第21話:それぞれの孤独と、交差する想い
日曜日に控えた陸上競技大会。
その前日の土曜日の夜。
俺は自室の机に向かい、イラストサイトの残響画廊に投稿する作品を描いていた。
静かな夜だ。
ときどき遠くから車の走る音と、家族がリビングで観ているバラエティ番組の笑い声が聞こえるくらいである。
俺の場合、音楽を流すとかえって気が散るので、静まり返った部屋で黙々と鉛筆と筆ペンを走らせていた。
制作に集中しているのが自分でもわかる。
文化祭のスケッチを基にした下絵がしだいに形になり、メイドたちの楽しげに立ち回っている姿がはっきり紙に浮かびあがってきた。
部屋は静かだし、作品も進んでいるが、俺の心はざわつきが収まらない。田辺先輩から聞かれた「最近、誉田くんの回りで、何か変わったことはないか?」という言葉が、まるで呪文のようにこだましていた。
「変わったこと、か……」
鉛筆を置き、大きく伸びをする。イスがギシッと軋み、背もたれが後ろに下がる。
視線の先に、色彩早見表が現れる。パッと見れるように机の上に貼り付けてあるそれは、絵画教室に合わせた一般的なものと、俺の作風を見た、骨董好きの祖父が見つけてくれた、和の早見表の二種類ある。
「赤、紅、赧、朱……」
和の早見表の赤の欄を、つい見てしまう。
つくばさん、岩瀬さん、典子先輩。
話していて彼女たちの顔色が変わっていったことを思い出す。
しかし、それはそれぞれの偶然が重なったにすぎない。
田辺先輩がいくら切れ者でも、それだけは見当違いだと俺は思う。しょせん、俺はどこにでもいる普通の高校生だ。
絵を描くのが人より少し上手いだけにすぎないモブ野郎であることは、俺が一番わかっている。
「チートみたいな特殊能力なんて、俺にあるわけないじゃんか」
バカバカしさにおかしさがこみ上げる。
確かに、最初から突出した頭脳や才能を持つ人はいる。
俺だって、チートなんじゃないか、と思う茅ヶ崎みたいな同級生もいる。
ただ、そんな人をうらやんでも意味はない。「特別じゃなくていいから、少しでも得意なものを楽しく伸ばそう。きっとそれが灯くんの武器になる」という日立先生の言葉の方がしっくりくる。
俺は俺で得意な絵を描くことを磨けば良い。
それもあくまで楽しく、だ。
本棚の隅に飾られた、日立先生の作品を見ながら「ですよね、先生」とつぶやいて、再び作品に向かい合う。
「さてさて……」
再開しますかね、と内心つぶやいたところでスタンドに立てかけてあったスマホが震えた。
なんか絶妙なタイミングだな、とため息をついてメッセージアプリを確認する。
つくばさんからだ。
『ちょっと相談したいの! 明日の午前中に、アトリエに来れる?作品が暴走しちゃって……』
簡潔で、命令的なメッセージ。
つくばさんがこんなメッセージを送ってくるのは珍しいが、いくらなんでも急過ぎる。悪いけど、陽菜の大会なのに、こんなことで約束を破りたくないし、時間を取られたくない。
『ごめんなさい、明日は大事な予定がありますので行けないです』
続けてメッセージを書いた。
『つくばさんの方が俺なんかマネできない作品を作りますし、大丈夫なんじゃないかと思います』
さらに追加でメッセージを送る。
『俺のヘンな意見でもっと作品が暴走してもいやなので、別の人から意見もらってほしいです』
本心だった。
日立先生のアトリエでも、美大でも見せつけられた、つくばさんの圧倒的な「作品の力」からすれば、俺のような美術部くずれが意見することがそもそも間違いだ。お姉さんのようなつくばさんの頼みは嬉しいけど、俺の意見で作品をぶち壊したくなかった。
返事が来た。
『わかった。ありがとう。自分でもう一度作品に向き合ってみるね』
そうして欲しい。メッセージを見て一人、うんうんと頷いていると、追加メッセージが来た。
『ただし、あなたの感性は人とは違うと思う。
お父さんの絵画教室の生徒さんをたくさん見てきたけど、灯くんの水墨画やそのタッチで描かれる油絵や水彩画は、見たことがないのよ』
嬉しいが、イマイチ納得しない俺がいる。
昔からの付き合いの「補正」が入っているのではないだろうか。
そんなことを考えていたら、追加のメッセージが来た。
『誰がなんと言おうと、灯くんの感性と才能は、素晴らしいと思う。今回は残念だけど、頼りにしているからね』
俺の心を見透かして反論しているかのようだ。
メッセージに続いて赤い頭巾をかぶったウサギのキャラクターがペコリとおじぎしているスタンプも送られてきた。
俺は苦笑しながら、ウサギとカエルが小躍りして「ありがとう」と文字の入っている鳥獣戯画のスタンプを返信した。
その後、しばらく待ってみたが、つくばさんからのメッセージが来る様子はない。
