第43話:緊急会議と、銀次郎の秘策
オープンに向けたレイアウト変更と資材の撤去で、誰も気が付かなかった「塗りもらし」が露わになったのである。
そして、計画どおりに使っている塗料の残量で、新しい壁の塗装をまかなえるとは思えない。
「大変だ……陽菜、見つけてくれてありがとうっ!」
言うが早いか、俺は銀さんの待つ作業場へ全力疾走で向かった。
「どうしてくれるんだよっ!明日はどういう日なのか、わかってるよなぁ!」
30分後の事務局の会議室。
塗りもらしが発覚し、緊急会議が召集されていた。
主だった関係者が集まる中、保土ヶ谷さんの怒号とも言える声が響く。
横丁側は総監督の日立先生やチーフアシスタントのつくばさん、キャストと演出の責任者である蘭堂座長、そして塗装担当の銀さん。
俺は銀さんの指示でいつでも動けるよう、彼の隣に同席していた。
モール側は保土ヶ谷さんと上司の小杉部長、そして議事録係の大船さんという若い女性だ。
横丁側とモール側が向かい合うように座り、エキサイトしている保土ヶ谷さんが一方的に喚き散らしていた。
興奮しているのか、同じ話が何度もループしている。
要するに、このようなことだ。
・ 保土ヶ谷さんがいかにテナントに協力してもらっているか
・ 自分がどれだけ尽力して、モールの役員に交渉してこのプロジェクトを進めているのか。
・ それをぶち壊すようなことを横丁側はやっている、どうしてくれるのだ、どう責任取るのか。
という話であり、1分程度で終わる内容をかれこれ15分は喚いている。
つくばさんは保土ヶ谷さんにすっかり萎縮している。
日立先生と蘭堂座長は、手に持った書類を見ながら、目配せして策を練っているようだ。
そして、塗装の現場監督である銀さんは、腕組みしながら、一点を見つめて保土ヶ谷さんの声を聞いていた。
いや、聞き流して何か考えを巡らせている、と言う方が正解だろう。
議事録係の大船さんも、開始5分くらいまではノートパソコンのキーボードを叩いていたが、今はタッチパッドで何かスライドさせている。
時折、キーボードで入力しているので、おそらく別の作業をしているのだろう。
そして保土ヶ谷さんは気づいていない。
自分の言うことに酔いながら、懸命に訴えているその横で、部下の大船さんの指が『議事録を取る動き』ではなく『画面をスクロールする動き』をしていることに。
向かいに座っている俺に見えた、彼女の眼鏡には、無機質なテキストの羅列が反射していた。
あれはきっと、俺たちの会議とは無関係な業務連絡だ。
「……私がテナントの皆さまには、何とかご納得していただくので、対策を考えてほしい」
喚き疲れたのか、保土ヶ谷さんはドカリと座って大きくため息をついた。
大船さんがタッチパッドのスクロールを止める。
小杉部長が咳払いをして切り出した。
「まあ、保土ヶ谷さんが言っているように、モール側の私たちとしても、この状況は好ましくない。
そもそも、追加で塗装は難しいんですか?」
黙っていた銀さんが口を開いた。
「塗装じたいは難しくありません。塗料があればできますから……」
その言葉に対して小杉部長が何か言いかけたとき、かぶせるように銀さんが言った。
「ただし、エイジング塗装、つまり昭和の壁のように古ぼけさせるための塗料は、あの壁に施せるだけの量がない。
取り寄せても時間がかかるし、できたとしてもこれからマトモに塗装したんじゃ、乾ききるか保障はできません」
会議室に、カタカタとキーボードの音が響く。
静寂を破ったのは椅子の音と喚き声だった。
「おいっ!無責任じゃないかっ!あんたプロだろう!
