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【情念の画家】フェロモンのおかげか、地味な僕が筆ペンで描くだけで、クールな彼女たちの理性が限界突破している件 ~日常系かと思ったら、昭和レトロな情念バトルが始まりました~  作者: 船橋ひろみ
第四章:黄昏の職人と、捏造された昭和

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第36話:朱《あか》い若妻の誘惑と、魔法の手

「え?……あ、すまん、もう少し兄ちゃん借りて良いか?……うん、わかってるって」


蘭堂さんが俺に向き直ると、もう一つ修理して欲しい場所があるのでそちらもお願いしたい、と言った。


「詳しいことは若奥さんから聞いてくれ。私たちはモールの人と打合せだ」


田辺先輩と座長が連れ立って出かけていく後ろ姿に典子先輩が「あなた、早く帰ってきてね」と見送る。

どこまで演技なのかわからないリアルっぷりだ。


二人の姿が見えなくなると、典子先輩は俺に向き直り、


「この奥の倉庫……ふすまの建て付けが悪いのよ。直してくれる?」


「え?……俺でできれば……」


案内されたのは、駄菓子屋の店舗の奥にある、在庫置き場として使われているスペースだ。

そこは、昭和の団地の一室を再現した『四畳半』のセットだった。

裸電球、ちゃぶ台、お客さんの視線に入らないスペースに積み上げられた、駄菓子の段ボール。


妙に生活感のあるその空間は、表の賑わいから遮断された、完全な密室だった。


「ここよ。……このふすま、たまに開かなくなるの」


「わかりました。見てみます」


古びた加工をしているのか、どこかから本物を調達してきたのかわからないが、建て付けが悪くて確かに滑りが良くない。

道具箱から工具を取り出し、金具を緩めたり締めたりしながら、調整していく。


この空間には、俺と典子先輩しかいない。


工具でふすまをいじる音と、遠くで聞こえる工事の音。

スピーカーチェックなのか、昭和の懐メロが時折聞こえる。


「……どう?直りそう?」


典子先輩は、どこからか持ってきた、お茶を乗せたお盆をちゃぶ台に置き、俺の背中を見つめたまま動かない。

その所作は、完全に『夫の留守中に業者を招き入れた妻』のものだった。

俺が作業している背中に、典子先輩の視線を感じる。


「……?」


突然、作業服を何かに摘まれた。

振り向くと、典子先輩は、段ボールの上に置かれていた『赤と黄色のプラスチックが格子状に組まれた、伸び縮みする魔法の手のオモチャ』を手に取り、カチカチと鳴らした。


「ふふ……。捕まえちゃった」


「……なにやってるんですか。だいたいそれ、売り物ですよね?」


「懐かしくて、つい。……ねえ、これって便利ね。

手の届かないところにいる人でも、こうやって引き寄せられるもの」


心拍数があがる。

俺は再び作業に戻り、ふすまの調整を続ける。

時折聞こえるカチカチというオモチャの音に加え、背中に若妻の舐めるような視線を感じる。

一室に流れる空気は、なぜか「前世からの因縁」めいた、より濃密で逃げ場のない湿度を帯び始めていた。

ただならぬ雰囲気に、早く本来の仕事に戻らなくては、と心が警告(アラート)をあげる。


「奥さん、ふすま、調整しました」


ふすまを滑らかにスライドさせる。

雰囲気が伝染したのか、典子先輩を「奥さん」と呼んでしまう俺がいる。


「ありがとう……でも、不思議ね。誉田くんと一緒にいると、なんだか『ずっと昔からこうしていた』ような気がしてくるの……」


カチッ。

作業服の手前で魔法の手が止まる。


「お、奥様……な……何をおっしゃってるんですか」


心の警告音が大きくなり、俺はつとめて冷静に工具をしまい始めた。


衣擦れの音がしたので顔を上げる。


目の前で典子先輩が、よろめくように小道具のタンスに手をついていた。


「奥様……先輩、大丈夫ですか?」


半分、素に戻って様子を伺う。

二人きりの空間だ。何かあったら弁解できない。


「……ダメよ。これ以上、ペンキ屋さんを見ちゃいけないわ。

私には、心に決めた主人がいるのに……そんなふしだらな……」


独り言のようだが、その葛藤がリアルなのかフィクションなのか、判別が難しい。


俺の視線に気づいていないのか、朱い顔の典子先輩は、誰もいない空間に向かって、苦しげに溜息をついている。

結婚指輪のつもりだろうか、左手の薬指を右手でギュッと握りしめ、身をよじった。


「でも……今の私は一人なの。この部屋には、私と、一生懸命にしてくれる若い職人さんだけ……。

ああ、いけないわ、どうしてこんなに胸が(うず)くの……!」


彼女は、自分の中で勝手に盛り上がり、勝手に葛藤していた。

その姿は、昭和の昼メロのヒロインそのものだった。

蘭堂座長の指導の巧みさがなせるのか、本気とも取れそうなあまりの迫真の演技に、冷静に声をかけた。


「……あの、奥様……典子先輩?」


「来ちゃダメ! ……ううん、来てほしいの? どっちなの、私!」


彼女は俺に背を向け、自分の肩を抱いて震えている。


「すいません、俺、そろそろ戻りたいんですけど……」


俺の言葉なんて聞いちゃいない。

さっきまでど素人の人と思えない、役の入りようだ。


先輩は『憑依型』の役者なんだろうか?


「……このままじゃ……このままじゃ、私……!」


典子先輩は、振り返りざまに、足をもつれさせた。


「ああっ、めまいが……! 」


「うわっ、危ない!」


俺は反射的に、倒れ込んできた彼女を支えたので、典子先輩と抱き合う形になってしまった。


「ひぁっ……///」


若妻の身体が魚のように跳ねる。

典子先輩からのむせかえるような甘い香りを感じ、俺の全身から汗が噴き出す。


「お……奥様っ!」


「……捕まっちゃった。ふふ、悪い人ね……」


彼女は、うっとりとした目で俺を見上げ、俺の胸板に手を這わせた。

【担当:誉田灯(ペンキ屋の若親方)】

やばい、やばい、やばい! これ演技ですよね!? 奥様……違うっ!典子先輩、完全にイッちゃってませんか!? 『あなた』とか『奥様』とか、もう訳が分からない!

ちょ、先輩、距離が……! 香りが……! 心臓の音が聞こえそうなくらい密着してるんですけどーーッ!!


次回、第37話『氷の青と、粋な電気店』 俺は、昭和の団地妻から生還できるのか?

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