第65話:探偵の撃沈、逃走先は駄菓子屋
岩瀬さんがポツリと呟いたとき、タタタと足音が聞こえた。
さっきの男の子だ。べそをかいてスンスン言いながら、キョロキョロしている。
「あ、あったあ!」
俺の足元に駆け寄ると、何かを拾い上げた。
駄菓子屋でクジ売りしているスーパーボールだ。
そこそこ大きいので、良いヤツを当てたのだろう。
「おにいちゃんおねえちゃん、何してるの?……!?」
見上げた壁ドン状態の俺たちを見て、男の子の顔が引きつる。
「わっ!おねえちゃん、はなぢだ!
ママーっ!このおねえちゃん、はなぢが出てるぅ!」
面倒なことになった。
「……行きなさい」
鼻血が伝った顔で、探偵助手がぴしゃりと言う。
「私は大丈夫です。人を待たせているのでしょう?
私の用件は済みました。もう結構です」
男の子がお母さんを引っ張っているのが見える。
岩瀬さんに目で『早く行け』と急かされて、俺はパン屋さんに向かった。
だんだんちいさくなる男の子の声。
オモチャ屋さんからパン屋さんは近いが、ああなってしまった以上、1回離れておいた方が無難だ。
仕方なく予定を変えて駄菓子屋に向かう。
週末の今日なら典子先輩と田辺先輩の若夫婦役の二人がお店にいるはずだ。
たぶん店内が混んでいるだろうから、ちょっとお客さんには悪いけど、裏口あたりからササッとラムネをもらおう。
時間がなければ、陽菜の分だけでも買えれば十分だ。
案の定、駄菓子屋に近づくにつれ、人と歓声が増えてきた。
お店の前には、ちょっとしたスペースがしつらえてあり、子どもたちが買ったばかりのメンコやベーゴマを、お種おばさんに教わりながら遊んでいる。
これも、プレオープンにはなかった。
ハチさんのバナナの叩き売りにしても、駄菓子屋にしても、変化している。
期間限定の架空の街だけど、街そのものが、今この時間、たしかに息づいている気がした。
駄菓子屋『おみやま』の店内を覗く。
プレオープンほどではないけど、やはり店内はごった返している。
キャストである先輩二人が呼び込みや接客を担当し、モールの社員さんがレジ打ちという役割のようだ。
レジで会計を済ませたお客さんが、袋いっぱいの駄菓子を抱えてお店を出て行く。
やはり、小見山高校購買部のエースの実力だ。
今日も普通じゃない売上高になりそうである。
若奥様役の典子先輩が、小さな来店者たちの応対をしている。
「……あー!おめでとう!スーパーボール二等よ」
クジの紙をめくった典子先輩が、小さい女の子に手をたたきながら笑いかけると、その女の子は嬉しそうに跳ね回った。
典子先輩は陳列棚からピンポン球くらいのボールを取り出すと、女の子にニコニコと手渡す。
ラメが入ったマーブル模様のボールを受け取った瞬間、女の子の顔がパッと明るくなった。
きっと、こうした風景は、昭和の駄菓子屋さんでよく見られたはずだ。
「遊ぶときは、お父さんかお母さんといっしょに遊ぶのよ……
お姉さんと約束ね」
キラキラした表情でうなずく女の子。
典子先輩のことだ、どの子にも言っているはずだ。
ということは、オモチャ屋で岩瀬さんに壁ドンしてしまった原因を作った男の子は、この約束を守ってなかったということか。
ちょっとお説教の一つでもしたくなる。
いや、その前に陽菜にラムネと揚げパンを持っていくのが先だ。
あまり待たせてしまうと、俺が説教されてしまう。
「すみませーん、典子先輩、ラムネ……」
「お姉さん!クジ引かせて!」
「このお菓子ちょうだい!」
子どもたちの元気な声に阻まれて、俺の声は届かない。
「あら、だめよ、クジは一本ずつ引かなきゃ。
……一度に三つ引きたいの?じゃあ、特別よ。
お姉さんとボクで、ナイショにしてね。
……あ、キミ、そっちのお菓子は20円。
こっちのお菓子と買うともっとおいしいわよ」
子どもたちが典子先輩に欲しいものをつげたり、当たったモノを自慢しに来たりして、入れ替わり立ち替わり、話かけられている。
田辺先輩は、年配のお客さんの昔話ににこやかに応対しながら、一つ、また一つと駄菓子を箱買いさせていっている。
まともに呼んだら、たぶん無理だな。
典子先輩が反応しそうな言葉を思いついた。
「……奥さん……典子奥様!」
子どもたちに向けていた表情がサッと変わり、声の主を探し始めた。
目が合う。
気づいてくれた。
「あら……誉田くん……今日はお仕事おしまい?」
「いや、休みです。お客さんとして、横丁に来ました。
……ラムネ、もらえます?」
子どもたちに向けたものと明らかに違う声色で聞いてくる典子先輩。
心なしか、既に顔が上気して朱い。
典子先輩は、『おいしい冷やしラムネ』とポップが貼られているラムネ用冷蔵庫を覗き込むと、首を振った。
「ごめんね、お姉さん、ちょっと倉庫にラムネ取ってくるね」
群がる子どもたちに、にこやかに笑いかけてふすまを隔てたストックスペースに向かう先輩。
俺に向かって「裏口に回って」とゼスチャーする。
頷いた俺は、お店の前の人混みをかき分けて裏口に回った。
典子先輩が入っていったストックスペースのふすまは、俺が依頼されて修理したものだ。
『あの時』の事を思い出す。
昭和の団地の四畳半を模したストックスペースで、典子先輩の湿った視線を感じながら作業した。
そして、よろめいた先輩を抱きとめてしまった。
その時の典子先輩の声と柔らかな肢体の感触は、忘れたくても忘れる事ができなかった。
『……捕まっちゃった。ふふ、悪い人ね……』
そう言いながら、典子先輩は、うっとりとした目で俺を見上げたのだ。
そして、俺の胸板を舐めるように手を這わせたのだった。
勝手口のドアをノックして、スルリとストックスペースに入る。
抑え目の照明と裸電球、ポツンと置かれたちゃぶ台。
通りかかったお客さんから見えない場所に置かれている駄菓子のストック。
あの時と変わらなかった。
【次回予告担当:風間典子(先輩/駄菓子屋の若妻)】
……あら、誉田くん。
シャツの乱れ、荒い息遣い。
まるで、誰かから逃げてきたみたいね。
ここは懐かしい昭和の駄菓子屋。
そして、お店の奥には、誰にも邪魔されない四畳半があるの。
ねえ、誉田くん。
ラムネの在庫、一緒に取りに来てくれる?
……夫(慎一くん)には、内緒よ?
次回、第66話『四畳半のストックルーム、湿度は120%』健全な駄菓子屋の裏で、背徳の扉が開きます。




