れるかもしれない。
だが、それは、目の前のあの「監視者」にそっくりな少女を、信じるということ。
俺たちは、重大な選択を、迫られていた。