何とかするのが仕事だろうがっ!ちゃんと責任取れよっ!」
「あのな、俺は事実を言ったまでだ。
出来ないことを出来るとは言えないぞ。プロだからな」
飛びかかるようにいきり立つ保土ヶ谷さんに銀さんは一歩も引かない。
「まあ、大道具を持ってきて、その部分だけセットみたいにして隠すのも、一つの手ですね」
日立先生と蘭堂座長がうなづく。
詳しくはわからないけど、横丁のセットで違和感なく動かせるものがあるのだろう。先生と座長が目配せしていたのは、きっとその確認だったのだ。
「明日のアテンドについては、日立総監督と案内のキャストさんが、来訪者がそちらに行かないよう誘導しますので……」
銀さんから標的を座長に変えた保土ヶ谷さんがかぶせるように喚く。
「そんな保証がどこにあるんだっ!案内するのは学生のキャストだろ?
テナント様たちを上手く誘導出来るかわからないじゃないかっ!」
学生のキャストとは、陽菜のことだ。
来て間もないのに、工事業者さんをあんなに手際よく案内したりしているのに。
しかも、今頃は明日のために何回目かの案内の練習をしているはずだ。
それを最初から出来ないと決めつけるなんて。あまりにも失礼じゃないか。
思わず手を握る。
ギリギリと握った音が聞こえたのか、隣の銀さんと向かいの大船さんが「ん?」という顔をする。
俺の怒りをよそに、また保土ヶ谷さんが「独演会」を始める。
「……保証も出来ないことを言うし、塗りもらしも気づけない、おまけに時間がないからごまかすだ?
責任感はないのか!だいたい私がな……」
「保土ヶ谷さん、そろそろ会議室の予約時間が終わります。
次は辻堂事業部長が予約していますが」
大船さんが冷静に保土ヶ谷さんと小杉部長に告げると、「独演会」はあえなく終了した。
大船さんと目があった。彼女が微笑する。
縮こまる保土ヶ谷さんに変わり、小杉部長が日立先生に静かに伝える。
「日立総監督、あなたたちが毎日出している作業報告書に私たちも承認印を押している以上、モールから問われる責任はこちらも同じだ。
できる限りのことはしてもらいたいが、最悪の場合は座長から提示いただいた案で応急措置をするしかない。
保土ヶ谷さんに加え、私も明日はアテンドしよう」
部長の声が震えているように聞こえる。
気のせいかと思っていたら、会議机の下から見えたスラックスも、笑っているように震えていた。
小杉部長も、口では言うことは言うが、本当は責任をかぶりたくないのだ。
カタカタとキーボードの音が響く。
時計を見て、何かの走り書きをしていた銀さんが、ボールペンをカタリと置いて口を開いた。
「総監督さん、元はと言えば、俺が塗りもらしを見落としていたことがきっかけだ。
小杉部長が言ったように、できる限りのことはやる。
それでもダメなら座長の案でやってくれ。それで良いか?」
腕組みしたままの銀さんが日立先生に了解を取る。Noと言わせない「圧」があった。
「銀さん……」
心配そうな総監督の日立先生に、ベテラン職人はキッパリと言った。
「俺は俺の仕事を全うする。
それは俺を選んでくれたあんたと、これから金を払って来てくれるお客さんのためだ。
……おっと」
銀さんはおどけた口調で俺の肩を抱いた。
「俺たち、だったな、灯」
呆気に取られている俺の手に、ベテラン職人はたたんだ紙を握りこませた。
目配せされて慌てて紙を会議机の下で開く。
『モールの柊珈琲店に、柏木直美さんという店員がいるはずだ。
俺の名前を出して、後で払いにいくから、インスタントコーヒーを一つ、濃いドリップコーヒーを一杯、あるだけのコーヒーかすをくれ、と頼んでほしい。
急げ』
大船さんが「退出時間です」と出席者に告げると同時に、俺は会議室を飛び出した。
【担当:大船栞(モール運営事務局/若手社員)】
「……やれやれ。
保土ヶ谷さん、また始まったわね。
あの人の『独演会』、中身がなくて議事録書くのが大変なのよね。
あら、ペンキ屋の男の子、顔色が悪いわよ?
……ふふ、でも安心して。あの職人さん(銀次郎さん)の目は死んでないわ。
何か『切り札』があるみたいね」
次回、第44話『柊珈琲店の女神と、黒い支援物資』走れ灯! タイムリミットは刻一刻と迫る!




