第42話:ラムネの約束と、残酷な塗り残し
「お疲れ様。今、休憩中?」
「う、うん……陽菜は?」
「明日、モールの広報さんが来るでしょう?
日立先生と私で案内するから、当日に慌てないように、確認しているところなんだ」
「へー、大役だなあ」
業者さんの案内やテナント誘導のリハーサルで、忙しく動き回っていたはずなのに、彼女は涼しい顔をしている。
ただ、額に光る汗と、少し乱れた後れ毛が、その運動量を物語っていた。
当日、いっしょに案内する日立先生は、工事や俺たちの作業進捗を把握して判断と指示を出さなければいけない立場だ。
いくらつくばさんがサポートしているといっても、忙しいことには変わりない。
案内する場所の下見をする時間もままならない先生からすれば、陽菜の案内が頼りなのだろう。
先生からもそう言われているに違いない。
そんなことを考えていたら、陽菜が俺を覗き込むように見て、不思議そうに小首をかしげる。
「あれ、灯くん、なんでそんなに目が腫れてるの?」
ギクリとして思わず居ずまいを正してしまった。
保土ヶ谷さんにいびられて悔し泣きしたなんて、とても言えない。
「あ、あの……ちょっと塗装を頑張り過ぎちゃって……細かいパーツが多かったからかなあ?」
「ふーん……」
俺から少し離れた幼なじみは、オレンジ色の象のエレメカに寄りかかった。
小さい子が象にまたがって、10円とかを入れると、少しの間、飛んでいるように動くヤツだ。
これも、駄菓子屋の『ドライビングゲーム』と同じで『いけなみ』の常連さんたちから銀さん経由で提供されたものだった。
話題を変えよう。
ここ最近、作業に没頭していたので、俺はモールの人たちの来訪についてよく知らなかった。
「あー、そういえば、明日の案内って、モールの広報さんだけなの?」
難しい顔をして、看板娘は首を振る。
「ううん、なんか、モールが立ってる土地の地主さんたちが盛り上がってるらしくて、モールだけじゃなくて、地主さんたちも来るみたい。
それにつられて出店テナントの人たちも見学することになっちゃって……案内するところが多くて大変だよ」
やれやれ、という雰囲気だが、まんざらでもなさそうだ。
文化祭でメイドになったし、大会でも結果を出した。
陽菜本人も心に余裕が出来たのだろう。
「でもね、さっき、テナントあたりを歩いたけど、霞座の人たちも張り切ってリハーサルしてたよ」
霞座は、施設訪問とかをやっている劇団だ。
地主さんやテナントさんから気に入ってもらえれば、公演回数も増えるかも知れない。
ハチさんのバナナの叩き売りのセリフはどうなるのだろう。
当日は、セリフを注意していた駐在さんやお種おばさんたちとのアドリブでの掛け合いも飛び出しそうだ。
数日前、リペイントした八百屋の小道具を持って行ったときに渡された、ハチさんの所属するバンドのライブチケットをもらったことを思い出した。
バナナの叩き売りをしたり、軽妙なアドリブをするパンクロッカーを、俺は見たことがない。
「あと、駄菓子屋の二人も、ね」
カランという音とともに、陽菜が掲げたラムネの瓶が照明に照らされてキラキラと輝く。
「駄菓子屋の二人」というのは、役を飛び越えている典子先輩と田辺先輩の若夫婦のことか。
陽菜がラムネ瓶を傾ける。
西日の照明効果も相まって、瓶の輝きは、大会で自己ベストを出した時に見えた、陽菜の赫い翼に似ていた。
思わず見とれていると、幼なじみはベフン、とゲップをして、照明に負けないくらい真っ赤になってしまった。
「き……聞かなかったことにして///」
「わかってるよ」
苦笑する俺に、幼なじみが飲みかけのラムネを差し出す。
「……あげる///」
「別にラムネもらわなくても黙っているってば」
頬を緩めて瓶を受け取る。
喉が渇いていたからちょうど良かった。
炭酸が喉に心地よい。
……まてよ?
