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【情念の画家】地味な僕のフェロモンと筆ペンで、彼女たちの理性が限界突破する件  作者: 船橋ひろみ
第四章:黄昏の職人と、捏造された昭和

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第72話:オニツカタイガーの英雄(ヒーロー)、赫い閃光

タン、タンっ!ダァァァンっ!


空気の揺らぎを頬に感じたかと隣を見ると、幼なじみが『消えていた』。


そして、競技並みに跳躍して男の子を片腕で抱きとめると、闘牛士のように台車を(かわ)した。

一瞬の出来事だったはずだが、俺にはその時だけ、赤く輝く陽菜が時間の止まった中を動いているように見えた。


「わぁぁぁぁっ!」


抱きとめられた男の子が、状況を理解して火のついたように泣き出した。

気がついたスタッフさんが慌てて台車を止める。


「あ、あの……すみません、この子……迷子ちゃんです。

……どなたか呼んでください」


肩で息をする陽菜は、ホッとした顔で、抱きしめた男の子の背中を、ゆっくりとさすっていた。




帰り道、バスの中では二人とも終始無言だった。

「やっぱりちょっと恥ずかしい」とオニツカタイガーから再びパンプスに履き替えた陽菜は、ずっと俺のジャケットを摘まんでいた。

迷子をスタッフさんに引き渡したことで、俺たちが二人がいっしょにいることが横丁のスタッフみんなに知れ渡ることになり、それ以上は居づらくなって出てきたのであった。


本物の夕焼けに染まるモールを出て、最寄りのバス停に着く頃には、すっかり暗くなっていた。

暗い道をそぞろ歩く。

時々通り過ぎる車に照らされる陽菜の生成り色のワンピースと、うつむき加減な赤い顔。


手を握るのが恥ずかしいのか、陽菜の手はずっとジャケットの袖を握っている。


「……それにしても、さっきはすごかったな、陽菜」


一瞬のうちに、男の子を救い出した身体能力は、さすがアスリートと言うべきか。

俺が幼なじみを振り返ると、彼女は俺のジャケットの袖を握ったまま、照れくさそうに笑った。


「……『危ない』と思ってたら、身体が先に動いてたの……

すごいでしょ、私」


袖をクイっと引いて、ゆっくりとVサインで指を立てる。

うつむいたままなので、顔が赤いのはわかるけど、表情まではわからない。


俺はニコリと笑ってうなずく。


フリルや髪がふわふわと揺れるとともに、パンプスの靴音がカツカツと響く。


「ともくんのこだわりも……すごいと思うよ……

ああいう気持ちだから……

いっぱい人が来てくれるんだと思う」


靴音に消されそうなか細い声で、ぽつぽつと言葉を絞り出す陽菜。

凛とした声でお客さんを案内している人も、こんな声で話すのか。


ほめてくれたのは素直に嬉しい。

ただ、俺は銀さんの教えてくれたことを守って、実力不足なりに懸命に仕事をこなしただけだ。


照れ隠しに摘まれたジャケットの袖をわざとブンブン振る。

うつむいた幼なじみからクスクスと笑う声が聞こえた。


「お……ようやく」


小さな頃から見慣れた家、陽菜の自宅が見えてきた。

自然と歩くスピードを緩め、どちらともなく立ち止まった。


「陽菜……今日はありがとう……

いっしょにいれて楽しかった」


ジャケットの袖先につながっている幼なじみに声をかける。


「陽菜……?」


袖を握る手が震えている。

街灯の陰で、やはり表情はわからない。


「私……嬉しかったんだ……

ともくんといっしょにお仕事できて……

やることは違うけど……でも」


まるで、陽菜の心から絞り出るような言葉と声。

街灯の光に照らされた黒い髪が揺れる。


「学校なんかじゃ見れない、私の知らないともくんがいたの……

とっても真剣で、一生懸命に頑張って、横丁を作ったともくん……」


うつむいていた幼なじみの顔が上がり、街灯ではっきりと紅潮した顔が見えた。


悲しみや怒り、絶望や希望。


ないまぜになった自分自身の気持ちを燃料に、自分の意志を、不死鳥のように()ぜさせた表情。


彼女が自己ベストを出した大会で俺に見せた表情にとても似ている。


一つ違うのは、その強烈な意志を宿した瞳から、大粒の涙が溢れ出てきたことだ。


「そんなともくんに……

他の女の人の匂いがついてるの……

ガマンなんかできないよぉっ!」


生成り色のスカートがふわりとはためくと、袖を掴んでいた手が一瞬離れ、今度は腕を掴んで引っ張る。

感情の爆発がそうさせるのか、重いと言っていたリュックを背負った俺ごと引き寄せた。


「うわあああ……ううぅっ」


俺が声をあげる間もなく、幼なじみは、俺にしがみついて嗚咽をもらした。


「やだ……嫌なんだもん!

……ともくんが……ともくんが、違うところに行っちゃうの!」


駄々っ子のように、俺の胸を叩きながら泣きじゃくる陽菜。


俺は、陽菜がアスリートであるがゆえの『影の部分』を知っている。


ストイックに激しいトレーニングに耐える強い心身を持つ彼女だからこそ、その代償として、必要以上に頑張ったり、自分の感情を抑えつける。


そして、それを自分自身で解決しようとしてしまう。


誰かに言いたくても、アスリートとそこらの高校生とは置かれている環境が違う。

悩みに共感したり理解してもらえない孤独を幼なじみはずっと抱えているのだ。


俺は、陽菜の背中を撫でながら、ゆっくりと、噛んで含めるように言った。


「……かえるくんは、がまくんがそばにいると、とても安心でした」


「ともくん……!」


大会前の公園で陽菜と話したとき、別れ際に彼女が言った、童話の一節だ。


あの時、俺はそばにいると約束した。

それは今も変わらない。


陽菜をコーチしたりなんてできないし、特殊な能力なんかない。

でも、こんな俺を大切に思ってくれる気持ちに応えられるとしたら、そばにいて、俺なりに彼女を支えることなのだ。


身体を震わせてしゃくり上げる幼なじみ。

俺は黙って背中をさする。

きっと数分間程度だろうけど、何十分と感じられる時間。


「……ごめんな、陽菜の気持ちに気づいてあげられなくて……

あーあ、せっかくのかわいいメイクが台無しだ……」


「……もう、ホントだよぉ……そんなこと言われたら、また泣いちゃうよ……」


むくれた口調で俺の胸をポカポカ叩く陽菜。


涙で濡れた瞳で見つめられた次の瞬間、陽菜の顔が近づいてきた。


むちゅっ。


目を見開く俺。

【次回予告担当:神栖陽菜(幼馴染/感情の爆発)】

……気づいたら、身体が動いてた。

男の子が無事でよかった。

でも、帰り道のバスの中で、気持ちがおさまらなかったの。

灯くんが、遠くに行っちゃいそうで。

私だけの灯くんでいてほしいのに、知らない匂いがついてて。

もう、ガマンできない。

幼なじみとか、応援とか、もういいの。

私の気持ち、全部、灯くんにぶつけるから!

次回、第73話『街灯の下の告白、重なる唇』

言葉はいらない。ただ、熱だけがあればいい。

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