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【情念の画家】地味な僕のフェロモンと筆ペンで、彼女たちの理性が限界突破する件  作者: 船橋ひろみ
第五章:未来キャンバスと、素顔の肖像画(ポートレート)

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第83話:歪んだ線の叫び、あるいは情念のスケッチブック

「……ワシが描いてほしいのは、そんな立派なもんじゃないんだ。

……隣で笑って、怒って、共に泥道を歩いてくれた『人間』の絵なんだよ」


「はい……」


俺の困惑をよそに、塩浜さんの瞳に強い光が宿る。


「灯くん、ワシは見た。君があの街に施した、あの『汚れ』を」


一瞬、心臓が跳ねた。


俺が必死に、銀さんの教えを守りながら塗り重ねた、錆や煤。


「あれは……ただ汚いだけじゃない。

あそこには、雨風に晒され、人々に愛された『時間』が流れていた。

……あの頃の息遣いを感じるような仕上がりは、なかなかできるもんじゃない」


「だけど、あれは塗装で……絵とは違います……

だいいち、銀さんがやったことが大半で……」


「ひとつ、じいさんからの忠告だ。

……灯くん、自分をあまり低くみてはならんぞ。

自分を信じない人間について行く人は……少ないからな」


俺は思わず顔を上げた。

睨むようにドンが俺を見据えている。


「それとも、君は……ワシの目が、節穴とでも言いたいのかね?」


目を見開いた。

寒くもないのに、ブルッと来る。


「君の作品……全てではないが……気持ちがこもったものがある……

匂いや色……要するに、質感のある作品だ」


塩浜さんが、銀さんと同じことを言った。

テーブルの下の拳に力が入る。


「君は……君自身に宿る才能に、もう少し自信を持ちなさい」


茨城のドンは、相好を崩して、いたずらっぽく笑った。


「……本当は、自分でやりたかったが……」


ため息まじりの老人は、いつもの鞄の中から、一冊のくたびれたスケッチブックを取り出して、俺に手渡した。

すり切れた表紙に小さく「瑞恵」と書かれていて、塩浜さんが教室に通い出したあたりの日付が入っている。


ページをめくって、俺は絶句した。


そこには、写真の女性の全体像はもちろん、パーツが執拗に描き込まれていた。


笑顔の口元。


目尻のシワ。


ふわりと跳ねた髪の先。


「これ……」


「教室に入ってから、アイツの写真を元に、描いてはみたが……」


老人の顔に悔しさがにじむ。


描かれたデッサンは、お世辞にも上手いとは言えない。

全体のバランスは崩れ、何より生命力に欠けている。


だけど。


この不器用な線の一本一本に、この人の、どうしようもないほどの執念と愛がこもっているのがわかった。


「おかしいだろ?コイツのダンナなのに、アイツを何十枚描いても、ちっとも似ないんだ……

何枚描いても、だ」


ため息をついて、色褪せた写真をなでる塩浜さん。

考えたくないけど、俺も陽菜と別れたりしたら、こんな風になってしまうのだろうか?


「思い知らされたよ……しょせん、ワシの画力なんてこんなものだ。

……笑ってくれ」


俺は全力で首を振る。

そこまでの想いをこめて絵を描いたことなんてあるだろうか。


いや、ない。


陽菜の不死鳥の絵だって、アイツがいたからこそ、描けた。

それだって、俺がたまたま絵を人より上手く描く事ができたからに過ぎない。

塩浜さんは、何もないところから奥さんに会いたい一心で、記憶の中の彼女を描き続けてきたのだ。


「いえ……僕に塩浜さんを笑う資格は……ありません」


本心だった。


面影を追う老人は、諦めとも言える表情を浮かべた。


「……悔しいのだよ……ワシの目は、あの日の笑顔がありありと浮かぶんだがな……」


想いが練り込まれたスケッチブックを俺が返すと、塩浜さんは安心したように鞄にしまった。


「塩浜さん……そのスケッチブックから……伝わってきました。

……痛いほど」


「おお、そうか!では、さっそく……」


「ちょ……ちょっと待ってくださいっ」


腰を浮かしかけた塩浜さんを慌てて止める。

年齢と肩書の割に、やたらフットワークの軽いおじいちゃんである。


「ごめんなさい、まだ、心から『やります』って言えないんです」


あからさまに怪訝な顔をした塩浜さんが、テーブルに乗り出すように覗きこんできた。


「……なぜだね?君は横丁で、新品の壁に『スス』や『サビ』を描き足して、そこに『何十年もの歴史』を作ったじゃないか」


興奮気味の塩浜さんは、さらにたたみかける。


「……その技術……いや、君でしか持ち得ない、そのセンス。

そのセンスで、ワシの記憶の中にある瑞恵を……アイツの匂いや温もりを蘇らせて欲しいんだ」


こんな塩浜さんは初めて見た。

大切な奥さん、瑞恵さんへの剥き出しとも言える想い。


そんな重たいものを、俺の中途半端で未熟な技術で引き受けていいのか?


もし、瑞恵さんを呼び戻せなくて、マネキンのような絵になってしまったら……。

なおさら、この依頼を受けることをためらってしまう。


しかし。


あのスケッチブックに描かれた想いと、色褪せた写真で笑う、溌剌とした瑞恵さん。

とても魅力的な人だったのは、すぐわかった。


描いてみたい。


もし、この人が「まとっていたもの」を俺で再現できたら……と思う。

そして、もし、陽菜が突然、俺の前からいなくなってしまったら、アイツの絵を描くだろうか、と考える。


答えはイエスだ。


何としても、描くだろう。


写真ではなく、やはり絵だ。

俺の手で、去って行った陽菜を描き、俺の気持ちを整理する、と思うのだ。


自分の唇に指を当てる。

何度か重ねた、幼なじみの唇の感触。


いつも赤くして、恥ずかしそうだけど、嬉しそうに笑う恋人の顔。

彼女から漂う、甘く爽やかな香り。


ただ、これは、俺の話であって、塩浜さんの話とは別だ。


「少し……考えさせて頂けませんか?……お願いします」


テーブルが目の前に迫るくらい、頭を下げた。


「わかった。次の教室であったとき、答えを聞かせて欲しい」


顔を上げたとき、茨城のドンの威厳に満ちた顔があった。


「……すまんな、ワシもジジイだな、せっかちになっとる」


そう言いながら、塩浜さんは、いつもの少しおどけた笑顔を見せた。

だけど、別れ際に一瞬だけ見せた、寂しげな横顔が、俺の脳裏に焼き付いて離れなかった。

【担当:誉田灯(情念の画家/高校生)】

「……少し、考えさせてください」 深々と頭を下げた俺の胸には、塩浜さんの寂しげな横顔が焼き付いていた 。

もし陽菜が、俺の前からいなくなってしまったら。

俺は、震える手で彼女を描こうとするだろうか。

……答えは、最初から決まっていたのかもしれない。


次回、第84話『柊珈琲店の事情聴取と、半分この約束』 隠しごとはできないね。……最強の「かえるくん」は、すべてお見通しだった 。

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