第32話『赧《あか》い路地裏と、捏造された伝説』
「事務所で若い奴らが痴話喧嘩たぁ、穏やかじゃねぇなぁ……」
軍手をはずしてアゴをしごきながら俺たちに近づいてくる。
「か、鎌ヶ谷さん……!」
「ったく、ずいぶんかかるなと思ってきてみりゃ、これだ。……調合したペンキが乾いちまうぜ」
「す、すみません……」
「まあ、坊主は坊主で、ちゃんとやろうとしたことは、おおよそわかったから、謝らなくて良い」
銀さんは俺の手から怪しいコードを引っこ抜き、岩瀬さんの肩にポンと手を置いた。
「なあ、眼鏡のお嬢ちゃん」
「……な、何ですか? 今、重要な実験の途中ですが」
「悪いな、その実験とやらは、俺に話を通したことだっけか?」
「いえ、あなたに関係ないので、しておりません」
さも当然だ、と言いたげに岩瀬さんは言うが、銀さんは笑みをたたえながら、首を横に振った。
目が全く笑っていない。
ただならぬ雰囲気に、岩瀬さんの小動物フェイスが引きつる。
「今の仕事場はな、俺とこの坊主で組んでやってる。
ま、俺が上司でこいつが部下なんだわ」
「だ、だから、なんだというのです?邪魔しないでください」
「おいおい、そりゃ、こっちが言いてぇな。
俺は今、現場監督として、この坊主という部下、……嬢ちゃんの好きそうな言葉で言うなら『リソース』を使って仕事をしてる」
銀さんは、岩瀬さんを覗きこんで、噛んで含めるように言う。
「その大事なリソースを横から掠め取るなら、それ相応の『筋』を通すのが社会人だろ?」
「わ、私は社会人じゃないですから……」
「ああそうなのか、悪い悪い。頭が良さそうだから、もう働いているもんかと思っちまった」
銀さんはハハハと笑いながら、岩瀬さんの肩をポンポンと叩く。
わざとなのかホントなのかわからないけど、彼女の反論など何とも思っていないようだ。
役者が違う。
このやり取りだけで、銀さんが一枚も二枚も上手だということが直感的にわかる。
「……嬢ちゃんならわかると思うが、俺らはスケジュール組んで仕事していてな。
この横丁のオープンまで、坊主がいる前提の作業計画を、総監督の日立とモールに出してんだよ。
そうだよなあ、小机のオバハン?」
ノートパソコンをいじっていた中年女性がビクリと顔を上げて言われるまま、ウンウンとうなずく。
「それで、困ったことにモールも日立も結構ムチャを言ってきてな、坊主がいないと間に合わねぇんだな」
向き直った銀さんは、わざとらしい困った表情で岩瀬さんを覗きこむと、岩瀬さんの顔が引きつったまま、だんだんと白くなっていく。
「万が一、納期遅れだと、遅延損害金ってのがかかっちまう。
そのほかにもペナルティがかかるって契約になっているんだわ。
まあ、それよりも、日立や他のみんなに迷惑がかかるんで、納期をずらせないんだよ。わかるか?」
小さい子を諭すような口調だが、有無を言わさない迫力がある。
きっと、怒鳴られた方が何倍もマシ、と思わせる重苦しさが漂う。
「でな、坊主が嬢ちゃんに付き合ってると、そのぶん作業時間が減って納期に影響があるんだわ。
ペナルティは勘弁だ。だから悪いけど、現場に戻してくんねぇかな?」
「そ、そんなこと、あなたたちの都合でしょ?私の実証実験と関係ありませんっ!」
銀さんに気圧された岩瀬さんはうわずった声で反論するが、ベテラン職人はその言葉を待っていたようで、ニヤリとした。
「そうか、じゃあ、遅延損害金が発生したら、嬢ちゃんが払うしかねぇなあ」
「……え?何を……?」
「嬢ちゃん、さっき俺に許可取らずに坊主捕まえたって言ってたじゃねぇか。
と、いうことは、俺の判断の外で行われたから、いわゆる不可抗力だ。
一般的に不可抗力ってのは免責事項だからな。俺と坊主が責任を負う可能性はほぼゼロだ」
銀さんがひと呼吸置いたところに、岩瀬さんが何か言いかけたタイミングで、彼が声量を大きく口を開き、再び話し始めた。
「さらに、いま、俺が事情を説明しても突っぱねたな。
ここまで条件が揃っていて、納期が遅れたら、俺は事実を説明する。
そうすれば誰の責任か、誰でもわかるんじゃねぇかな」
「そ、そんなことまでするのですか……」
「悪いけど、俺は嬢ちゃんと違って、真剣に仕事してるんでね。
けじめつけるときはきっちりやるよ」
銀さんはわざとらしく、岩瀬さんの衣装を眺め回すように見る。
わざわざ言葉にしなくても、彼が何を言いたいかは明らかだった。
まともに仕事をしない岩瀬さんの遊び相手をしていられるほど、ヒマではないのだ。
「なぁ、この坊主の言うとおり、資料のコピーを取ってくれねぇかな、嬢ちゃん頼むよ」
頼んでいる風だが、拒否をさせない圧がある。
「わ、わかりました……お待ちください」
敵わないと思ったのだろう、不貞腐れながら岩瀬さんが資料のコピーを取って、俺に渡そうとすると、絶妙なタイミングで横から銀さんが「ありがとう、助かった」と言って受け取った。
