後編
うちのクラスの引き戸は建て付けが悪いせいかいつもやかましい。今日に限っては更に輪をかけていつもより五月蝿く鼓膜に響いた。
クラスのみんなはどんな反応を示すだろうか怖くてたまらなかった。友達は少ない方ではない。
だが九条と自分、どちらを信じるかと言われれば大方想像がつく。陽キャになれないはぐれものの好感度などたかが知れているものだ。
「おはよう!」
意を決して教室に入ると予想と反していつもと変わらない風景が広がっていた。
筆箱でキャッチボールをする陽気なグループ。1つの机に集まって雑談している落ち着いた集団が数組。進学組は朝から自分の席で予習やら復習に励んでいる。
呆気に取られてしまった。すでに彼女が言いふらして目の敵にされているものかと思っていた。そんな冷たい視線はどこからも感じられなかった。
何もないことが1番怖いものだ。そこ知れない不安が首の後ろから這い上がってくる。ゾワゾワと心地の悪い寒気が後頭部へと覆い被さる。
反射的に教室の中央に顔を向ける。なぜそこに目が向いたのか。答えは視点が定まって理解した。
九条がこちらを見つめていた。女友達と雑談にふけってはいるが鋭い眼光だけはこちらを向いたままになっている。一体いつから俺のことを睨んでいたと言うのか。
蛇に睨まれた鼠の気持ちを十二分に理解した。全身から冷や汗が吹き出し身体が震える。立っているのもやっとだった。
言うことの聞かない足で自分の席へと歩き出す。たった3mがこんなにも遠いと思ったことはいままで一度もない。
「おはよう、九条」
自分の席へカバンを下ろしながら今日2度目の挨拶を交わす。そう、俺の先は彼女の隣なのである。
恐る恐る目を合わせるとそこにはいつもの優等生九条が挨拶を返してくる。いつもと変わらない、顔を真っ赤にして怒りを露わにしていたのが嘘のようだ。
それだけに報復がひたすらに怖いのだ。九条は友達が多い上に交友関係はとてつもなく広い。大人しくはあるが人気者の部類といえる。
それに彼女自身クラスではカーストは上位クラスではあるため陽キャやギャルとは関係が深い。陰気な層とも関係なく話せるほど。
そんな彼女にはすでに僕に味合わされた凶行を言いふらされたらどうなるかなど目に見えている。だがそうなっていない以上、感情的に動いているわけではないようだ。
「「おはよぉ」」
続いていつも通りに挨拶してくる九条と話していた2人の女生徒。この態度を見るにどうやら本当に彼女は友達に相談すらしていないようだ。
これではこちらから話を切り出すのも難しいではないか。
彼女の考えている意図が理解できず浮かんでくる言葉から何を口にすればいいのか決定することができない。
咎めているのか、単なる疑問なのか。
言葉を間違えればまったく真逆の意味として捉えられてしまうのは明白だった。
それにここには第三者が立ち会っていることは彼女が意図的に用意した状況であるし下手な嘘はいつか絶対にボロが出る。
僕はこの重圧に耐えられなかった。
「え、なに?2人とも何があったの?」
状況を読み取れていない女子生徒が口を挟んでくれたことにより僕は我に帰り出掛かっていた懺悔を飲み込むことができた。
「なんでもないよ、ね。相川くん」
ああ、こんな愛想の良い笑顔を向けるなんてそのまま頷ければどれだけ楽になるだろうよ。
男は一度腹括った以上引き下がらない。
「いや、さっきはすまなかった。驚かせてしまったよな」
表情を変えぬまま隣の友人に負けず劣らず大きく目を見開いた九条だが友好的な態度は変わらない。
だがその眼光だけは刃物のように突き刺さってくる。僕は受け止めつつ椅子の位置を調整した。
彼女と話していた女子生徒は気を遣ってその場を離れる。僕たち同士の混み合った話だと思っているだろう。
「なに、どういうつもり?」
周りに聞こえないような小さい声で僕を問い詰める。透き通った声色はハッキリと聞こえる。
「手を出すつもりも驚かすつもりもなかった。本当にすまなかった」
ここで馬鹿正直にやましい気持ちがあったなんて言えるほどの度胸はないしむしろクラスメイトである九条が相手でよかったとも思ってさえいる。
他の学年であったならばすでに大問題に発展していてもおかしいレベル。
本来なら社会不適合ともいえる過ちを犯しているのだから。
だがすまなかったというこの言葉にも嘘も偽りもない。
心の底から自分が間違っていたと己自身が感じている。
それでもこの過ちが生んだ感情には逆らえないからこそ一生を捧げてでも彼女に許しを得るならなんでもやるつもりである。
「やめて」
九条は遮りいつの間にか側耳を立てていたクラスメイト達も一斉に声を出すのを躊躇った。
一瞬の静寂。外で囀る小鳥が窓を閉じていても聞こえてくる。
「この話はお終い、これ以上この件で話しかけないで」
被害者女性による終戦宣言がこれにて下され僕は完全なる自由を得る。
有耶無耶にするともとれる言葉だが彼女においてそれはないだろう。
数秒後にはいつも通りの愛想の良いクラスメイトに戻るだろう、クラスの面々もそれに従うだろう。
「いや、終わりにするつもりはない」
ここからは自分勝手な独りよがりの謝罪劇。もはや怒りを露わにする彼女がこちらを許す姿が思い浮かばない。
けれども許してもらうためにはなんでもしたい。迷惑を掛けた女性にに引き目を感じるなんて男になりたくなかった。
「俺が全部悪かった。突然肩を叩くなんてどうかしてたんだ、すまなかった」
深々と頭を下げる姿に周りの同級生の視線が集まってくるのを感じる。
「けど!後悔はしていない。なにも考えていなかったしその場の成り行きだった。でもそれでも自分の行動に責任を持ちたい。君を傷つけたのならその痛みがなくなるまで俺は何度もでも謝る。何度でも」
周りの反応は二分していた。そんな中、彼女の表情ははっきりと二分した片方と同じ反応を示していたことはいうまでもなかった。




