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【情念の画家】地味な僕のフェロモンと筆ペンで、彼女たちの理性が限界突破する件  作者: 船橋ひろみ
第四章:黄昏の職人と、捏造された昭和

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第71話:死んだ守り神、許されない「綺麗事」

違う……これは『横丁の招き猫』じゃない。

ただの『良くできたイベント用の作品』だ……。


思わず鉛筆を握りしめる俺の隣で、生成り色の幼なじみがはしゃぐ。


「うわぁ……すごーい!

大きくて、ピカピカしてるね!」


スマホで写真を撮る陽菜の隣で、スケッチブックの真新しいページを開いた俺は、気持ちを抑えようと招き猫のスケッチに集中した。

現れた招き猫は、確かに形は資料通り完璧に再現されている。

さすがは美大生だ。

デッサンに狂いはないし、表面は傷一つなくピカピカに磨き上げられている。

エアブラシで吹かれた塗装は、工業製品のように均一で美しい。


だからこそ、である。


「綺麗」だが、この横丁に「馴染んで」いない。

雨が降ればどう汚れるか。

陽が落ちればどう影を落とすか。

そんな「時間の経過」を一切無視した、新品のような異物だ。


会場は歓声に包まれ、あちこちでシャッター音が聞こえる。


拍手や笑顔で横丁のシンボルを迎える除幕式出席者。


「陽菜、ちょっとだけごめん!」


寄りかかっていた身体をずらしてもらい、リュックから資料を取り出す。


「ああ……()()()()


引っ張り出した『左官・塗装の技法史 〜モルタル造形とペンキ絵の世界〜』という本をめくってため息をつく。


「なにが、()()()()なの?」


再び寄り添ってきた幼なじみも資料を覗き込む。

俺は付せんを貼ったページを指さした。


「オリジナルがあのサイズなら、当時はプラスチックはつかわれていない。

だから、中は木枠で、表面はモルタルか漆喰のはずなんだ。

再現するなら、あんなツルツルじゃないんだよ」


俺を見つめてうなずく陽菜を横目に、もう一冊の資料『写真で見る 昭和の商店街と看板建築』の付せんを貼った箇所を開く。


当時の商店街に掛けられていた、さまざまな看板のカラー写真が見開きページに載っている。


「もし、再現するなら、こんな風に当時のペンキっぽく、わざとムラを出さないと横丁に馴染まないんだ」


「そこまでするの……?」


鼻白む陽菜に俺はうなずく。


そこまでしないと、対価は生まれない。


銀さんははっきり言わないけど、教えられたことや銀さん自身の仕事ぶりから、俺はそう思っている。


「うん……銀さんからそういう風に教わって仕事したし……

そうだなあ、今度、電気屋さんの看板を見てみてよ。

そういう風に塗ってあるよ」


小ネタを仕込んだ、アヤナミブルーの電気屋さん『黒潮電気通信』の看板。

お客さんたちのために、俺たちは本気の嘘をついているのだ。


しかし、この招き猫からは、この街に流れる「本気の嘘」への敬意が、微塵も感じられなかった。

そもそも、納期が遅れた時点で、銀さんから教えられた仕事の流儀からすればアウトだ。


「灯くん……本当に……変わったね」


いつの間にかラムネを取り出した陽菜が、ゴクゴクと飲みながら小さくつぶやく。

ラムネ特有の甘い香りが鼻をくすぐった。


「はい、どーぞ///」


いっそう身体を寄せた幼なじみが、もう一本のラムネを差し出す。

夕焼けに染まる陽菜は、少しとろんとしてはにかんでいる。


俺の顔がほころんで、スケッチを止めて瓶を受け取ったその時だった。

うっとりと緩んでいた陽菜の顔が、サッと引き締まり、怪訝な表情に変わる。


「……?なんか、ラムネじゃない匂いがするよ……?」


俺が受け取ったラムネ瓶がギュギュッと音を立てた。

陽菜は狩猟犬のように、俺のシャツに鼻を寄せる。


「なんだか、お洋服、ヘンな匂いがするよ……

それに、こんなヨレヨレだった?」


「私が寄りかかっていただけで、こんなにならないだろう」と言いたげに、俺のジャケットを正す幼なじみ。

お披露目が終わったので、メインストリートに戻るお客さんが、俺たちの目の前を通り過ぎていく。


「ねえ……?本当に、買い物行っただけ?」


コクコクとうなずく俺の頭の中をいろんな言葉がぐるぐる回る。


陽菜の言うとおり、買い物に行っただけだ。


ただ、その買い物が予期しないことだらけだった、ということなのだ。


パン屋さんにショートカットしたいばっかりに、岩瀬さんには意図しないで壁ドンして、吐息を感じる距離まで密着してしまった。


ラムネを買いに行けば、典子先輩にいたずらのように迫られて、バックハグした挙げ句、首筋に唾液たっぷりのキスをされる。


その上、今、除幕式会場で後片付けをしているつくばさんとは、少し前に抱きつかれて顔を埋められ、さらに別れ際に、口紅の感触がわかるくらい、頬に強く唇を押し当てられたのである。


リュックを背負って買い物に出ていれば、もし同じ目にあったとしても、リュックに入っているものでなんとかバレないようにできたのではないか。

だからといって、陽菜が寄せてくれたリュックを預かるという好意を断ることは、あの時、選択肢にない。


視線が絡まる。

後片付けだろう、台車が通り過ぎるガラガラという音が遠くに聞こえる。


「ともくん……横丁の人から頼りにされてるから……

でも、そんなことないって信じたいけど……」


幼なじみの潤んだ目は、怒りとも悲しみとも言えない光をたたえていた。


「うぇぇぇ……ママ……」


子どもの泣き声で、絡まった視線がほどけて、二人して声の方を向いた。

人混みで親御さんとはぐれたのだろう、小さい男の子がキョロキョロしながら泣いている。


陽菜と視線が重なる。


その瞬間、瞳から「潤み」が消え、陸上選手の鋭い目に変わった。


うなずいた幼なじみは男の子に話しかけようと腰を浮かし、俺はスタッフさんを探そうとした時だった。

泣きながら男の子が、フラフラと後片付けの台車の前に出てしまった。


人混みが死角になって、台車のスタッフさんは男の子に気づいていない。


「……!危ない!」

【次回予告担当:神栖陽菜(幼馴染/探偵モード)】

灯くん、すごく怒ってる。

仕事に対して真剣だからこそ、許せないんだね。

そういう横顔、かっこいいなって思う。

……でも、ちょっと待って。

灯くんから、ラムネじゃない匂いがする。

それに、この口紅の跡はなに? 首の赤みは?

「買い物に行っただけ」?

……ともくん? 私、誤魔化されないよ?

――えっ、あの子、危ない!!

次回、第72話『オニツカタイガーの英雄ヒーロー、赫い閃光』

嫉妬も追及も後回し。走れ、不死鳥!

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