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【情念の画家】地味な僕のフェロモンと筆ペンで、彼女たちの理性が限界突破する件  作者: 船橋ひろみ
第四章:黄昏の職人と、捏造された昭和

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第57話:水玉の案内人と、行列の向こう側

典子先輩は、あの四畳半の密室で「捕まえちゃった」と言った時のように、いたずらっぽく片目を閉じてウインクしてみせた。

そして「お姉ちゃん、何それ?」と興味を持った子供に向き直って何か話し始めた。


捕まっちゃいけない。


あの四畳半での出来事は、セットが生み出した一時の幻だ。

お互いを名前でと呼び合い、支え合って店を切り盛りしている今の二人の姿。

これこそが、揺るぎない真実なのだから。


あまり寄り道もしてはいられないが、来場者でごった返していて、なかなか思い通りに進めない。


「『活きる街』って、こういう事なのか……?」


人をかきわけながら、俺は柊珈琲店を目指す。


「このクルクル回るの、エモくない?」


フォトスポットとして開放されている「ダンディー理髪店」のセットの前。

昭和ファッションの貸衣装に身を包んだ若い女性グループがはしゃぎながら写真を撮り合っている。

設置されているサインポールも、理髪用の椅子も、俺たちがリペイントしてエイジングしたものだ。

もともとはモールの理髪店チェーンが提供した新古品である。

ただ、弾けている笑顔は偽りのないものだ。


「ようやくついた……」


セットの時はスイスイ通れた通りを半分もみくちゃになりながら、俺は目的地の「柊珈琲店」の出店ブースにたどり着いた。


モールのお店と同じようにシックな木目調で、少しレトロ風なお店。

落ち着いた外観ながら、美味しいコーヒーと横丁限定メニューを求める家族連れなどで長い列ができている。

俺は正面からではなく、裏口に回ってドアをノックすると、


「あ、お疲れ様です! 待ってたよー」


柔和な男性スタッフが顔を出した。

ネームプレートには「館山(たてやま)」という名前の上に銀の柊マークが二つ着いている。


「お疲れ様です。すみません、お待たせしちゃって。

……はい、柏木さんから、追加のシュガーをお持ちしました」


館山さんは拝むようにしてトートバッグを受け取った。


「ああ、助かった!

予想以上にお客さんが来てしまって、在庫が心細かったんですよ!」


「こちらこそ、遅くなってすみませんでした。

こんなに混んでいるなんて……」


ふと店内を覗くと、内覧会前日、俺が不審者丸出しで訪ねた時にお店にいた佐倉さんが、トレーを持ってにこやかに接客しているのが見えた。

その笑顔は、忙しさを微塵も感じさせないプロのものだった。


「それじゃ、よろしくお願いします」


「ありがとうっ!

銀さんにもよろしくお伝えください!」


お使いも終わったので、少し遠回りだけど、お客さんたちの流れに逆らわずに作業場に抜ける通路入り口に向かう。

おいしそうな匂いとともに、長蛇の列が見えてきた。


ダックベーカリーだ。


モールのお店と同じかそれ以上に混雑していて、他のお店とは段違いの列が出来ていた。


「はーい、ダックベーカリーの最後尾はこちらでーす!

足元にお気をつけてお進みくださーい!」


横丁限定の「懐かしの揚げパン」を求める客でできた列は、通りを埋め尽くすほど長い。

その列を整理しているのが、鮮やかな水玉模様の開襟シャツを着た陽菜だった。


「お姉さん、ここにある『肉のムラマサ』ってどこにあるの?」


「はい。ここをまっすぐ進んで左にまがって、ダンディ理髪店のお隣です!

コロッケが美味しいですよ!」


列の誘導をしながら、通りがかりのお客さんからの質問に丁寧に答えている。

内覧会の時に練習していた成果だろう、するすると道順が出てくる。


人の流れに逆らわないとはいえ、ダックベーカリーのルートは失敗だったみたいだ。

往き来する人とお店に並ぶ人が混ざり合って、人の密度が違う。


「あ……うえぇぇぇん!」


人混みの中で、小さな子供の泣き声が響いた。

親とはぐれてしまったのだろうか、男の子が不安げに立ち尽くし、泣き出してしまったのだ。


その瞬間だった。


「どうしたの?大丈夫だよ!」


陽菜が、列の整理をしていた場所から、信じられないスピードで人混みをすり抜けた。

客と客の隙間を縫い、ぶつかることもなく、まるで風のように。

まさに、銀さんが言っていた「水玉の稲妻」だ。

彼女は泣いている男の子の前に膝をつき、目線を合わせて優しく肩を抱いた。


「びっくりしたね。

大丈夫、すぐにお母さん見つかるからね」


彼女は男の子を落ち着かせながら、耳につけたインカムへ冷静に報告を入れる。


「事務局さん、聞こえますか?

こちらは案内・誘導の神栖陽菜です。

ベーカリー前で迷子のお子さんを保護しました。

どなたか来ていただけますか?特徴は……」


手際良く連絡を入れると、どこからか棒付きキャンディを取り出して、男の子に差し出す。

笑顔になる男の子の手をつないで、頭を撫でて落ち着かせている。


その手際の良さと、優しさに満ちた表情。

少し前の、大会のプレッシャーに押しつぶされそうになっていた幼なじみとは別人のようで頼もしい。


事務局スタッフを待ちながら、ゆっくりと視線を動かす陽菜。


俺と目が合う。


彼女はとびきりの笑顔を浮かべると、男の子の背中をトントンとあやしながら、口の動きだけでメッセージを送ってきた。

【担当:陽菜(幼馴染/会場案内係)】

「最後尾はこちらでーす! 足元にお気をつけください!

……あ、灯くん!

見ててくれた? 今の誘導、完璧だったでしょ?

みんな楽しそう。灯たちが作ったこの街が、みんなを笑顔にしてるんだよ。

私、もっと頑張らなきゃ。

灯くんも『が・ん・ば・ろ・う・ね!』

……ちゃんと届いた?」

次回、第58話『屋上のメッセージと、八百屋の声』――陽菜、お前のその笑顔が、一番の看板だよ。

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