表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【情念の画家】地味な僕のフェロモンと筆ペンで、彼女たちの理性が限界突破する件  作者: 船橋ひろみ
第五章:未来キャンバスと、素顔の肖像画(ポートレート)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

80/90

第80話:情念の画家、あるいはドンからの依頼

ため息が思わず漏れる。


久しぶりの絵画教室のレッスン。

夕暮れ時の公民館の会議室でデッサンだ。


さっぱり鉛筆が走らない。

おおよその形をとらえた線を描いたまま、動くはずの手が動かない。


俺は、目の前に置かれたヴィーナス像の白い肩をぼんやりと見つめたまま、右手の鉛筆を止めていた。


『さあ、私をしっかり描いてちょうだい』


と言いたげなたたずまいだ。

なんとなくその面影が、横丁のベンチにいた赤いピエロに重なる。

もう、あのベンチは提供していたハンバーガーチェーンのどこかの店舗に返却されているはずだ。


アイツ、今ごろ元気でやっているかな。


俺の妄想でしかないが、みるたびにあのピエロは何かを俺に語りかけているように見えた。


陽菜からデートに誘われたとき、はやし立てているように見えた。

お客さんと写真に収まっているときは、ドヤ顔に見えた。

デートの時は、陽菜の隣で『彼女の事は任せておけ』と送り出してくれたように見えた。


「むうっ、うまくいかん!

なんでこう、目尻のシワの一本……

たった一本の線がが上手く引けんのかねぇ」


嘆きのボヤキが聞こえる。

塩浜さんであった。


横丁の最終日の慰労パーティーで見せた、茨城のドンというような、威圧感溢れる面影はない。

今は一人の「デッサンが苦手なおじいちゃん」として、ワイシャツの袖を捲り上げて画用紙と格闘している。


ちょっと覗き見ると、頭を振りながら、練り消しゴムで消している画用紙は、毛羽立ち、黒ずんでいる。 


何度も描いては消さないと、こうはならない。


何度かこの像を描いているはずだけど、どうしたのだろう。


「こうじゃない……こうじゃないんだ……」


いつもの陽気で穏やかな塩浜さんじゃない。

大野のおばあちゃんが「まあまあ、根を詰めすぎですよ」と、穏やかな微笑みを浮かべながら彼をなだめる。

しかし、元県議会議員のおじいちゃんは、石膏像そのものではなく、ビーナスの優しい表情を下敷きに、自分の脳裏にある「何か」を描きだそうとしていた。


「塩浜さん……画用紙変えましょうか」


描いては消し、という様子が気になったのだろう、今日はレッスン生として参加しているつくばさんが、歩み寄って声をかける。


俺は知っている。


彼女が作品制作で調子が上がらない時、モチベーションを上げるためにレッスンに参加することを。


横丁の仕事が終わった疲れもあるのだろうか、これから課題に取り組むという美大生は、少し疲れているように見えた。


レッスン中にインスピレーションが湧いて、ブツブツと歩き回る「つくばの念仏」も、ここ最近は全く見れなくなってしまった。


「ああ……すまないね」


我に返った塩浜さんが、つくばさんに振り返って、ふっと笑う。


「灯くん……手が止まっているぞ」


巡回していた日立先生が、俺の肩を叩く。

そうだ、ぼんやりしている場合じゃなかった。

気を取り直して、小さな鉛筆削りでガリガリと鉛筆を削ると、削りたての木の香りが漂う。

それはあまりに清潔すぎて、俺にとっては、不安と心細さが深まる感覚に陥った。


つい数日前まで、俺の指先には塗料がこびりついていたはずだ。


ウエスでどれだけ拭い去っても消えなかった溶剤の、鼻を突くような刺激臭。

スプレーガンで塗りつけた塗料の臭い。

内覧会前日の塗り漏れをリカバリーしたコーヒー塗料の濃厚すぎる香り。


ごちゃごちゃと混ざり合った、「現場の活きた街の匂い」が、今はもうどこにもない。


あの横丁で、銀さんと一緒に、わざと煤けさせ、錆を浮かせ、数十年分の「嘘の歴史」を刻み込んだ看板や壁。


きっと、解体工事もだいたい終わり、倉庫に戻っているはずだ。

今ごろその看板や壁は、ただの産業廃棄物として処理されているのだろう。


うーん、と伸びをしてみる。


制服の袖についたボタンがカチンと鳴った。

もう、ペンキ屋の衣装を着ることもない。


ごく普通のモブ高校生に戻ったことを実感する。

当たり前だが、日常に戻った学校生活は、拍子抜けするほど淡々と過ぎていく。


だが、俺の感覚は、まだあの「昭和ノスタルジー横丁」の夕焼けの街に置き去りにされたままだった。


教室の外の空が塗装したように見えたことがあった。

夕方の時はなおさら横丁の空に見えてしまう。

街中では、建物の経年劣化の様子をじっと見るクセが直らない。


放課後など、考え事をして自転車を走らせていて、気がついたらモールの駐輪場にいて、自分自身に驚いたこともあった。


それなのに、グランドフィナーレ前に、作業の隙間を縫ってスケッチした横丁の風景はスケッチのまま、作品にはなっていない。

横丁の仕事が終わったあと、すぐにでもイラストサイト「残響画廊」に作品を上げるつもりだったし、そう思っていた。


しかし。


いざ描こうとしても、家で白い画用紙に向き合ったままなのは、教室と同じだった。

肩をぐるぐると回したあと、ため息をつきながら再び画用紙に向き合う。

【担当:誉田灯(情念の画家/高校生)】

鼻を突く溶剤の匂いも、耳にこびりついた解体音も、もうどこにもない。

真っ白な画用紙を前に、俺の筆は迷子になっていた。

「現場」を失い、ただのモブ高校生に戻ってしまった俺 。

だけど、あの「ドン」だけは、俺の中に眠る何かを見逃してはくれなかった。


次回、第81話『跳躍する少女、沈み込む僕』 陽菜は空を跳び、俺は泥の中へ。……そして、運命の依頼が動き出す 。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