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【情念の画家】フェロモンのおかげか、地味な僕が筆ペンで描くだけで、クールな彼女たちの理性が限界突破している件 ~日常系かと思ったら、昭和レトロな情念バトルが始まりました~  作者: 船橋ひろみ
第三章 四色の『赤』と、蘇る翼

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第20話:眼鏡の奥の焦燥と、見抜かれた変化

「陽菜ちゃん、大会前の調整期間なんだって。あの娘はあの娘のペースがあるから、私が邪魔しちゃだめかなって。

……だから、今日は挨拶だけにして、大会が終わったら、お茶しましょうって約束したの」


典子先輩の言葉には、陽菜への深い配慮が感じられた。

彼女のクールでミステリアスな外見からは想像もできない、他人への優しい思いやりだ。


「だって、陽菜ちゃんは、()()()()()()だからね……」


「なるほど……そうでしたか」


俺は素直に感心した。陽菜は、周囲の期待や配慮に過剰に応えようとする『頑張りすぎる性質』を持っている。


典子先輩は彼女と知り合った中学時代に、その性格を見抜いていたのだろう。


陸上部の向こうで、サッカー部の数人がマンツーマンディフェンスの練習をしている。抜いたりボールを奪ったりするたびに、楽しそうな声が校庭に響く。


「そういえば……あの、話は変わるんですが……この間ショッピングモールで渡したパンフレット、どうなりました?」


「え?パンフレット?」


典子先輩は一瞬きょとんとしたが、すぐに思い出したようだった。


「ああ、あれね。あれはね……渡したおばあちゃんは、考えてみるって言ってたわよ」


「……そう、ですか」


風がしだいに冷たくなってきた。

校庭の陸上部は練習を終えて帰り始めていた。

陽菜がこちらを見て、手を振ったので、典子先輩と手を振り返して見送る。


「さて、そろそろ慎一くんも、打合せが終わる頃かな……」


典子先輩が時計を見ながら立ち上がって、制服をパタパタと払う。

田辺先輩と合流して、どこかで喋って帰るなら、ちょうど良い時間だ。

俺も陽菜が帰ったので、帰るとしようかな、とカバンを抱え直したときに、パサリとスケッチブックが落ちた。ファスナーがちゃんとしまってなかったようだ。


「誉田くん、それは?」


「ああ、これですか?ただのスケッチブックです」


「スケッチ?ああ、ショッピングモールで誉田くんの作品飾ってたもんね。そうか、普段から題材を描いているのね」


典子先輩が興味津々で俺が拾い上げたスケッチブックを見ていた。

俺の描く絵に興味を示す人間は珍しい。陽菜、つくばさん、日立先生の顔が浮かぶ。

図書委員のニタリと笑った小動物フェイスが浮かんだけど、首を振ってかき消した。


「はい。俺、その、すぐには題材決まらないことが多くて、描くまで時間がかかってたんです……だから、早く制作に入るために、普段から気に入ったり、描きたいな、というものをササッとスケッチして溜めているんです」


「ふぅん、ショッピングモールで見たあなたの作品って、こうした一枚のスケッチから創り出されるのね……」


典子先輩は、感心したように頷いた。

そして、上目遣いでためらいがちに言う。


「あの……その、良かったらだけど、ちょっと誉田くんの描いたスケッチ、見せてくれないかな?

あなたの絵、特徴あって、私は好きだな」


思いがけない告白に、ドキリと心臓が高鳴る。

田辺先輩が来るまでの時間つぶしかもしれないが、典子先輩のような人がこんなにも目を輝かせていることに、俺は喜びつつも少し戸惑った。


「え、あ、はい。どうぞ」


俺は、中途半端な静物画や、躍動する陽菜のデッサン、文化祭の様子などが描かれたページを開き、彼女の前に差し出した。


「へー、こんな感じなんだね」


スケッチブックを受け取った典子先輩は、花壇のふちに座り直して、描かれたスケッチを覗き込む。どんな風に見られるか不安なので、俺も隣に座った。

周囲が暗くなってきたことと、珍しさが相まって、典子先輩は、開かれたスケッチブックを熱心に見ている。


「すごいね、こんなにたくさん……美術部なら当たり前か」


「いえ、美術部はいろいろあってやめちゃって、今は絵画教室一本というか……自由にやってます」


典子先輩はスケッチから目を離さずに頷いた。

ずいぶん丁寧に見てくれている。こんなことは滅多にないので、突然なにか言われてもすぐ反応できるように、緊張しながらスタンバイした。

隣にいるけど、様子が気になってしかたないので、先輩の後ろから覗き込む。

俺の視界の隅で、典子先輩の頬が、徐々に赤らんでいくのが見えた。


いや、差し込んでいる夕焼けの色に近い。むしろ「(あか)」の色がぴったり合う。

まるで先輩が陽菜や田辺先輩に向ける優しい気持ちを表しているようだ。


俺の絵に感じ入ることがあるのだろう、しだいに先輩の息遣いが深くなり、無言でデッサンを凝視し続ける。俺は、こんなに熱心に絵を見てくれているのが嬉しくて、思わず解説を始めてしまった。


