第84話:柊珈琲店の事情聴取と、半分この約束
「ええぇっ! すごいじゃん!!……あ///」
思わず立ち上がって周囲の視線を集めてしまった陽菜は、顔を真っ赤にして革張りのソファに座り込んだ。
目で「話の続きをどうぞ」と促されて、俺は再び話し出した。
「……陽菜だから言うけど、俺、断ろうと思ってるんだ」
「……どうして?」
「失敗したら取り返しがつかないよ。
そもそもだ……今の俺の中途半端な技術じゃ、塩浜さんのあんなに重い想いに応えられない。
……自信がないんだよ」
俺は逃げるように、冷めかけたコーヒーを口に含んだ。
塩浜さんから依頼を聞いた数日後。
学校帰りのショッピングモール内の「柊珈琲店」に、俺たちはいた。
俺の様子がおかしいことを心配した陽菜に、放課後、「話を聞かせろ」とお店に「連行」されたのだった。
銀さんはいなかったけど、柏木さんがいた。
「あら?」という顔をした後は、なにかを察したのか、そっとしておいてくれた。
抑え目のBGMが流れ、コーヒー豆の香ばしい匂いが漂っている店内。
「……ともくん……そりゃ悩むよね。
……夜の返信も遅いし、学校でもふわふわしちゃうわけだわ」
俺の話を遮る事なく聞いた陽菜は、紅茶の入ったカップを両手で包み込み、居ずまいを正して俺を見つめた。
元県議会議員が日立絵画教室の生徒ということ。
亡くなった奥さんのこと。
俺にしか描けない「人間」を描いてほしいと言われたこと。
そして、あのボロボロのスケッチブックのこと……。
塩浜さんの寂しげな横顔を思い出す。
陽菜は黙って紅茶を啜る。
何か言いたいことをまとめているように見える。
その沈黙が、今の俺には少しだけ怖かった。
かちゃり。
恋人は、俺の目を見て言う。
「……うーん、なんて言ったらいいのかな……三段跳びだってね……
失敗するかもって思ったら跳べないよ」
幼なじみは俺の顔を覗き込み、形の良い眉を少しだけ下げた。
「それに、私、知ってるよ。
灯くんが横丁の壁をあんなに必死に塗ってたの、私は見てたもん。
あの『汚れ』に感動したおじいちゃんの気持ち、私にはわかるよ」
「陽菜……」
恋人がスッと背筋を伸ばした。
「……誉田くん、とても大事な質問です」
「え……?」
その瞳は、大会のスタートラインに立つ時のような、射抜くような真剣さを宿している。
「私、あなたの……なんでしたっけ?」
有無を言わさない圧。
俺は思わず息を飲み、ビロードの椅子に深く沈み込んだ。
「……え、あ……えっと……」
「は……や……く!」
「……か、彼女……です」
絞り出すように答えると、陽菜は満足げにうなずいた。
うっとりと顔を緩ませ、手を伸ばす。
きゅっ。
テーブル越しに俺の手を握る。
「んん……///」
ぴくん、と吐息をもらした恋人の身体が震えた。
どんどん顔が赤らんでいく。
「……だ……よね? だったら、悩んだり、困ったりしたときは……
半分こ、しよ///」
握られた手のひらから、彼女のしっとりとした体温が伝わってくる。
「もう、一人で抱えちゃダメだよ///」
俺はうなずく。
そうか。
俺は独りじゃなかった。
赤らんだ恋人が、手を重ねたまま聞いてくる。
「……それにさ、ともくん」
「え?」
「断ろうと思ってるのに、なんでそんなに『描きたそう』な顔してるの?」
「えぇっ……!?」
心臓が大きく跳ねた。
図星だった。
俺のリアクションを見て、陽菜がドヤ顔になっていく。
「わかるよー。ともくん、難しいことに挑戦する時、いつもそういう『困ったなぁ』って言いながら、目がキラキラさせるんだよ……昔から」
ドヤ顔のまま、俺を見据え、握った手に力をこめる陽菜。
「……大丈夫。ともくんなら描ける。私が保証する」
「……根拠ないだろ。俺、肖像画なんて、ちゃんと描いたことないんだぞ」
きゅっ……ぎゅっ。
「あるよ。『私の好きな人』だもん。間違いなしだよ///」
困惑する俺を見ながら、陽菜はいたずらっぽく笑った。
重ねた手から伝わる、恋人の暖かい想い。
心なしか、コーヒーとは異質の、甘やかな香りも漂う。
「がまくんも……かえるくんがそばにいると安心でした」
「あ……」
陽菜がつぶやいた言葉は、少し前に俺が彼女に伝えたものだった。
いつも不安げながまくんをかえるくんが優しく、でも力強く支えていた、あの関係。
「……なんて……ね///」
陽菜は自分の言葉が恥ずかしかったのか、紅茶のカップに視線を落とした。
「……きっと大丈夫。ともくんの隣には、私がいるんだよ」
「ひ……な……」
「最強の『かえるくん』が保証するんだから、ともくんは安心して描いていいんだよ」
俺は、重ねた陽菜の手に自分の手を重ね、ゆっくりと撫でた。
身じろぎする幼なじみ。
「んっ……くすぐったい///」
「ありがとう……心配かけて、ごめん」
恋人がうなずく。
そのはにかんだ顔は、夜明け直後のような、柔らかな朝日を連想させた。
【担当:神栖陽菜(陸上部/灯の恋人)】
「断ろうと思ってるのに、なんでそんなに『描きたそう』な顔してるの?」
ともくん。あなたは昔から、難しいことに挑戦する時、目がキラキラするんだよ。
大丈夫。私が保証する 。
悩んだり、困ったりしたときは……半分こしよ。
だって、私はあなたの……「彼女」なんだから 。
次回、第85話『研ぎ澄まされる五感、街灯の下の色彩』 ねえ、ともくん。……ぎゅっとして? 私、もっとあなたの熱を感じたいの 。