俺に対してこれ以上ヘンなマネをさせない、という意志を感じた。
「おい、坊主、帰って作業計画の意識合わせするぞ、うるさくしてすまなかったな、小机のオバハン」
小机さんに一声かけて、スタスタと資料室を出て行くベテラン職人の後ろについていく。
ドアの手前で振り返ると、岩瀬さんが苦々しい顔で立ち尽くしていた。
資料室を出て、二人で薄暗い路地裏セットを歩く。
俺は、地獄の淵から生還したような安堵感で、足が震えていた。
「あ、ありがとうございました、銀さん……鎌ヶ谷さん。助かりました」
「ふん。別にお前のためだけじゃねぇ。仕事の邪魔をされたくねぇだけだ。それに……」
「それに?」
「世の中を舐めてるヤツを、ちょっとからかってやりたくなってな」
銀さんはいたずらっぽく笑うと、作業着のポケットをごそごそと探った。
「……ほらよ。ご褒美だ。食っとけ」
投げ渡されたのは、包み紙に入った茶色い飴玉だった。『ニッキ飴』だ。
「え……?あ、ありがとうございます」
「あの嬢ちゃんに毒気を抜かれたんだろ。……ちったぁシャキッとしろ。
これから、本題の作業計画の打ち合わせだぞ」
俺は、ニッキ飴を口に放り込んだ。
ピリッとしたシナモンの辛さと、素朴な砂糖の甘さが広がる。
それは、つくばさんの『口中香』のような妖艶な味ではなく『安心する日常の味』だった。
「ま、初日から大変だったな……お前は俺が見込んだ職人なんだからな。
女に振り回されすぎるなよ」
銀さんは、照れ隠しのように早足で歩いていく。
その背中は、どんなに立派なセットよりも、大きく、頼もしく見えた。
「……はい!」
「よし、その意気だ。今日は仕事が終わったら、歓迎会するか」
現場に帰ると、明日からの仕事など、俺がやるべきことを確認して業務は終わった。
銀さんが後片付けをしている間に、稲毛先生から言われた業務報告書をシコシコ書いていると、珍しそうに銀さんが覗きこんだ。
「……おい坊主。さっきからカリカリと、何をやってる。歓迎会やるって言ったじゃねぇか。
早く帰り支度をしろよ」
「あ、すみません……今日の分の『活動報告書』を書いているんです。学校に提出しなきゃいけなくて」
銀さんは、不思議そうにアゴをしごいた。
「今の高校生は、国から全員にパソコンが配られてるって聞いたぞ。
そんなのメールとかで送ればすむじゃねぇか」
「提出先の先生が、ちょっと古いタイプの人でして。
『パソコンの文字には心がこもってない! 汗をかいた現場の報告は、手書きで熱意を伝えろ!』
……って言うんです」
銀さんは吹き出し、愉快そうにパイプを揺らした。
「……傑作だ。最先端のデジタル教育をしているくせに、昭和の精神論を強要する教師か。
書く内容は同じなのにな」
「おかげで、二度手間ですよ。でもまあ……現場のスケッチとかは、手で描いた方が早いし、雰囲気も伝わるかなって」
銀さんは、ノートの端に描かれた『岩瀬さんの作った装置の落書き』と、その横の『納期厳守!』という太文字を見て、ニヤリと笑った。
「……そうだなあ、デジタルの文字は綺麗すぎて、お前さんたちが何をしたか、何を感じたかが見えにくいかもな」
銀さんは、手持ちぶさたで、俺に話しかけながら、周囲の塗料缶を並べ直している。
「……いいじゃねぇか、手書き。その『面倒くささ』も、この横丁にゃお似合いかもな。
……せいぜい、先生が泣いて喜ぶような内容に仕上げなよ」
書いてる身にもなってくださいよ、という言葉を飲み込んで、俺は報告書のスキマを埋めていく。
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【校外活動報告書】
提出先:進路指導部 稲毛教諭
氏名:1年B組 誉田 灯
場所:昭和ノスタルジー横丁
【業務内容】
資材整理、および工程管理補助。
【現場での気付き・学び】
納期の厳守について 納期とは単なる目標日ではなく、商業活動における「国境線」である。
不可抗力であっても、遅延に対して「平気な顔」をすることは、技術者以前に「商売人」としての信用を損なう行為であり、プロとして最も忌むべきことだと学んだ。
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【担当:鎌ヶ谷銀次郎(現場監督)】
おう、坊主。眼鏡の嬢ちゃんとの『実験』は終わったか? 初日からとんだ災難だったな。 ……ま、厄落としに美味ぇもんでも食いに行くぞ。
『軍鶏鍋』って知ってるか? 歯ごたえのある肉と、たっぷりの笹掻き牛蒡……。 こいつを食って精をつけろ。明日からは、職人の『流儀』を叩き込んでやるからな。
次回、第33話『軍鶏鍋の夜と、職人のダメ出し』 いいねぇ、その食いっぷり!




