第33話:軍鶏鍋の夜と、職人のダメ出し
「見ろよ! この真っ赤なプラスチックの腕が、キミの代わりに『欲しいもの』をガッチリ掴んでくれるんだ!
遠くにあるお菓子も、気になるあの子の落とし物も、この『魔法の手』があれば思いのままだぞ。
ただし、グリップを握る手にはご用心。
強く握りすぎると、バネが戻らなくなっちゃうからね。夢もオモチャも、熱くなりすぎると壊れちゃうんだ。」
— 『月刊・少年科学』 昭和41年(1966年)12月号 特集「未来をつかめ!僕らの夢の万能ハンド」より
モールの一角、ベニヤ板と足場で囲まれた「昭和ノスタルジー横丁」の現場には、今日もシンナーとコーヒーの混じった独特の匂いが漂っていた。
「……よし、色味はこんなところか」
俺は、刷毛についた余分な塗料を縁で落としながら、手元のモックアップ(試作品)を確認した。
ここに来てもう一週間たった。
最初はただの「手伝い」だった俺も、少しずつ現場の空気に馴染み、今では店舗看板のデザインや、セットの下塗りを任されるまでになっていた。
まあ、デザインといっても、銀さんがほとんどやっているので、俺は補助みたいなものだけど……。
それでも、一週間前の俺なら、きっと「そんな重要なこと」とビビって、とてもできなかっただろう。
しかし、初日に打ち合わせた作業計画には、俺をびびらせるどころではない、ギリギリのスケジュールが組まれていた。
銀さんが俺を戦力として真剣に考えてくれているのが、計画書を見てハッキリとわかった。
日立先生の俺への期待も、銀さんの『俺を部下として、職人として扱う』という言葉も、ウソはなかったのである。
ギリギリのスケジュールだけあって、作業の分担は合理的だ。
俺が学校に行っている昼間のうちに、銀さんが乾きの遅いメインの場所や、来場したお客さんたちの目に入りやすい箇所、そして工事が終わった箇所を仕上げてしまう。
その分、俺が合流してからは、細かい箇所の下塗りや、看板のデザイン出しといった『仕込み』に集中できるというわけだ。
「大変だけど……やってみて良かった」
今回は、横丁にある電気屋さんのデザインだ。
モール側と日立先生から『自由にやって良い』ということを取り付けた銀さんは、俺に「ラフなデザインをやってみろ」と任せてくれたのである。
初めてのことなので、気合が入った。
セットの下塗り作業の合間を縫って、段ボールで組み上げて塗装もほどこしたモックアップを作ったのだった。
そんな自信作を棚に置くと、グゥっと腹が鳴った。
「あの軍鶏鍋、また食べたいなぁ……」
一週間前、岩瀬さんに捕まった、バイト初日の夜。
銀さんが『歓迎会だ』と連れて行ってくれたお店で食べた、あの『味』を、一週間経っても俺はまだ覚えていた。
銀さんに連れて行かれたのは、モールの裏路地にある『季節料理・いけなみ』という、古びた縄暖簾の店だった。
慣れた様子で入る銀さんについていくと、そこはカウンターと小上がりが二つだけの小さな店。
厨房からヌッと顔を出したのは、店主と思われる、身長2メートルはあろうかというゴツイおじさん。
顔には古傷に見える皺、眼光は鋭く、柳刃包丁がやけに似合う。
「……おう、親分。待ってたよ」
「え?おかしら?鎌ヶ谷さん、そう呼ばれているんですか?」
「まあ、そう呼びたいヤツはそう呼んでるよ。あと、鎌ヶ谷さんって呼ばなくっていいぞ。日立といっしょで『銀さん』と呼んでくれりゃいい。
苗字で呼ばれるのは、むずがゆくてな、どうもいけねぇ」
銀さんは迷わず小上がりに座ると「いつもの。二人前だ」と短く注文した。
店主が厨房に下がるのと入れ替わって、エプロン姿の奥さんらしき人が奥から出てきた。
キリッとした目元が美しい、しかしどこか『修羅場』を知っていそうな色気のある女性だった。
