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【情念の画家】地味な僕のフェロモンと筆ペンで、彼女たちの理性が限界突破する件  作者: 船橋ひろみ
第四章:黄昏の職人と、捏造された昭和

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第67話:若妻の刻印、消えない首筋の熱

「わ……わかってます」


「仕事に……戻るね」


段ボール箱を抱えた若妻がウインクする。


「はい……お疲れ様です……」


心臓が口から出そうなほどに脈打っている。

今にもダッシュでここを出たい気持ちを押さえつけて、俺は静かに靴を履いてストックスペースを出る。


そのタイミングを見計らって、典子先輩がお店にラムネの補充に出た。


「はーい、ごめんねぇ!

ちょっと手間取っちゃった。

ラムネ、これから冷やしまーす!

少しだけ待ってね……」


朗らかな声がお店の裏にも響く。


とりあえず、ラムネは買えた。

早くパン屋さんに向かわないと。


店先の人混みから、子どもたちに囲まれている典子先輩と目があった。

会釈すると、瞳の潤みが取れきれない若妻の唇が『また、今度ね』と動いたように見えた。


静かにストックスペースを出て、ひとまず駄菓子屋から離れた。

自分の身体がぶるぶると震えているのに気がついた。


首筋に付けられた典子先輩の「印」の感覚がありありと残っている。


平静を装っても、自分自身には嘘はつけない。

越えてはいけない線の向こう側に、俺は踏み出そうとしてしまった。

首筋が気になって仕方がない。


典子先輩の「印」を拭おうとして、ラムネ瓶が首筋にあたった。


「あ……袋……」


やはり、気が動転していたのだ。


ラムネを袋に入れてもらわず、手で掴んで持って来たことに気がついた。

今さら引き返して袋に入れてもらうのも変だ。


だいいち、ただでさえ駄菓子屋は混雑しているし、典子先輩にどんな顔をして会えというのか。

俺は、何食わぬ顔をして駄菓子屋に行けるほど大人じゃない。


陽菜にリュックを預けたことを後悔した。

これでは両手で持つしかないし、手の熱で『生暖かいラムネ』といういかにも美味しくなさそうな飲料を持ち歩くことになってしまう。


そもそも、荷物を背負っていたら、事務的にラムネが買えて、典子先輩をバックハグなんてしなくて済んだのではないか……。

そして、首筋に「印」を付けられずに済んだのではないか……。


俺はブルブルと首を振った。

ともかく、まずはどこかで袋をもらおう。


ちょうどパン屋に行く途中につくばさんのいる案内所があるから、訳を言ってビニール袋を一枚もらうのがいい。


人肌のぬくいラムネなんて美味しくないだろうし、そもそも両手にラムネを持ったまま、揚げパン待ちの列に並ぶのは間抜け過ぎて気が引ける。


各テナントに向かう人の流れに逆行して、案内所に向かう。


早く、揚げパンを手に入れて、陽菜のところに戻らないと。


焦燥感ばかりが募るが、服装は必要以上に乱れ、喘ぐように息をしている今の俺。

たかだか揚げパンとラムネを買いに行っただけなのに、あまりにも違和感がある。


岩瀬さんにしても、典子先輩にしても、もらい事故みたいなものだが、起こったことが起こったことだけに、陽菜に余計な心配をかける……あるいは、鋭い彼女に「何か」を悟られてしまうのではないか、という不安が募る。


少なくても、両手がふさがっているので、典子先輩がキスした場所がそのままだ。

唾液と唇の感触を拭いたくても拭えなくてムズムズする。


鏡もないので、首筋の「印」がどんな事になっているかわからない。


ともかく、今は約束通りのものを手に入れる。

そして、典子先輩の「痕跡」を消して、幼なじみとピエロの待つベンチに戻らなくては。


グランドオープンから一週間。案内所のスタッフさんも増員されたと聞いている。


来場者が真っ先に向かう案内所もまた、お客さんの案内や問い合わせ対応で、きっと忙しいに違いない。

袋をもらってすぐパン屋さんに向かおうと、身構えながら案内所にたどり着く。


「あ……あれ?」


俺が辿り着いた時、そこには奇妙な「静寂」があった。

たまたまなのか、お客さんもスタッフさんもいなくて、モガの衣装に身を包んだつくばさんが、ポツンと座っていた。

お客さんの波が収まったばかりなのか、溌剌とした雰囲気はなく、ボーッとしてカウンター脇の椅子に座り込んでいる。


「つくばさん……お疲れ様です……大丈夫ですか?」


俺の声に、彼女がゆっくりと顔を上げた。


「あ……灯くん……どうしたの?

もうお仕事はおしまい?」


やはり、典子先輩と同じようなことを聞いてくる。


「あ……いや……休みです。

銀さんから、お客さん目線で横丁を見てみろって」


ボーッとした視線が俺の手元で止まった。

両手に二本のラムネ瓶。

モダンガールがニマリとした。


「あらぁ?二本も両手に……

どうしたのかなぁ?」


「あ……これは……あ、あの、袋……」


カタン、椅子から立ち上がり、俺に歩み寄るつくばさん。

近づくにつれて瞳の焦点が徐々に定まって、視線で俺をなめ回す。


「あれぇ?ラムネを買っただけなのに、なんでこんなに服装がぐちゃぐちゃなの?」


声色が粘り気をおび、顔色も紅くなっていく。


つくばさんはどこからか、『巡回中』の札を持ち出して、銭湯の番台を模したカウンターにそっと置いた。


「あ、あの……ひ、人混みが……すごくて……」


うつむきながら、しどろもどろに答える。

実際は、人混みどころでない「スゴいこと」が立て続けに降りかかっているのだが……。


「嘘はダメよ……本当はどうしたのかなー?

お姉ちゃんに教えてよ」


たしなめるように歩み寄るつくばさん。

近づく気配に顔を上げると、目があった。


「……!つ、つくばさん」


ここに初めて来たとき、二人きりになって迫られた、あの時の目だ。

俺は魅入られたように身動きができずにいた。


鼓動が早くなり、こめかみのあたりがガンガンと熱く脈動している。


触角のように跳ねるラベンダー色の前髪が、俺の額に触れた。

あの時と同じように、果実を煮詰めたような甘い香りが鼻をつく。


「お、お姉ちゃん……お客さんが来るよ……」


「黙って。……こっちに来て。

本当のことをお姉ちゃんに教えなさい」


ぐい、と俺の腕をつかんで引っ張る。

【次回予告担当:日立つくば(美大生/モガ)】

……匂うわ。

灯くんから、私の知らない「女」の匂いがする。

安いラムネと、湿った昭和の生活臭。

許せない。

私のキャンバスを、勝手に汚したのは誰?

ねえ、灯くん。

案内所は今、無人なの。

バックヤードなら、誰にも見られないわよ?

お姉ちゃんに、本当のこと……全部、吐き出しなさい。

次回、第68話『案内所の密室、あるいは芸術家の独占欲』

嫉妬という名の絵の具は、とても鮮やかです。

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