第86話:書庫スペースの罠、あるいは「Torch」の正体
「独り……じゃない……か」
休み時間で賑わう廊下でつぶやいて、移動教室で使った教科書やノートを持ち直す。
「えぇっ!ウソ!?エモくない?」
少し先には、クラスメイトと楽しげに話している陽菜。
ポニーテールが踊るように弾んでいる。
『困ったときは、半分こ』
『ともくんは安心して描いていいんだよ』
数日前に柊珈琲店で見た、彼女の柔らかい笑顔。
『……ごめん……がまんできなくなっちゃた///』
唇を離した恋人の瞳の奥に見えた、輝くような色彩。
あの日、依頼を引き受けるか悩んでいた俺は、陽菜にキスとともに背中を押された。
『断ろうと思ってるのに、なんでそんなに『描きたそう』な顔してるの?』
あのとき、恋人は、俺の奥底で渦巻いていたものを、ズバリと言い当ててくれた。
もう、モブとかなんとか言って、自分の気持ちから目をそらすのはよそう。
塩浜さんの依頼にチャレンジしてみよう。
俺たちの教室に戻り、やれやれと席に着く。
次の授業の準備をしなくちゃ。
机をごそごそとまさぐったら、見たことのない書類入れが出てきた。
「……?…………!!」
中身を見て、俺は驚き、貼られていた付せんを食い入るように見た。
『至急、確認が必要なデータ(履歴)があります。
本日放課後、図書室へ来てください 岩瀬』
チャイムが鳴った。
クセのある文字のメッセージを書いた本人は、何食わぬ顔で教科書を開いていた。
放課後。
いつの間にか教室を出ていた岩瀬さんに会いに、図書室に向かう。
遠くで運動部の掛け声が聞こえる。
はやる気持ちを何とか抑えて、図書室の扉をあけると、最初に岩瀬さんと目が合った。
立ち上がった岩瀬さんが会釈して、奥の部屋に促す。
真顔だ。
そして、少し緊張しているようにも見える。
カキン……カキン……
わずかに聞こえる、野球部の打撃音。
案内されたのは書庫スペースだ。
図書倉庫とも言える場所で、先生達も時々使う場所だ、と、以前ここで岩瀬さん本人から聞いた。
あの時は、俺にわけのわからない質問をしたあげく、勝手に鼻血を出して保健室送りになっていた。
その後の一週間、いろんな人に根ほり葉ほり聞かれて面倒だったのを思い出す。
あれは、陽菜の大会や横丁の仕事の前の出来事であった。
ずいぶん昔の事のように感じる。
「来てくださいまして……ありがとうございます」
ポツンと置かれた作業テーブル。
出口に近い位置に座った岩瀬さんと向かい合う。
図書委員の顔は赤らんでいた。
「来たよ。……ねえ、岩瀬さん。
わざわざこんなもの机に入れて、俺を追い回して何が楽しいの?」
俺は苛立ちを隠さず、書類入れに入った紙束をバサッと放った。
丁寧にプリントアウトされていたものは、俺がずっと内緒にしていたイラストサイト『残響画廊』のアカウントページだった。
ここに投稿していることは、陽菜にも言ってない。
それだけじゃない。
このサイトの俺の投稿履歴の詳細、さらには図書室での俺の貸出履歴が整然とリスト化されていた。
そして、昭和ノスタルジー横丁で俺が施した塗装やペンキ絵の写真までもがリスト化されていた。
なぜ、そこまでモブの俺につきまとうんだ?
納得する理由が見当たらず、薄ら寒さと苛立ちが混ざり合っている。
気持ちが先走って、言葉が続かない。
小動物顔を睨み付けるように腕組みして、深呼吸した。
「ごめんなさい……。
どうしても、確認したくて……。
お呼び立てして、申し訳ありませんでした」
頬を紅潮させた図書委員がゆっくりと頭を下げる。
あの、岩瀬さんが、素直に謝ってきた。
ただならぬ状況に気持ちがざわつき、思わず組んでいた腕をほどく。
いつもの冷徹な分析官のような彼女からは想像もつかない、消え入りそうな声。
彼女は震える指先で、俺が放り投げた書類を丁寧に並べていく。
「残響画廊……。ここに投稿されている筆ペン絵師『Torch 8B1』。
誉田くん、このアカウントに心当たり……ありませんか? 」
射貫くような眼差しで、図書委員は、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「いえ……ありますよね?」
【担当:岩瀬鈴江(図書委員/分析官)】
「Torch 8B1」……やっと、捕まえました。
あなたが内緒にしていた「残響画廊」のアカウント。
そして、あなたが横丁で施した、あの執着に満ちた塗装。
私のデータは、すべてが同一人物だと告げています 。
……隠さないでください。私はただ、確認したかっただけなのです。
次回、第87話『墨汁の髪と、震えるファンミーティング』 ごめんなさい。……でも、これだけは、伝えたかったのです 。