「親分いらっしゃい。あらあら、ずいぶん可愛い坊やだね。
今日はたくさん食べてね。飲み物はウーロン茶でいいかしら?」
俺にとってあまりにも異質な空間にオドオドしていると、カウンターの端で飲んでいた小柄な老人二人組が、ヒヒヒと笑った。
「へへっ……。親分が『若い』のを連れてくるなんざ、珍しいねぇ」
「こいつが言ってた『絵師』かい? ……まだ青臭ぇが、いい目をしてやがる」
……場違いなところに来てしまった。
岩瀬さんのことが頭をよぎる。銀さんに助けてもらってホッとしたら、これだ。
トラブル続きで、俺が何か悪いことしたかよ、と泣きそうになる。
「……くくッ。ビビんなくていいぞ。取って喰おうってわけじゃねぇんだから。
こいつらは俺の昔馴染みだ。……顔は怖ぇが、腕と味は保証する」
「はあ……」と言ってしばらく待つと、使い込まれた鉄鍋の中でグツグツと音を立てる、鍋料理が出てきた。
弾力のある鶏肉に、たっぷりの笹掻き牛蒡。濃厚な割り下の香りが立ち上る。
見たことのない鍋料理を眺めていると、漂う匂いに反応したのか、俺の腹がグゥゥゥと鳴った。
「軍鶏鍋だ。喰ったことないか?溶き卵に肉をちょいとくぐらせて喰ってみろ。美味ぇぞ」
ニヤけながら銀さんは俺の様子を見つめている。
「は、はい……いただきます!」
空腹を刺激する匂いに逆らえず、恐る恐る口に運ぶ。
卵の絡んだ弾力のある軍鶏肉の歯ごたえ、牛蒡の土の香り、甘辛いタレの味。
それは、今まで食べたどんな料理よりも「力強い」味がした。
手元にある大盛りのご飯茶碗を掴むと、無我夢中で掻っ込む。
その様子を嬉しそうに眺めながら、奥さんは御飯のおかわりを持って来るのだった。
そんな俺の食いっぷりを、銀さんは、お猪口に入った酒をクイッと飲み干しながら嬉しそうに目を細めていた。
「おう、灯、何をボーッとしているんだ?」
塗料を補充しに来た銀さんの一言で、現実に戻る。
「あ、頼まれていた電気屋さんの看板のモックアップ、できました!」
「ん?モックアップを作った?」
「はい。 看板のイメージ、口で説明するより早いと思って……作ってみたんです!」
俺は棚に置いてあるモックアップを取り出した。
段ボールで作ってはあるけど、色も塗り分けられて、俺が考えたお店のロゴもレタリングされている。
「どうですか? これなら完成形のイメージ、伝わりますよね?」
俺は自信作を銀さんに手渡した。
そこには、俺が考えた無難かつ堅実な屋号『市川電気商会』の文字が、昭和風の書体で描かれている。
ベテラン職人は、咥えていたハッカパイプを手で持ち、感心したようにモックアップを眺める。
そして、大きなため息をついて、モックアップを棚に戻して、俺に向き直った。
その眉間に深い皺が刻まれている。
「お前さん、まだ来て一週間だもんなぁ。その割には頑張ってるから、いろいろすっ飛ばしてしまったな……こいつは俺が悪かったな」
銀さんは、棚を眺めて押し黙っていたが、頷いてから再び俺に向き直った。
「最初に結論から言うが……2つの点でダメだ」
「えっ、2つもですか……?」
あれだけ気合をこめたものが、ダメなのか。しかも、2つも。
【担当:鎌ヶ谷銀次郎(現場監督)】
おい灯、そんな顔すんな。 俺はお前の『熱意』を否定したんじゃねぇ。『仕事の進め方』を教えてんだ。
いいか、プロってのはな、いきなり正解(完成品)を出しゃあいいってもんじゃねぇ。 まずは泥臭く、相手と殴り合うための『サンドバッグ』を用意するんだよ。
……なんだ、そのキョトンとした顔は。 分かってねぇな。よし学校では教えてくれない、職人の『戦い方』ってモノを叩き込んでやるよ。
次回、第34話『三分間の即興デザインと、動かない昭和の遺物』 灯、制限時間は3分だ。




