いつのまにか
いつのまにか少女はいなくなっていた。寮に戻るとディルソンとラシャールが通路を歩いているのが見えた。あれは食堂へ行くんだな。
「お。戻ってきたのか。俺ら食堂に行くけど、お前も来る?」ディルソンが俺を見つけ声をかけてきた。
「後でな。荷物を部屋に置いてくるよ。」俺は鞄を持ち上げて見せた。
食堂のディナーは午後五時からだ。今は何時くらいだろう?外はまだ明るい。部屋に戻ったが、やっぱりあの少女の姿は無かった。しょっちゅう俺の部屋に入り浸られても困るが、なんとなく寂しかった。そして、俺はあの少女がどれ位孤独だったのかを思った。冤罪で首を落とされたのが本当なら、そんな状態で気づけば幽霊になり誰にも見られることも無く、世界から完全に無視されている結果になっていた。それで果たして正気を保てるものなのか?
食堂へ行くと、既にディルソンもラシャールもディナーをパクついてた。俺がテーブルにつくと給仕がメニューを持って来た。本日のスペシャルはチキンのアーモンド揚げだった。どうやら二人ともこのスペシャルを注文したらしい。薄くスライスされたアーモンドの破片が皿の上に散っている。
「これ、香ばしくて美味いぞ。」ラシャールは口をモグモグさせながら言い、「それに結構ボリュームもある。」とチキンをナイフで切った。
俺は給仕にこのスペシャルを注文するとテーブルの籠に入ったパンを一切れ摘んだ。
「あー、お前自分のパンが来るまで待てないのかよ。」ディルソンはクスクス笑った。
「いいだろ。どうせお代わり自由なんだし。」俺はディルソンに構わずパンを頬張った。
「お前、あの話書き直して正解だったな。大出世じゃないか。公爵令嬢に写しを所望されるなんて。しかもあのグレイシア様に。俺のアドバイスのお陰だな。」ディルソンは殆どディナーを平らげて得意気に言った。
「お?そうなのか?」ラシャールはディルソンを怪訝な目で見た。
「あー、はいはい。そうかも。ま、最初のは悪ふざけが過ぎたなって、俺も思うよ。」俺は給仕が自分の前にスペシャルな一皿を置くのを見た。大きめのチキンは薄くスライスしたアーモンドで覆われている。うん、香ばしい美味しそうな匂いがしてる。
「悪ふざけだったのか?あれが?」ラシャールはディナーを平らげナプキンで口元を拭っていた。
「あー…うん。まあな。こういう幽霊がいたら面白いかなって思いつきで、ちょっと、その…。」俺はチキンを切り分けた。
「幽霊?あ、それ、あの豪爵令嬢だっけ、その令嬢が幽霊になるって事か?」ラシャールは身を乗り出した。あ、そうか。しまった。これネタバレってヤツじゃないか。
「首が取れるんだ。な、ベニーモ。」ディルソンはニヤニヤしながらカトラリーを揃えて皿に載せた。それ言うのやめろー。
「えー。そんなオチなんだ、あの話。」ラシャールは目を見開いた。
「しかも最初は令嬢の名前がニャニンコ、だったよな、うん。」ディルソンのニヤニヤが大きくなる。俺は多分顔が真っ赤だったと思う。
「ニャニンコ?はあ?それ、どこの国の令嬢なんだ?あれか?遠くリエト辺りから来たって設定?」ラシャールは真面目な顔で俺を見た。ヤバい。チキンの味がしない。美味しいんだよね、多分これ?
