第85話:研ぎ澄まされる五感、街灯の下の色彩
「……は、早い」
モールを出た後の家路を、いっしょに自転車でたどる。
前を走る陽菜のポニーテールがリズミカルに左右に揺れ、風になびく。
その風に踊る髪の先から音符が流れ出るように見えた。
懸命にペダルを漕ぐ。
遠ざかったり、近づいたりする陽菜の背中。
荒くなる呼吸を感じながら、思考を巡らせる。
「がまくん」である俺が、どれだけ自信を失くしても、彼女という「かえるくん」が隣にいてくれる。
悩んだり、困ったりしたときは、半分こ。
彼女がこれほどまでに俺を想い、勇気を与えてくれる。
「……もう……いや、もともと……」
恋人の背中が遠ざかる。
ぐい、とペダルを踏み込んだ。
「ひとり、じゃ……なかったんだ」
家の近くに着くと、すっかり暗くなっていた。
大会前にブランコに乗って話した公園に自転車を止める。
どちらからともなく、自転車を降りて、お互い寄り添う。
幼なじみから恋人に変わってからついた、二人のルーティンである。
手が触れて、しっとりとした手指がするんと絡まる。
磁石で引き寄せられるみたいに、陽菜の嬉しそうな顔が近づく。
ぎゅっ。
「……ともくん、大丈夫……だからね」
俺を抱きしめた恋人は、ときおり、ぴくん、と身体を震わせて、しなやかで弾けそうな身体を深く深くくっつける。
俺も、その引き締まった背中に腕を回して、ポニーテールを撫でた。
「……んんん///……とっても……おちつく///」
耳元で感じる、恋人の深い息遣い。
腕に感じる、大きく背中が膨らんで縮む、ゆったりとしたリズム。
うっとりとした吐息とともに漂う、甘く爽やかな恋人の香り。
抱きしめるごとに、あつらえたようにぴったりするハグ。
恋人に変わったばかりの頃は、早く強く伝わっていた鼓動も、今では落ち着いたそれに変わっていた。
「……陽菜……ありがとう……そばにいてくれて……」
言い終わらないうち、耳元から陽菜の顔が離れ、唇に甘い感触が広がった。
「んんんっ!」
ぷちゅっ。
「……んんっ///」
ちゅっ……。
ちゅっ……。
んちゅっ。
「んっ……んっ…………んんっ///」
ぷちゅっ。
はふっ。
むちゅり…………っはぁ。
「……ビックリした?……ごめん///
……がまんできなくなっちゃた///」
ちゅっ、ちゅっ。
唇をついばまれる。
はにかむ幼なじみの瞳は、焦点を失ったかのように潤んでいたが、薄暗い公園でもなお、唇とともに鈍く輝いていた。
視線をずらす。
俺たち以外に誰もいない公園。
……やっぱりだ。
「んふぅ///……どうしたの……ともくん」
再び俺の首元に顔をうずめて、うっとりとまどろむ恋人が問いかける。
首を振り、もう一度、誰もいない公園を見渡す。
暗い公園のはずなのに、照らされた場所がくっきりと見える。
植えてある木や葉が街灯の光で影のグラデーションが、美術書のカラーパターンみたいに鮮やかに目に飛び込んでくる。
公園について自転車を停めた時、こんなにハッキリ見えなかった。
しかし、こうして恋人の存在を五感で抱えると、視覚が研ぎ澄まされ、普段見えないはずのものが、見えていく。
陽菜の大会で見えた、跳んだ彼女から伸びて羽ばたいた、赫い翼。
きっと、あれと同じ現象だ。
しかも、あの時よりも見え方が鮮明だ。
薄暗い街灯なのに、街路樹何か湯気のようなものが立ち上り、輝いているように見える。
陽菜の不死鳥の絵も、俺を彼氏にしてから、炎が激しく燃え立つように見えるといっていた。
「ともくぅん……だぁいすきぃ……もっと……ぎゅっとしてぇ……///」
俺しか聞けない、陽菜のとろけそうな囁きを聞きながら、俺は腕に力をこめた。
【担当:誉田灯(情念の画家/高校生)】
陽菜を抱きしめるたび、俺の視界は鮮やかに塗り替えられていく 。
世界はこんなに、光と影のグラデーションに満ちていたのか。
俺はもう、一人じゃない。
彼女の体温を背中に受けて、俺は「瑞恵さん」を描く覚悟を決めた 。 ……はずだったのに。
机の中に残された、不気味な「予告状」が、俺を現実に引き戻す。
次回、第86話『書庫スペースの罠、あるいは「Torch」の正体』 岩瀬鈴江。……あの日、図書室で鼻血を出した彼女が、また俺を追い詰め始める 。




