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【情念の画家】地味な僕のフェロモンと筆ペンで、彼女たちの理性が限界突破する件  作者: 船橋ひろみ
第四章:黄昏の職人と、捏造された昭和

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第64話:路地裏の実験室と、壁ドンの誤算

振りほどこうとしても、ロックされたように袖が掴まれている。

それどころか異様な力で引っ張られる。


セットの物陰からヌルリと姿を現したのは、やはり。


「い……岩瀬さん!」


眼鏡の奥で妖しく瞳が光る。

岩瀬さんの小動物フェイスと相まって、不気味さが際立つ。

いつもの探偵助手の衣装と「記録」の腕章。

その先にある華奢な手は俺のジャケットを握りしめている。


「……『ミライ・スコープ』の外箱を作成した報酬。

……まだいただいていません。

鎌ヶ谷氏に問うても、いつものらりくらりと(かわ)されてしまう……。

あなたが今日、非番でこちらに来ると聞き、待ち伏せしていたのですよ」


「ま、また仕事をサボってこんなことを……」


プレオープンの日に岩瀬さんから外箱報酬の話を聞いて、銀さんに確認したときの事を思い出す。


『ああ……灯、すまん。

つい勢いであの嬢ちゃんに、灯を貸してやるって言っちまった』


『えー!?やめてくださいよ。

そんな約束したら岩瀬さん、本気にしちゃいますからー、アハハ』


……やっぱり本気にしていた。


『ミライ・スコープ』を作った時、提出までに時間がなく、俺たちは必死だった。

完璧に昭和に擬態するため、銀さんは、岩瀬さんにこの捏造した昭和のオモチャの外箱を、特急で制作してもらったのだ。


銀さんは、以前俺が資料室で岩瀬さんに捕まったとき、彼女を思い切り凹ませている。


銀さんのことだ、彼女に悪いと思って、ついリップサービスしてしまったのだろう。


岩瀬さんは、懐から怪しげな機械を取り出した。

資料室で見たときより、小型になっていた。

新しく作り直したのだろう。


「美術室のあの絵の筆致、そして、この横丁の塗装のクセ……

あの絵師の紡ぎ出す、情念のタッチに似ている……

さあ、誉田くんっ!この計測機であなたを丸裸にし……?」


俺は、振りほどこうとするのをやめた。


「フフフ、ようやく観念したのですね!」


グイグイ引っ張っていた岩瀬さんは、ここぞとばかりに、俺に迫る。


俺は首を振った。


肉食獣のようににじり寄る探偵助手の表情がわずかに変わる。


「観念……そうかもしれない。

あの時、俺……俺たち、どうしても勝たなくてはいけなくて……」


ショーケースの前で、小学校低学年くらいの男の子が、目を輝かせて『ミライ・スコープ』を眺めている。


「でも、時間も無かった。

……あの時、あんなことを頼めるのは、岩瀬さんしかいなかったんだ」


男の子が、ショーケースを指さして、お母さんと思われる女性に何か話している。


「銀さんに聞いたよ。

確かに、外箱を作るお礼に俺を貸すという約束をしたって……」


俺は銀さんの言葉を思い出していた。

お客さんが本当に喜ぶなら、ウソはついていい。


しかし、逆の場合はどうだろう?

目の前の岩瀬さんは、まさしく、その『逆』なのではないか。


「銀さんも、俺に言いにくかったのかもしれないな。

のらりくらり、返事を延ばして悪かった。謝るよ」


男の子のお母さんが、貼り紙を見て、男の子に話しかけている。

非売品だということを伝えているようだ。


男の子に失望が広がる。


「実験……したいんだろ?

わざわざ、待っていてくれたんだよな?付き合うよ」


俺の反応が予想外なのか、目が泳いでいる。

心なしか、袖を握る手も震えている。


「さ、最初から……す……素直になれば良いんです

……さ……この、端子を……握って……ください」


「え?これを握ればいいの?」


だんだん声が小さくなるので、周囲の音に邪魔されて聞こえない。


俺も顔を寄せる。


うなずく岩瀬さんの顔が(あか)くなる。


「あ……人を待たせているから、あまり長くは付き合えないよ。

……ごめんね」


「わ、わかってます……すぐ、終わりますから」


差し出した銅線のような物に手を伸ばす。

相変わらず作りが雑だ。

ちょっと微笑ましい。


「ヤダヤダ!!これほしいっ!買ってよ!」


男の子がダダをこね出した。

突然の大声に驚いた探偵助手の手が俺の手に重なる。


「んはっ!……んんっ!……///」


ビクッと大きく身体を震わせる岩瀬さん。

『記録』の腕章が大きく揺れる。


「ヤダーッ!買うんだもんっ!

このオモチャで遊びたいーっ!」


視界の端で、男の子がぴょんぴょん跳ねて、地団駄を踏んでいる。

申し訳ないが、ないものはないのだ。


「あんな子がいるくらいのクオリティが出せたの、岩瀬さんのおかげだよ」


お礼をきちんと言っていなかった。

良い機会なので、恥ずかしいけど、ちゃんと伝えよう。

まっすぐ、岩瀬さんの目を見る。


「ヤダよぉ!買ってよぉ!わぁぁぁっ!!」


ついに男の子が爆発し、泣き出した。

手に持った何かを叩きつける。


「あの時は本当に助かった。

ありがと……!!」


銅線を握ろうと一歩踏み出した瞬間、弾みながら足元に入ってきた何かを踏んだ。

いつものリュックがない分、勢いよく倒れ込んでしまう。


「わわわっ!あぶないあぶないあぶないっ!」


「きゃあっ///」


ドスンッ!


バランスを崩して、オモチャ屋さんの壁に俺が岩瀬さんを押し当てる格好になってしまった。


いわゆる『壁ドン』である。


お互いの視線が絡み合う。

岩瀬さんの表情が凍りついた。


いや、凍りついたのではない。

この状況に対処できないのか、表情筋が固まってしまったようだ。


「……!」


薄暗がりの中でも、彼女の顔が一気に深紅に染まっていくのが分かった。

内面の妄想と興奮が、羞恥心というフィルターを通して滲み出てしまったような、熟れた果実のようなあかい色。


沸騰したようにのぼせた資料編纂担当の、荒い息づかいが聞こえる。


「……あり……がとう」


「ど……どう……いたしまして……///」


岩瀬さんの潤みきった瞳から視線を移すと、怪しげな機械の針がレッドゾーンで小刻みに揺れていた。


「こ……これで……実験できた……?」


「は……はい……///」


探偵助手の赧い鼻から、一筋の別の赤が伝う。


「あ、鼻血が……///」

ママーっ!

あそこで、おにいちゃんとおねえちゃんが、ペッタンコしてる!

おねえちゃん、顔が真っ赤で、鼻から赤いのが出てるよ!?

……どうして?

どうしておねえちゃんは、あんなに嬉しそうな顔をしてるの?

僕、オモチャが欲しかっただけなのに……大人の世界って、怖いよぅ!


次回、第65話『探偵の撃沈、逃走先は駄菓子屋』実験終了。データ計測不能オーバーヒート


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