「ごめん。そこまで考えてないよ。書き直したあの話だって、細かい事はこれから考えるんだ。なんて言うか、書きながら考えてるようなところもあるよ。最初は、幽霊があり得なさそうな身の上話をするのをギャグのつもりで書いてたんだ。でも、ディルソンが俺が何か書いてるって言いふらすし、アラウも読む前から何か期待してるし。だから考え直したんだ。」俺はディルソンを睨んだ。
「おー、怖。そんな目で見るなよー。」ディルソンはクスクス笑った。
「ふーん。そうなんだ。お前って、そういうの書く趣味あったんだ。」ラシャールは軽くため息をついた。
「話を書くのは嫌いじゃ無い。でも、ちゃんと書こうとしたのはこれが初めてかな。」俺は少し落ち着いて来て、やっとチキンを味わえるようになった。うん、美味しい。
「でも書き直した後の方の話の方が断然興味を惹くよ。あのギャグっぽいのも面白かったけど。」ディルソンは真面目な顔になった。
「そうだな。俺は書き直した方しか知らないけど、ミステリっぽいのが良いな。俺の家は、ほら、子爵家だから、ちょっとそういうの惹かれる要素だよな。」そうだった、ラシャールは子爵家だから、まあ、お代官様だよなあ。
「俺にもまだミステリだよ。だって後の展開うっすらとしか考えてないもん。」俺はチキンを頬張った。
「は?何だそれ?」ラシャールは愉快そうに笑い「本当に思いつきだけなのか。」と俺をじっと見た。俺は心の中で少女に平謝りしてた。
食事を終えて部屋に戻ったが、やっぱり少女はいなかった。ここのところ毎日ずっと少女が部屋に来ていたので、俺はまた夜にでも少女は来るのだろうと思った。俺は机に置いた何も書かれていない紙を前にして、ペンを取れないでいた。
俺の記憶にある悪役令嬢という概念は一体何なのか。それは俺が良く読んでいた漫画という表現形式の一ジャンルだったように思う。乙女ゲームという良く解らない何かの世界に悪役の少女として転生した主人公が、破滅する筈の運命を回避するために色々対策をし、その結果幸福を掴み取る。そんな感じだったかな。乙女ゲームじゃなくて恋愛小説ってパターンもあったっけ?ここフラリアーツ、そしてエレブには漫画なんて形式の表現は無い。戯画ならある。俺が絵が達者なら、きっと漫画を描いただろう。俺は漫画が好きだった。漫画を浴びるように読んでいた。そんな記憶が俺にはある。でもその全てを詳細に覚えている訳はなかった。悪役令嬢という概念にしたって、あの少女の話を聞いて思い出した事だ。この世界と、俺が持つ前世の記憶の世界はどこかで繋がっているんだろうか?
俺はペンを取った。ふとライニの言っていた言葉を思い出した。誤字脱字も忠実に写す。いや、そこは修正しようよ。俺は軽く首を振り、やっと紙に字を書き始めた。
我がフォン・キャラメーナ豪爵家には独自の調査機関が御座いますの。ただ、アタクシの一存ではこの調査機関を使えません。ですからアタクシは侍従に書簡を持たせ、アタクシの父君に調査機関の使用の許可をお願いしましたの。あら?これは過剰な行動とお思いですの?そうですわね。普通ならそうですわ。しかしながら、アタクシはどうやらあの平民の娘の情報から意図的に遠ざけられている、そのような状況とアタクシ判断いたしましたの。ですから、これは当然の行動ですわ。ええ、父君の許可はいただきました。この調査機関、極秘の存在ですの。ですから、アタクシ調査員とは直接お会いしたこともお話ししたことも御座いません。侍従を通じて書簡のみのやり取りだけで御座います。
判明した事を列挙いたします。名前はミリア。姓名は御座いません。平民ですもの。小作人の娘。十三歳で天啓を得たと周囲に言い始めた。占いが悉く当たると評判になり、ミリアが天啓を得たのは本当だと信じられ始めた。十四歳で地元のパロデナス教会のロカロ神父に聖女と言われた。アーモリージ伯爵家がミリアの後援を申し出た。ピカレス・クロマン学園で王太子殿下が殺害されると予言し、それを防げるのは自分だけだとミリアが主張した。なんですって?王太子殿下が殺害される?
そこまで書いて俺は頭を抱えた。これは無理ある気がするなあ。でも俺に思いつけるのってこれくらいしかない。




