第26話:倉庫の中の夕焼けと、秘密の招待状
「創業の際、正面玄関に据えられた『招福のからくり宝船』は、当代きっての人形師に特注した、高さ二間にも及ぶ大作である。
帆引き船に乗った巨大な招き猫は、単に客を招くだけではない。
その硝子の瞳は、行き交う人々の悲喜こもごもを見つめ、街の記憶を記録し続ける『守り神』であった。
古老たちは言う。夜更けの百貨店で、あの猫が瞬きをした、と。」
— 『霞百貨店 五十年史』 (昭和49年発行・非売品)より
陽菜が自己ベストを叩き出し、俺がその『不死鳥の跳躍』を見た大会から数日も経つと、学校の掲示板が賑やかになった。
陸上競技大会のポスターと『5位入賞おめでとう!神栖陽菜選手』という短冊が剥がされて、吹奏楽部のオータムコンサートのポスターや、『食堂からのお知らせ:冬限定【激辛麻婆ラーメン】始めました』という告知、さらには『ビブリオバトル(書評合戦)参加者募集!』なんていうのもあった。
放課後に図書室で岩瀬さんがせっせと作業してたのは、これに関することかもしれない。
文字だけのシンプルなポスターだけど、『言葉は、魂の武器になる』という仰々しいキャッチコピーのフォントが、やけに太くて圧がすごい。
岩瀬さんが作ったのなら納得だ。
そして、陽菜は大会翌日から、部活で黙々と練習を始めた。
あの日の帰り道、彼女に「お疲れさま」とメッセージを送ると、しばらくして「頑張ります」という劇画タッチの狼男が腕立て伏せをしているスタンプが返ってきた。
自己ベストを出したことは喜ぶべきだけど、現実を見れば順位は5位で、優勝した選手の記録に1mほど差がついている。
やはり、壁は高く分厚かった。このことを陽菜自身が一番理解していたようだ。
ただ、たまに練習を眺めていると、大会前のような悲壮さはなく、楽しげに走って跳んでいる。
陽菜に合わせたわけではないが、俺の気分は晴れやかだった。
大会でのスケッチは、初めて描く題材にしては手応えを感じる出来だったし、試しに順番待ちの選手を描いた作品は、そこそこの数のいいねがついた。
そのかわり、SNSで大げさな詩のついた引用が増えたみたいだけど……。
「そろそろかな……」
図書室の時計をみて、読んでいた本をパタリと閉じる。
日立先生から連絡が来て、放課後に会うことになったのだ。
岩瀬さんは当番ではないので、ちょうどいいやと待ち合わせの時間まで、読みかけだった安田一平さんの本を読んでいたのだった。
図書室を出て、人もまばらな駐輪場から自転車を引っ張りだして待ち合わせ場所のショッピングモールに向かう。
「……それにしても『女性との関係は、自己の情熱の強さを測るバロメーターである』なんて……
こんなものが経営学なのか?」
自転車を漕ぎながら、読んでいた本の内容を思い返す。
手がけた事業の数より関係した女性の方が多いという伝説を持つ経営者の言葉だけに、妙な説得力があった。
手垢がつくくらい読まれるのもわかる気がする。
「……でも、もし、俺が常識を捨てることで、陽菜の悩みを解決できる情熱を手に入れられるなら……」
いやいや、と首を振る。
俺のようなモブと大企業の御曹司とは生まれも育ちも違いすぎる。
同じことをしたとしても、結果は180度違うのではないだろうか。
せっかく大会で一皮むけた陽菜の足を引っ張るマネはしたくない。
それにしても、と思う。
日立先生からの呼び出しとは珍しい。
『今、面白い仕事を進めていてね。ちょっと灯くんに手伝ってほしいんだ』と連絡があったのだ。
ここ最近、先生が忙しそうにしているのは知っていた。つくばさんに聞いてみたけど、はぐらかされて要領を得なかった。
小さい頃からお世話になっているから、俺の性格をよく知っている先生のことだ。
俺好みで勉強になりそうな仕事なのだろう。
ほどなくして、ショッピングモールに着き、先生と落ち合うと、そのまま先生の後に続いていく。
どこに行くのかと思っていたら、関係者以外立ち入り禁止の区域を当たり前のように進む。
そして倉庫の一角とおぼしき場所で先生が立ち止まった。
「先生、頼みたい仕事って……?」
先生は俺にニヤリと振り向くと、IDカードをかざして正面のドアを開けた。
なんだろうとドアをくぐって中に入った瞬間、思わず声を漏らした。
「え……?これって……」
俺の目の前に、作りかけではあるものの、映画セットのような夕暮れの町が現れた。
天井は黒く塗られ、人工的な夕焼けの照明が、歴史の本などで見たことしかない古びた看板や、木造の長屋セットを照らしている。
まだ工事中だが、そこには既に、濃密な「過去の気配」が漂っていた。
「懐かしいだろ?……いや、灯くんには、むしろ新しいかな?
