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【情念の画家】地味な僕のフェロモンと筆ペンで、彼女たちの理性が限界突破する件  作者: 船橋ひろみ
第四章:黄昏の職人と、捏造された昭和

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第70話:消えた幼なじみ、そして除幕式のベル

スマホを取り出そうと、ジャケットの内ポケットに手を突っ込んだ時だった。


「ペンキ屋さん!」


「灯くん!」


斜め後ろから呼ぶ声がする。

ハッと振り向くと、陽菜とお種おばさんがそれぞれひざくらいの円柱に腰掛けていた。


「遅いよ、灯くん!」


「だめだよ、お兄さん……

こんなかわいい娘をまたせちゃあ」


そういうやいなや、二人は「ねー」と顔を見合わせてうなずき、ニコニコと笑い合った。


「ホント、ごめん……

人がすごいのと、ちょっと話したりすることもあって……」


俺はホッと胸をなで下ろし、二人に歩み寄ると、お種おばさんは円柱から立ち上がって生成り色の看板娘に手を振った。


「さて、渡す物も渡したし……

アタシは仕事にもどるからね。

じゃ、陽菜ちゃん、今日は楽しんでね」


「はい。ありがとうございました」


横丁のメインストリートに歩いて行くおばさんを見送って、陽菜に袋を差し出しながら円柱に座る。


「お待たせ……揚げパンとラムネ、買ってきた」


「もう……なかなか帰って来ないんだもん。

写真撮りたそうな人たちもいたから、こっちに動いたの」


袋を受け取りながら、むくれた顔で俺をみる。


「ごめんな……荷物重かったろ」


幼なじみの足元にあるリュックを自分の足元に引き寄せようとして屈む。


「あれ……?」


スラリと伸びる足先にあるのは、パンプスではなく、見慣れたオニツカタイガーであった。

リュックを引き寄せながら、看板娘を見上げる。

陽菜は照れたようにはにかんで、パタパタと両足を交互に振った。


「本当はいけないんだろうけど、お種おばさんにお願いして、衣装のスニーカー、持ってきてもらったの……変?」


俺はゆっくり首を振った。

履き慣れないパンプス。

さすがの陽菜も歩きにくかったのだろう。無理もない。


確かにフリルのついたワンピースには、スニーカーは合わないかもしれない。

だけど、それがどうしたと言うんだ。

トレードマークのポニーテールをおろした。


フリルのついたワンピースを着た。


慣れないパンプスを履いて来た。


メイクも彼女なりにきめてきた。


そして、ここで俺を待っていてくれた。


今の俺は、他の女性の匂いや痕跡がついた、どうしようもない姿かもしれない。

けれど、陽菜はそんなこと知らずに、ただ俺のために笑ってくれている。


それ以上、何を陽菜に求めるのか。


俺なんかのために頑張ってくれた。


それでもう、十分だ。


『それでは、皆さまお待たせいたしました。

昭和ノスタルジー横丁のシンボル、招福の招き猫の除幕式を行います!』


保土ヶ谷さんの張り切った声が響く。

俺はリュックからいつものスケッチブックを取り出して、横丁を回って気がついた事をメモしながら、別のサイズのスケッチブックに除幕式の様子をザッと描いていく。


『えー、この招き猫のオリジナルはですね、かつてこの地にあった霞百貨店の入口に設置されていたそうでございまして……』


紺の覆いがかかっているオブジェの周りをせわしなく往復する保土ヶ谷さんのアナウンスが続く。

独演会モードなのか、スラスラと言葉が出てくるが、集まった人たちはスマホをかざしてカシャカシャと写真を撮ることに夢中で、保土ヶ谷さんの話を聞いているかあやしかった。


「わあ、揚げパン、まだあったかいよ。

灯くん、ありがとう」


隣の幼なじみは、よほど空腹だったのか、袋から出した揚げパンを足をパタつかせながら、モフモフと食べている。

狙ったのかわからないけど、ベンチからこの場所に移動していてよかった。

除幕式全体が見れてありがたい。


保土ヶ谷さんの独演会じみた、招き猫の紹介が続く。


『……えー、夜にはこの招き猫が瞬きしたとか都市伝説がございましてね……』


だんだん会場がまったりとした空気になってきた。

余計なお世話ながら、誰か保土ヶ谷さんを止めた方が良いんじゃないか、と思いつつスケッチを進める。


コツン、と肩に何かぶつかった。


横目で肩を見る。


夕日に照らされて、つやつやと光る幼なじみの頭が見えた。


俺の様子を伺うような目。


俺は静かにうなずいた。


ジャケットの袖がそっとつままれ、ワンピースの袖と重なる。


俺は黙ってスケッチを続ける。

全体を描きこんだので、少し細かい部分に手を入れる。


緊張しているのか、ふるふると震えていた幼なじみの身体は、肩に重さが加わる頃には次第に深く、落ち着いた呼吸に変わっていった。

あたりに漂う、甘く、それでいて爽やかで濃密な香り。

陽菜といるとき、いつも感じる匂いだ。


「……あ……やっぱり……落ち着く……」


幼なじみの小さく掠れた声。

陽菜の呼吸のリズムと預けられた身体の重さが心地良い。


「ねえ……なんか今、身体がすごく軽い感じがする。

……ふわふわするっていうか、背中にバネが入ったみたい……不思議」


ジャケットの袖をギュッと握り、幼なじみは身じろきをしてため息をつく。


「あーあ……大会の時もこうしていたらなあ……」


あの時、フェンスの向こう側にいた陽菜に手を伸ばして触れたかったが、陸上部の西谷に『陽菜に触れたら競技妨害で陽菜が失格になる』と言われたので、フェンスを挟んで会話しただけだった。


それでも彼女は『(あか)い翼』で羽ばたいて自己ベストを更新したのである。

もし、今、陽菜の感じている『身体が軽い』ことが本当なら、あの自己ベストはもっと伸びていたのかもしれない。

しかし、それは仮定の話でしかないし、陽菜は陽菜自身の実力で結果を出したのだ。

俺はせいぜい背中を押した程度でしかない。


でも、そう思ってくれる幼なじみの存在が嬉しかった。


うっとりとした陽菜の声に宿る気持ちに、俺は自然に笑顔になっていく。


会場では、ようやく保土ヶ谷さんの独演会モードが終わりを迎えようとしていた。


『……さて、いよいよとなりました、常陸野造形美術大学の皆さんが命を吹き込んだ、招福の招き猫、お披露目です!』 


総監督の日立先生や、モールの偉い人と思われるスーツ姿の男女が並び、紺の覆いに手をかける。


そして、ファンファーレとともに覆いが外された。


ばさり。


拍手とともに出現した招き猫を一目見て、俺の胸に冷や水を浴びせられたような不快感が走り、絶句してしまった。

【次回予告担当:誉田灯(ペンキ屋の若親方)】

陽菜は待っていてくれた。

しかも、わざわざスニーカーに履き替えて。

俺のために、そこまでしてくれる彼女の笑顔が、本当に眩しい。

でも。

ファンファーレと共に現れた「そいつ」を見た瞬間、俺の血の気が引いた。

……違う。

こんな「綺麗なだけの作り物」は、俺たちの作った横丁(世界)じゃない。

次回、第71話『死んだ守り神、許されない「綺麗事」』

職人のプライドが、その「嘘」を許さない。


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