これは、もしかして。
上目遣いに俺を見る看板娘は、さっきとは明らかに違う赫い顔で俺を見つめた。
心拍数が急上昇する。
瓶から口を離せなくなった。
俺ににじり寄りながら、赫い看板娘が身体をヒクヒクと震わせる。
ラムネとは違う、甘く爽やかな香り。
大会前に陽菜と公園で話した時に嗅いだ、あの香りだ。
「ねぇ……ともくん///」
ラムネ瓶を傾けたままの姿勢で目だけ動かす。
陽菜は俺とハンバーガーショップのキャラクターの間に割って入るようにベンチに座った。
キャラクターが悲しそうな顔をしたのは気のせいか。
ごくり。
水玉の開襟シャツの胸元から汗ばんだ素肌が見える。
「 ……ねえ、ともくん。
この間の大会……、勇気をくれて……ありがとう」
絞り出すような、かすかな声。
凛々しい声で業者さんの案内をしている人と同一人物と思えないギャップ。
ちゅぽん。
俺はようやく唇からラムネ瓶を外すことに成功した。
「いや、勇気は……ひーちゃんにもともとあったんだよ……
もしかしたら、俺が着火させてあげたのかもしれないけど……」
俺は、コーチングができるわけじゃない。少し人より絵が上手く描けるモブ野郎だ。
たまたま、ペンキ職人役の塗装担当で横丁に参加させてもらっているけど、作業場に帰れば、ひよっこもいいところなのだ。
そんな俺がアスリートの陽菜の記録に貢献できたかもしれない。
それはそれで嬉しいが、偶然に過ぎない。
陽菜は陽菜で勇気を奮い起こし、自己ベストという記録をもぎ取ってきたのだ。
俺の返事に、水玉のアスリートは首をゆっくりと振った。
時折、赫らんだ彼女の身体がぴくんと波打つ。
「ううん……私は……ともくんのおかげだと思ってるよ……」
看板娘の視線に俺の視線が絡め取られる。
ここで視線を外したら、とんでもないことになる、と心が警告をガンガン発している。
「この横丁がオープンしたら……私とデートしてね……スタッフとして、じゃなくて、お客さんとして」
視線を絡め取られたまま、幼なじみにうなずく。
彼女の肩越しに見えるハンバーガーショップのキャラクターが、下世話にニヤニヤしているように見えた。何だかはやし立てられているみたいで、思わずムッとする。
「え……?嫌?」
俺の様子を見て、うっとりとしていた看板娘が驚きと悲しみが入り混じった表情に急変する。
「い、嫌なわけないよ!……で、デートするなら、ニヤけてるとキャストさんたちに何ていじられるかわかんないから、ちゃんとしなきゃ、と思って」
カラカラと飲みきったラムネ瓶を振りながら一息に伝えると、幼なじみは安心したように微笑んだ。
夕日の照明で、ニヤけたように見えるアイツが憎らしい。もっとボロ塗装にしてやろうか。
「ありがとう。楽しみにしてる。約束だよ?」
「ああ、約束だ。俺も……楽しみにしてる」
夕焼けの照明に照らされて、看板娘姿の幼馴染と見つめ合う。
まるで映画のワンシーンのような、完璧な「昭和の青春」だった。
肩越しのアイツがどうにも邪魔なので、それ以上のことをするのに躊躇してしまう。
いやいや、今は休憩中だ。アイツがたしなめているのかもしれない。
「じゃ、私、もう一回りして案内の練習するね」
「あ、ああ。いろんな人がくるものな……」
立ち上がった陽菜に手を振る。
看板娘は大きく伸びをして、横丁を眺めた。
「綺麗な夕焼けだよね……セットなんてウソみたい」
「そう言ってもらえると、頑張ったかいがあったな」
看板娘は大きく深呼吸して横丁を見渡す。
その後ろ姿に俺とアイツで、声なき声援を送る。
サーフェーサーが乾く頃だ。
俺もそろそろ作業場に戻ろう。アイツを一瞥して立ち上がる。
「あ……あれ……?」
水玉の稲妻が怪訝な声を出す。
どうしたのだろうと歩み寄ると、陽菜はある箇所を指さした。
「ねぇ、灯くん、あそこだけ新しい壁みたいだけど、わざと?」
「い……いや……」
俺は血の気が引いた。
幼なじみが指し示した場所は、石膏風な塗装を施しただけの、真新しいベニヤの壁だった。
【担当:誉田灯(ペンキ屋の若親方)】
嘘だろ……。なんで気づかなかったんだ。
資材の裏に、こんな真っ白な壁が残っていたなんて……!
塗料はもうない。時間は明日の朝まで。
間に合わなかったら、保土ヶ谷さんに何を言われるか……!
走れ、俺! 銀さんに知らせるんだ!
次回、第43話『緊急会議と、銀次郎の秘策』会議室は、怒号の嵐だった。