いま『昭和ノスタルジー横丁』を作るプロジェクトが動いていてね。私が総合プロデュースを任された」
「どおりで忙しそうだったわけだ……」
「すまんな。守秘義務があって、なかなか言えなかったんだが、ようやくモールから許可がおりた」
先生が言うには、このモールの場所に昔、百貨店があり、街の中心として賑わっていたという。
今回、その百貨店が出来て100年だそうで、その記念事業だという。
「すごい……。でも先生、これだけの規模、ただのショッピングモールのイベントじゃないですよね?」
俺が尋ねると、先生はニヤリと笑って、筒のように丸めて持っていた企画書をポンと叩いた。
「鋭いな。これは市とモール、それに近隣の学校が手を組んだ、大規模な『地域活性化・産学連携プロジェクト』なんだ」
「産学連携……ですか?」
「ああ。単なる懐古趣味じゃない。学生の若い感性とスキルを使って、本気で街に人を呼び戻そうって計画だ。
だから今回は、モールや役所だけじゃなくて、常陸野美術造形大学、小見山高校……、あ、灯くんの学校、志筑高校からも生徒が参加しているぞ」
つくばさんの美大に、典子先輩たちの高校に加え、俺の高校からも誰か参加しているのか。
掲示板に何も告知されていないということは、学校内で候補者に声がかかっているのだろう。
先生のいうように守秘義務があるだろうから、参加者はわからない。
「先生、僕は何をお手伝いするんでしょう?」
先生はいつものように髪を掻き上げて、柔らかく笑った。
「君には、街にある看板の文字入れや絵の細かい部分の直し、銭湯のペンキ絵の仕上げ、それに全体のエイジング(汚し塗装)を手伝ってほしい。
君の絵ののタッチが、この『レトロな街の情念』には必要なんだ」
と、言うことは、俺の高校の美術部にも協力を依頼しているのだろうか。
やりたいのは山々だが、部をやめた俺としては、気まずい雰囲気の中でやることになる。
それを見抜いたのか、先生は俺の肩を叩いていった。
「安心していい。君以外は美大の学生が美術造形のスタッフだ。どうだ?やってみるか?」
「やります! 是非やらせてください!」
俺は即答した。
こんな大規模なプロジェクトに参加できるなんて、願ってもないチャンスじゃないか。
【担当:日立先生(産学連携プロジェクト総監督)】
「灯くん、覚悟はいいかい? ここは、ただのイベント会場じゃない。 八百屋も、タバコ屋も、駐在も……みんな、この黄昏の街に生きる『住人』だ。
君も今日からその一人だ。 『ペンキ屋の若親方』……それが君の役名だよ。 さあ、こっちへ来なさい。この街の私の片腕に会わせてあげよう。
次回、第27話『夕焼け色の住人たちと、サングラスの総支配人』 ……フフ、私のサングラス姿、似合っているだろう?」




