第38話:水玉の稲妻と、昭和の看板娘
「暑さを吹き飛ばすなら、中央通りの『満腹食堂』に限る。
ここの看板娘が運んでくる『特製スタミナ・カツ丼』は、器からはみ出さんばかりの豪快さが売りだ。
額に汗して働く彼女の健康的な笑顔と、底なしの食欲を見ていると、悩みなど些細なことに思えてくるから不思議だ。
恋も仕事も、まずは腹一杯食べてから。
この娘の運ぶどんぶりには、明日を生きるための『熱』が詰まっている。」
— 『土浦夕刊』 昭和39年(1964年)8月20日付 連載「街のオアシス・味な店」より
平日と違って、週末のショッピングモールは、開店時間を過ぎたばかりだというのに、家族連れやカップルの喧騒で溢れかえっていた。
すっかり見慣れた吹き抜けのエントランスを通り、通い慣れた倉庫に向かう。
「いよいよか……」
ついに、モールのあちこちに『昭和ノスタルジー横丁 期間限定で近日オープン!』と書かれたポスターが貼られた。
そして、横丁に出店するテナントにイベントコラボ商品が並び始めた。
「今日は、揚げパンがありますよー!」
出店するダックベーカリーから弾んだ声の呼び込みが聞こえる。
店先には『昭和ノスタルジー横丁コラボ 懐かしの揚げパン』と書かれたポップが揺れている。
このパン屋さんは、ハンディキャップを持つ人たちが働いているお店だ。
みんな楽しそうに働いていて、しかも抜群に美味い。
ここでしかパンは買わないという人がいるくらい、根強いファンがいて、いつ行っても混んでいる。
「えー!?ノスタルジーコスプレだって!ヤバくない?」
俺と同年代くらいの女の子たちがはしゃいでいるのは、子ども写真館『スタジオマリス』のポスターだ。確かここは大人向けの衣装も揃えた『於母影衣装館』として横丁に出店する予定だったはずだ。
それにしても、ずいぶん賑わっている。
よく考えたら、モールは月に一度のお客様感謝デーだった。
混雑を縫って、モールの最奥に向かう。
普段はバックヤードとして使われている関係者以外立ち入り禁止の巨大倉庫が、あと少しすると、「昭和ノスタルジー横丁」の特設会場に変貌するのだ。
ようやく倉庫にたどり着く。
やれやれと関係者通路へ入る手前、ふと『愛の水色レシート』の回収BOXが目に入る。毎月のお客様感謝デーに合わせて行われるキャンペーンで、投函されたレシートの合計金額の一部が、モールから地域の団体に寄付される仕組みだ。
ずらりと並ぶ団体名の中に『志筑高校 陸上部 後援会』の文字を見つけた。
「……そういえば、陽菜のやつ、ジャンプ練習の跳び箱がボロボロだ、とか言ってたな」
幼馴染の顔を一瞬思い浮かべるが、すぐに頭を振って意識を切り替える。
今の俺に、そんな感傷に浸っている暇はない。
この箱が並んでいるということは、明日はモールの広報担当者が来て、広報用の写真撮影を行う日、いわゆる内覧会となっている。
つまり、今日中に「完成形」に見えるところまで仕上げなければならないのだ。
銀さんの効率的な進め方で、ひととおり仕上がったものの、ここ1週間は嵐のような作業場だった。
毎日学校からここに直行して、夜遅くまで塗りまくった。
俺自身、典子先輩との「あのこと」を早く忘れたくて、ひたすら作業に没頭したのである。
更衣室で、制服から衣装兼作業着のつなぎに着替えていると、通路から台車のガラガラという音がひっきりなしに聞こえる。
オープンに向けて、各テナントの搬入が本格化しているのだ。
「よし……やるか、あと少し、あと少し」
オープンギリギリまで塗装は続く。俺は鉛のように重い腕を回した。
いつものように通路を抜け、見慣れた横丁エリアに入る。
しかし、広がっていた光景は、いつものものとは少し違っていた。
「……ん?」
横丁の路地は、搬入物の段ボールや、撤去待ちの資材、工事用の機械があちこちに置かれ、いつも以上にごちゃごちゃとしている。
それだけではない。
「あれ? 電気屋のセット、こっちじゃなかったか?」
工事機械を通したり、セット組み立てがしやすいように変えられていたエリアのレイアウトが、本来の横丁のそれに変えられているのだ。
数日前に事務局からお知らせが来ていたようだが、作業の追い込み中だったのでチェックできていなかった。
資材の山に視界を遮られ、俺は自分の庭であるはずの横丁で迷子になりかけていた。
「いやー、参ったなあ」
声のする方向に振り向くと、同じ境遇と思われる年配の工事業者が、困った様子でウロウロしている。
手にはレイアウト図と思われる紙を持っていた。俺が見たら、少しはわかるかもしれない。
おじさんに声をかけようとした、その時だった。
「はい、電気工事の方、お疲れ様です!あちらから現場に入ってください!
