第68話:案内所の密室、あるいは芸術家の独占欲
重い荷物を持たない俺は、いとも簡単に引っ張りこまれてしまう。
モダンガールは、俺をそのままカウンター裏のバックヤードに引きずっていった。
ガタガタ、バタン。
バックヤードのドアが閉まる。
つくばさんは、うっとりした呻き声をあげながら、俺の身体をベニヤの壁に強引に押し付ける。
「え!? ちょ……つくばさん」
「ああ……灯くん……
会えて……良かった……」
密着した身体から、モダンガールのひくひくという震えが伝わる。
頭がバグりそうになって、思わず周囲を見回す。
薄暗いスペースは、臨時のキャストやスタッフ用のはっぴや、大量のパンフレットといった備品が積み上げられた狭い空間だ。
押し付けられた背後のベニヤ板に見覚えがあった。
俺が銀さんと出会って最初に塗った銭湯絵の裏側であった。
つくばさんと俺の荒い呼吸が響く。
「……じっとしてて。
……今、私、『色』が足りないの……
忙しくて」
「い、色、って……。
つくばさん、何を……」
「しゃべっちゃダメよ……
じっとしてっていったでしょう?
このままでいなさい」
モダンガールは俺の胸元に顔を埋め、何かを吸い取るように深呼吸を繰り返す。
つくばさんは、俺が近くにいるとインスピレーションが湧くという。
日立先生のアトリエや美大の部屋で言われた事だ。
彼女が言った『色』とはそのような事なのだろうか。
「灯くん……
君が近くにいれば……
招き猫は私だけで完成できたかもしれないのに……」
俺の胸元に押し当てられた両手が、ギュッと俺のシャツを掴む。
今日、お披露目される招き猫のレプリカは、本当はつくばさんが制作する予定だったのか。
「あの時……
君が来てくれたら……
私の招き猫は……
暴走しなかったのに」
つくばさんが押し殺した涙声を出しながら、いやいやするように額を当てる。
「あ……!」
俺は思わず声を上げた。
陽菜の大会前日、つくばさんから『作品が暴走した、明日アトリエに来て』とメッセージが来たのだ。
しかし、幼なじみの応援という大切な約束を守るためと、つくばさんの才能を信じる俺は、彼女の依頼を断ったのである。
あの時、暴走した作品は、飾られるはずだった『つくばさんの招き猫』だったのだ。
日立先生のサポートが忙しくなったので、彼女がレプリカ制作を離れたのは事実だろう。
しかし、その前につくばさんが失敗した事で、常陸野造形美大の有志に制作が引き継がれたのだ。
断りを入れた俺の返信に、つくばさんは『作品に向き合ってみる』と返信してきたが、本当はどうだったのだろう。
ベニヤ板一枚隔てた横丁から、にぎやかな笑い声が聞こえる。
「お姉ちゃん……ごめん……」
絞り出すようにつくばさんに囁く。
相変わらずラムネ瓶で両手がふさがっているのがもどかしい。
瓶を置く事もできないので、腕でモダンガールの背中をさする。
大きな吐息の熱がシャツ越しに伝わってきた。
しがみつくように身を捩っていたつくばさんが、ピタリと動きを止めた。
「あら……?
なんか甘い匂い……
女の子みたいな匂いがする……」
シャツに顔を埋めながら、目だけ動かして俺を睨む。
俺の体温と鼓動が急上昇する。
「あ……首筋になんかついてるわ……
ヤダ、本当に誰かとイチャイチャしてたの?」
甘かった。
拭えなかった若妻・典子先輩の「印」。
唾液たっぷりの音はしたけど、触れた感触は軽かったし、動転して両手がふさがったままで案内所に来てしまった。
モダンガールに詰問されて、妙に身体がじっとりしてきた。
「……きゃうっ!
……あはぁっ///」
俺の胸の中で彼女の身体が、大きく波打った。
「……なんか、悔しい……
私の弟、いつの間にモテるようになったの?」
嫉妬の言葉を囁くつくばさん。
恍惚とした表情で、俺の頬にひんやりとした手を添えた。
「ねえ、灯くん。
……いっそ、君を私のアトリエに監禁してしまいたい」
目が潤みきっていて、焦点がぼやけている。
「すいませーん……
あれ?案内の人、巡回中だって。」
案内所に来たお客さんが去って行く。
ベニヤ板一枚向こうから聞こえる物音や声は、遠い別世界のものみたいだ。
「……君がそばにいてくれたら、私は一生、傑作を創れるのに。
……あなたは、私だけの『色』なのよ」
モダンガールは、ポケットから例の「口中香」を取り出すと、それをゆっくりと自分の舌の上に落とした。
「……この間の続き、いいでしょ?」
ラベンダー色のつくばさんの前髪と、俺の黒い前髪が触れる。
喘ぐような吐息を感じる。
彼女の口から漏れる、人工的な香料の香り。
高ぶった体温の混じり合った、むせ返るような『昭和の夜』の匂い。
濃密な吐息を吹き付けられて、クラクラする俺に、モダンガールが顔を寄せる。
「あなたの『色』と『熱』、私に分けて……」
【次回予告担当:日立つくば(美大生/暴走中)】
足りないの。
「色」も、「熱」も、全然足りない。
あの招き猫が失敗したのは、君がそばにいなかったから。
君さえいれば、私は傑作を生み出せたのに。
だから、責任とって?
口中香の味、君の記憶に焼き付けてあげる。
これはマーキングよ。君は、私の素材なんだから。
次回、第69話『口紅の署名、中断された儀式』
唇の距離、あと数ミリ。邪魔をするのは誰?




