第52話:トワイライト・シネプレックスと、開演のベル
「紫煙くゆる薄暗がりで、琥珀色の液体に銀のスプーンを沈める。
カラン、という涼やかな音と共に溶けていく砂糖は、一日の澱を浄化する宝石だ。
苦いばかりが人生ではない。
テーブルの上の銀色のポットには、ほんのひとさじで世界を甘く優しく変えてしまう、合法的な魔法が詰まっているのだから。」
— 『月刊・珈琲とロマン』 昭和43年(1968年) 秋号 エッセイ「黄昏のシュガーポット」より
いつものようにスタッフ通用口から横丁に入ろうとしたら、横丁の一般入場口に人だかりが出来ていた。
「ただいま、特別招待会のお客様の入場を開始しております。
チケットをお買い求め頂いた方はこちらにお並びください。
足元にお気をつけて、奥の昭和の時空へお進みください……」
モールの社員さんが拡声器で呼びかけると、既にチケットを買ったであろう人たちが、シネコンを模した入り口にぞろぞろと並んだ。
内覧会のフィードバック会議で保土ヶ谷さんを撃退した『長い二日間』から一週間経った週末。
ついに「昭和ノスタルジー横丁」のプレオープンの日がやってきた。
今日はグランドオープンに先駆けて、地域の方々やモールのゴールドカード会員を招いた、限定お披露目会だ。
俺は少し立ち止まり、一般入場口の様子を少し離れた柱の陰から眺めていた。
普段は無機質なモールのイベントスペースの入り口が、現代的なフォントで光る『TWILIGHT CINEPLEX』のネオンサインの看板を掲げた、モールにあるシネコンのチケット売り場そっくりに変貌している。
あのお洒落なゲートをくぐった先にある、長い通路。
入り口付近は真新しい壁だが、奥に進むにつれて、徐々にタバコのヤニや煤で汚れた「レトロな映画館」の内装へと変わっていく。
現代から過去へ。
歩くだけで昭和の世界観がインプットされるタイムトンネルだ。
『ここ、自然なグラデーションで汚してくれよ』
銀さんにそう言われて、手前の「現代」から奥の「昭和」へ、少しずつ汚れの濃度を上げながら塗装していった時のことを思い出す。
刷毛を振るうたびに、壁の時間が数十年ずつ巻き戻っていくようで、妙にワクワクしたのを覚えている。
よく見ると、入り口が工事されていた時には貼られていなかった、数年前に公開されていた映画のポスターが貼られていた。
微妙にマイナーな作品なので、きっと保土ヶ谷さんがシネコンに取り入ったんだろう。
『恋で・漕いで』
……さみしげな男女が、肩を寄せ合ってスワンボートを漕いでいるシーンがポスターになっている。
普通、ボートっていったら、手漕ぎボートなんじゃないのか?
……かと思えば、その隣は『ハロウィンナイトで融け合って』という作品だ。
あれ?……この、憂いを帯びた瞳のヒロインと、それを支える実直そうな青年の写真、よく見ると、ヒロインは典子先輩に、青年は田辺先輩にそっくりだ。
「おじいちゃん、早く行こうよ!」
杖をついたお年寄りが目を細め、孫の手を引いて奥に入っていった。
その横顔には、これから始まる「時間旅行」への期待と、少しばかりの緊張が入り混じっているように見えた。
俺たちが作ったのは、ただのセットじゃない。
この人たちの記憶の中にある「一番輝いていた時代」への入り口なんだ。
「さて、俺も行かなきゃな」
俺はリュックを背負い直し、煌びやかな一般入場口をあとに、関係者用のスタッフ通用口へと足を向けた。
すっかり着慣れた作業着兼衣装で作業場に入ると、いつものシンナーの匂いではなく、香ばしいコーヒーの香りが漂っていた。
「おう、灯。おはようさん」
銀さんは、パイプ椅子に座って優雅にタンブラーを傾けていた。
まだ作業着に着替えておらず、ラフなシャツ姿だ。
今日の銀さんは現場での作業というよりは、万が一のトラブルに備えた「待機要員」としての役割がメインだ。
もともと、裏方でプロジェクトに参加しているので、俺のように横丁内の役もなく、いざというときに備えているのだ。
前に役について聞いたら『もともと工事業者の一人として入ったから断った。柄でもないし』と言っていた。
本人は一塗装業者のつもりだったのだろうが、プロジェクトが進むにつれ、エレメカの提供など塗装以外で関わるようになったので、潮時がわからず、ここまで来たのだろう。
きっと日立先生が銀さんを上手く『巻き込んだ』のだと、俺は思う。
「おはようございます、銀さん。……表、すごい行列でしたよ」
「ああ、日立からも連絡が入ってる。
今のところ大きなトラブルもなく、順調そのものだそうだ。
水玉の姉ちゃんも、他の連中も張り切ってるらしい」
銀さんは満足げに頷くと、作業台の上に置いてあった耐熱ポットを指差した。
「灯、来て早々ですまねえが、一つお使いを頼まれてくれねぇか」
「お使い、ですか?」
「ああ。先週の『コーヒー塗装』で借りた耐熱ポットだ。
綺麗に洗ったんだが、店のモノだろうし、いつまでも借りっ放しじゃあ悪いからな。
直美ちゃんに返してきてくれないか」
先週、壁の塗りもれをコーヒーでエイジングするために、俺が柊珈琲店までダッシュで塗料の材料をもらいに行った時のあのポットだ。
中に入っていたドリップコーヒーは、全て壁のエイジング塗装に使われ、今は横丁の一部となっている。
「わかりました。すぐに行ってきます」
「おう、急がなくていいぞ。今日は切羽詰まってないからな」
銀さんはニヤリと笑ってコーヒーをすすった。
その言葉で、一週間前の自分がフラッシュバックする。
あの時は、とにかく間に合わせなくては、という一心で、作業着のまま、なりふり構わずモールの中を全力疾走した。
すれ違うお客さんたちの白い目も、警備員さんの怪訝な視線も、全部無視して。
俺はポットを緩衝材で包み、トートバッグに入れると、作業場を出た。
【担当:船橋ひろみ(作者)】
皆さま、いつも読んで頂いてありがとうございます。
さて、今回、灯くんが一般入場口で見かけた映画ポスター、実は私の過去作です(笑)
ノクターンノベルズですが、私の作品なので、エッチなシーンと人間ドラマを楽しめると思いますよ。
ぜひ、下記のリンクからお楽しみください。
◆『恋で・漕いで』(https://novel18.syosetu.com/n0462ia/)
結婚相談所で知り合った良治とゆりえ。
順調にデートを重ねていく二人だが、いま一歩踏み出せないでいました。
それぞれの想いと傷を負い、二人は雲が浦という湖に車を走らせます。
実はそこはゆりえの特別な場所でした……。傷ついた男女がいたわりあう、優しい官能小説です。
◆『ハロウィンナイトで融け合って』(https://novel18.syosetu.com/n2829hw/)
本作のヒロインの一人、風間典子と、その彼氏である田辺慎一の主演作です。
購買部部員としての慎一の視点で描かれる典子との絆の物語です。
二人がどうしてあそこまで仲睦まじいか、また、のちにアップする話しでなぜ駄菓子屋が驚異的な売上を上げるのか……。
その背景を知るのに良いかと思います。
さて、灯くんがたどるバックヤードの扉の向こうからは、すでに熱気が漏れ出しているようです。
どうやら、横丁のセットに、本当の『命』が吹き込まれたみたいですよ。
次回、第53話『熱狂の入り口と、師匠の指令』この扉を開ければ、そこはもう令和じゃないのです。