「これ、走り幅跳びの空中姿勢のデッサンです。

図書室から借りた本を見て、見よう見まねで描いてみたんです……」


先輩が無言で頷く。

ちょっと心配になり、いたたまれなくなって解説を続ける。


「ああ、これはこの間の文化祭のやつです。キッチンとかのわちゃわちゃがおもしろくて……」


いつの間にか典子先輩は、俺の解説に聞き入るように、身体を寄せてきて、肩どうしがわずかに触れていた。


(あか)い顔でふぅ、と深いため息をつく。

先輩がつけているデオドラントだろうか、フルーツのような甘くスッキリとした香りが漂う。


「あの、典子先輩?」


「……え、ええ。すごいわ、誉田くん。この……文化祭の活気を切り取ってる感じ」


どうしたのだろう?

熱心だった典子先輩の返事は、しだいにうわの空になっていった。

スケッチブックを見ている瞳もどこか焦点が合っていないように見えるし、心なしか噛み締めているように唇を引き結んでいる。

いくら嬉しいとはいえ、鑑賞するのに横からごちゃごちゃ言えば見る気もなくなるよな、と申し訳ない気持ちになる。

そして、彼女の視線はスケッチブックから、校舎の窓や入口を探るようにさまよい始めた。

彼女が探しているのは、もちろん田辺先輩だろう。時間も時間だ。そろそろ来てもおかしくない。


「典子さん、ここにいましたか」


振り向くと、花壇の向こうから、田辺先輩がこちらに歩いている。俺は反射的に典子先輩から身体を離して立ち上がった。


立ち上がって、田辺先輩に手を振る典子先輩。嬉しさと安堵が入り混じった表情に見えたのは気のせいだろうか。

花壇に近づいた田辺先輩は、隣にいたのが俺だったことに少し驚いた顔をする。


「慎一くん、陽菜ちゃんの練習見てたら誉田くんが来てね、スケッチブック見せてもらっちゃった」


朱い顔のまま、典子先輩が言うと、なぜか手に持っていたペットボトルのラベルをグリグリといじりだした。力が入っているのか、ラベルに描かれた貴婦人が歪んで泣きそうに見える。

田辺先輩は彼女の仕草を見て、ハッとしたように目を開いた。


「お待たせしてしまってすみません。ようやく打合せも終わりましたけど、八重樫先生か少しお話しがあると……」


田辺先輩は、典子先輩をみながら、眼鏡のフレームをクイッとあげて唇に人差し指を当てた。

頷いた典子先輩は、俺にスケッチブックを渡して彼氏に歩み寄った。


「ありがとう、見せてくれて。やっぱり、誉田くんの絵、私、好きよ」


田辺先輩に促されながら、俺に手を振って校舎に向かう典子先輩を見送って、カバンにスケッチブックをしまっていると、会釈をしながら、足早に田辺先輩が俺に近づいてきた。


「この間はどうも……また会えると思いませんでした」


「田辺先輩、風間先輩は体調が悪いんですか?ちょっと顔が朱くて……」


夏でもないので、長い時間風に吹かれていたら、冷えてしまうかもしれない。

彼女の顔色を心配して尋ねた時、田辺先輩は眉にしわを寄せた。


「……普段の典子さんなので、大丈夫だと思います。ただ……」


「ただ……なんでしょう」


先輩は俺をまっすぐ見据えた。眼鏡の奥から射貫かれるような視線を感じる。


「最近、誉田くんの回りで、何か変わったことはないか?ということを、僕は聞いておきたいですね」


「え……特に何も……」


「そうですか……いや、失礼しました」


それだけ言うと、駆け戻った田辺先輩は典子先輩を伴って、足早に校舎の奥へと立ち去って行った。二人を見送って、少し歩いて振り返ると、典子先輩が田辺先輩にしがみつくようにくっついて、田辺先輩があやすように頭を撫でているのが見えた。


「変わったこと……なんでそんなことを……?」


俺が気がつかないだけなのか。それともスケッチブックを典子先輩に見せていたから、田辺先輩が神経質になっているのか、俺には分からない。

俺は、カバンを抱え直し、校門に向かって歩き出して、ハタと気がついた。


「陽菜のこと、相談するんだった……」


次のチャンスはあるだろうか。俺の足取りは途端に重くなった。


【担当:誉田灯】「『最近、君の周りで変わったことはないか?』

田辺先輩の言葉が、妙に引っかかっている。俺はただ、絵を描いているだけのモブなのに。

変わったことなんて、あるわけない……そう思っていた矢先だった。

静まり返った俺の部屋で、スマホが震える。

一件は、美大のアトリエから。もう一件は、大会を控えた幼なじみから。

次回、第21話「それぞれの孤独と、交差する想い」

今夜、俺の孤独な制作時間が、彼女たちの想いと交差する」


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