足元のケーブル、気をつけてくださいね!」
凛としてよく通る、聞き覚えのある声が響いた。
声のした方を見ると、業者のおじさんがウロウロしていた資材あたりから、一人の女の子が姿を現した。
三角巾に、レトロな水玉模様の開襟シャツ。
腰には「満腹食堂」と染め抜かれた藍色の帆前掛け。
そして足元は「オニツカタイガー」のスニーカー。
完全に「昭和の看板娘」の格好だった。
「通れない? いえ、大丈夫!通れます。私についてきてください!」
彼女はそう言うと、大人がまたぐのにも苦労しそうなパイプの束を、忍者のような軽やかなステップで飛び越えた。
トン、タン、とリズムよく弾むその動きは、歩いているというより、重力と遊んでいるようだ。
「え……?陽菜……?」
俺が呆気にとられていると、彼女は俺に気づき、ニカッと笑って駆け寄ってきた。
その後ろの方では、工事業者のおじさんが、陽菜の言うとおりにどっこいしょ、とパイプを懸命に越えていた。
「あ、灯くん! お疲れ様。迷子?」
「なんでお前がここにいるんだよ。しかもその格好……」
陽菜の話では、陸上部顧問の上杉先生からプロジェクトに参加してほしいと打診があったという。
『愛の水色レシート運動』で、陸上部はかなりの金額を寄付してもらっているので、モール側に協力することを決めたそうだ。
確か、登録団体は陸上部の後援会だが、寄付されたお金は、ほとんどそのまま陸上部に入るので、実質的には陸上部が寄付を受けているのである。
いつだったか、俺の両親がそんな会話をしていたのを思い出す。
「……でね、稲毛先生にも話したら、灯くんがいるっていうし。
それに、典子先輩もいるんでしょ?」
ウキウキと話す看板娘にコクコクとうなずき返す。
忘れようとしていた「若妻」典子先輩がまた記憶に蘇り、嫌な汗が噴き出してきた。
「あ……そうそう」
陽菜は声を潜めた。
「岩瀬さんもいるんでしょ?」
再びコクコクとうなずく。
忘れようとしていた「探偵助手」岩瀬さんが記憶に蘇り、さっきと別の嫌な汗が噴き出してきた。
「私、ここのテナントの案内とか誘導とかするんだって。
まだ、来たばっかりだから、いろいろ覚えている最中だけど、オープンまでに何とかするから。
案内係、任せてよ」
「そ、そうなの……頑張って」
あまりの唐突な展開について行けない俺の返事を、爽やかな笑顔で返すと、彼女はまた別の迷っている業者を見つけ、疾風のように駆け出していった。
パイプ束を越えていた業者のおじさんが、ポカンとして呟くのが聞こえた。
「……なんだありゃあ。まるで『青い稲妻』だな」
青い稲妻?『真紅の稲妻』じゃなくて?
どちらにしても、高機動すぎる案内役だ。
「……さて、銀さんのところにはどう行くのかな」
俺はおじさんにレイアウト図を見せてもらうため、彼に駆け寄った。
【担当:神栖陽菜(幼なじみ/看板娘の案内係(志筑高校から参加))】
灯くん! 見て見て!この横丁の路地、迷路みたいでワクワクしない?
私ね、ここなら誰よりも速く『風』になれる気がするんだ。
……え? 『青い稲妻』?ふふっ、おじさんたちったら大袈裟なんだから。
でも、灯くんが迷子になったら、私がすぐに見つけてあげるからね!
次回、第39話『赤い悪魔と、理不尽な追加発注』灯くん、事務局さんにお使い?