きっと自分で作品に向かい合うのだろう。
俺はホッと一息ついて、自分の作品制作に向かおうとした時、スマホが再び震えた。
今度は、陽菜からだ。
「あれ、今度は陽菜か……大事な大会前日なのに……?」
何だろうとアプリを開ける。
陽菜からのメッセージは、いつもの明るさはなかった。
『灯くん、今、大丈夫かな……』
だらっとしたパンダのスタンプも追加で送信されてきた。
『大丈夫だよ。どうしたの?』と即返信する。
『実は……ちょっと、いろいろ考えちゃって、怖くて眠れなくなっちゃったんだ。
明日が来るのが、なんかすごく怖い』
泣きべそをかいているカエルのスタンプといっしょに送られてきたのは、SOSとも言えるメッセージだった。
俺は陽菜に公園で「どんな結果でもそばにいる」と約束したけど、幼なじみが感じている大会直前のプレッシャーは、俺の想像を遥かに超えるものなのだろう。
彼女は「鳥さんがまた鎮火しちゃって、そのままだったら、どうしよう」と不安な気持ちを打ち明けてきた。
公園のブランコで話した時に、陽菜には俺の贈った不死鳥の絵が再び燃えたように見えていたはずだ。
確かに再び燃えるまで、長い時間がかかったが、その後の彼女の「陸上部の次期エース」にふさわしい様子を見る限り、鎮火することはないのではないか。
『約束は守るよ。結果がどうであれ、俺は陽菜のそばにいる』
俺には不死鳥の炎は見えないが、陽菜には見える。それも陽菜自身の調子によって勢いも変わる。
それは幼なじみ自身に宿る、並大抵ではない集中力と感性、そしてアスリートとしての実力だと思う。
『わかっているけど……やっぱり思い出しちゃって、怖いの』
「あの事」を、陽菜はまだ完全に吹っ切ることができないでいるのだ。
無理もない。
中学時代に不登校になるくらい大きな挫折を経験したのだ。そんなどん底から「陸上部の次期エース」と呼ばれるまで這い上がったのは、陽菜の実力と底力、そしてそれらを作り上げた豊富な練習量の何物でもない。
しかし、ここ最近の様子や典子先輩が見抜いた「頑張りすぎる性質」を考えれば、どこまで練習しても、どこかで「あの事」が引っかかってしまうのだ。
あの時、俺は陽菜の復活を願って不死鳥の絵を贈った。今もお守りのように大切にしてくれるのは嬉しいけど、やはり絵は絵でしかない。吹っ切る決定打にはならないのは素人の俺でもわかる。
ただ、今ここでそんな身も蓋もないことを言っては、陽菜が崩れてしまいそうだ。
うーん、と腕組みして制作途中の下絵に目を落とす。
下絵に描いていた文化祭のメイドたちに陽菜もいた。
陽菜は陽菜らしく、伸び伸びと競技に挑んでほしい。ここは俺の考えにフタをして、返信する。
『君に見える不死鳥の炎は、きっと単なる絵じゃない。それは、陽菜自身の内にある、諦めない『勇気の炎』なんだと思う』
実際問題、不死鳥の炎は俺には見えないんだから、彼女自身の内面を写しているのだろうと感じたのだ。
メッセージを続ける。
『明日、もしプレッシャーを感じたら、絵の炎を見るだけじゃなくて『自分が不死鳥の燃える翼を持って
いる』と信じて跳べばいいよ』
資料用に図書室で借りた陸上競技の本に書いてあったエピソードを、少々アレンジして伝える。
元のエピソードは、不調だった選手が気晴らしに見た映画を思い出しながら試技に挑んだら、記録が伸びたというものだ。確かロケットパックを背負って飛び回るアメコミヒーローの話だそうだ。
同じように借りたトレーニングの本にも、似たような事が書いてあったので、あながち的外れでもないだろう。
既読がついた後、小躍りしている二頭身のカエルのキャラクターのスタンプと、
『ありがとう。明日、最高の瞬間を見せるために、跳ぶね』
というメッセージが返ってくると、幼なじみの力強い言葉に、俺の胸に熱が灯った。
公園で交わした約束は守る。最高じゃなくてもいい。今の幼なじみが競技を終えて笑顔で戻ってくれば、それでいい。
その後、しばらく待ってみたが、陽菜からのメッセージが来る様子はない。きっと安心したのだろう。俺はホッと一息ついて、大きく伸びをした。ふと時計を見ると日付がもうすぐ変わる時刻だった。
「やれやれ、俺はそんなにヒマに見えるのかな……?」
苦笑しながら、俺はそのままベッドに潜り込んだ。
【担当:誉田灯】
「約束の日。俺はバスに揺られて、県大会の競技場へ向かった。
季節外れの暑さと、アスリートたちが発する熱気。
美術室とも図書室とも違う、広大で圧倒的な『戦場』だ。
俺は観客席の人混みの中に、見慣れたロイヤルブルーのユニフォームを探す。
……いた。でも、本調子ではないみたいだ。
次回、第22話「静かなる熱気と約束」
大丈夫だ、しっかり跳んでくれよ……陽菜」




