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【情念の画家】フェロモンのおかげか、地味な僕が筆ペンで描くだけで、クールな彼女たちの理性が限界突破している件 ~日常系かと思ったら、昭和レトロな情念バトルが始まりました~  作者: 船橋ひろみ
第三章 四色の『赤』と、蘇る翼

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第19話:二つの恋と、揺らぐ信頼

あかは、太古より、生命の根幹と神聖なる禁忌を象徴してきた。これは、単なる赤ではなく、人の身体の奥底から噴き出す、粘り気の強い情念の色である。

朱の色は、長年の愛という感情が極限まで達し、理性の境界を侵食し始めた時に現れる。その濃密な色は、他者の熱によって増幅され、描いた者の魂にごうとして染みつく。ゆえに、朱を扱うには、自らの愛が禁忌となることを許容する、深い覚悟が要る。」

— 狩野 宗玄『色彩の情念:日本画における感情と技法』より


日曜日に開催される陽菜の大会まであとわずかになった平日の昼下がり。


目前に迫っているイベントを想像しながら、俺は休み時間に教室の片隅で、図書室から借りてきた陸上競技の資料「跳躍選手の光と影、身体の極致」を読み返していた。

ノンフィクションだけど、陸上競技の技術的解説もあり、何より写真が豊富だったので借りたのだった。


素人には技術の話は難しいが、ペラペラと写真を眺めているだけでもずいぶん勉強になる。


「……なるほど、三段跳びは、踏み切り板の真横からローアングルで描くのが定番みたいだな……」


跳躍のポイントを解説している連続写真を眺めて感心する。

作品にするときは、想像力で補いながら、視点を変えた構図で描くのも良いかもしれない。

同じ跳躍種目でも、走り幅跳びなら、空中での体幹のねじれを強調するために、ゴール地点のやや上から俯瞰ぎみに写している写真が多いのも、新しい発見だった。


この予習のおかげで、ほぼ初見の大会でも、描くべき「勘どころ」が、なんとなく分かってきた気がする。

ロケハンができないので、資料でカバーする。やむを得ないとはいえ、絵を描く者として芸術家としてどうなのか、という気もするが、陽菜の応援と作品の取材を目的としたら、俺としてやれることは、これが精いっぱいだ。


廊下がちょっと騒がしいので顔をあげた。


小見山高校の生徒さんが歩いているのが見えた。

そういえば、この間開催された合同文化祭の総括として両校の実行委員会が意見交換をすると、担任の稲毛先生がウキウキした口調で言っていたのを思い出した。

クラスのウワサ好きは、来校する小見山高校の実行委員会の担当教師が美人らしいので、先生も浮ついている、と適当なことを言っていた。


「あ……あれ……」


数人の小見山高校の生徒さんに見覚えのある人が二人。

ショッピングモールで見かけた、典子先輩と田辺先輩だった。

あの時の大学生のような雰囲気ではなく、いかにも真面目な高校生という印象だ。お互い寄り添っているが、あの時のように手はつないでないし、適度な距離を保っている。


オンとオフだと全然違うな、と見ていたら、視線を感じたのか、典子先輩がこちらを見て、ニコリと笑って小さく手を振った。

その後ろを歩いていた田辺先輩もこちらを見て「その節はどうも」と言う風に会釈をして通り過ぎて行った。

他校生に会釈を返す俺を見て、クラスの数人が意外そうな視線を投げかけたが、別にこちらから説明する必要もないだろう。

口下手な俺が説明して妙なウワサを立てられても先輩たちに迷惑をかけてしまう。

ショッピングモールで仲の良い様子を見ているから、なおさらだ。

誰も聞いてこないのを良いことに、俺は素知らぬフリをして、再び本に視線を落とした。


しばらくして、みんなが視線を外してくれたのを見計らって、制服からこっそりスマホを出して陽菜に「典子先輩が、合同文化祭の実行委員会の件で来校しているよ」とメッセージすると、かわいいカエルのキャラクターがビックリしているスタンプが返信されてきた。


彼女は文化祭では、典子先輩が忙しく立ち回っていたので話したくても話せなかったと言っていた。

今日なら話せるチャンスがあるかもしれない。

陽菜自身、典子先輩と話すことができれば、良い励みになるんじゃないかと思いながら、制服の内ポケットにスマホをしまった。

実行委員会でもない俺のような生徒には、いつも通りの午後が過ぎて放課後がやってきた。

ガランとした校内を歩き回り、題材になりそうな風景を探す。


「ここにしようか……」


階段の踊り場の小窓を開けると、野球部やサッカー部が練習しているのが見えた。

静かな校内から見える活気のある校庭。対比が面白いと感じて、階段に陣取ってスケッチを始める。

放課後なので、誰かにとがめられることもないだろう。カバンから鉛筆やらスケッチブックやらを取り出して広げて足を伸ばしながら、鉛筆を走らせた。


投稿サイトの「残響画廊(こだまがろう)」での俺の作品は、こういう静と動をモチーフにしたものだと評価が高くつくことが多い。


廊下の歪みや影の落ち方といった、誰も気にしない場所に宿る静かな情念。

そして、対比させるように描く、脱ぎ捨てられたスニーカーなどの動きを連想させるもの。

こうして描いているものが、誰かの目にとまって「いいね」と心を動かすことがわかってから、俺の作品に対する姿勢を変えたような気がする。


時折流れる校内放送と遠くから聞こえる校庭の音の他は、まったく静かだ。


白紙だったページが、徐々に放課後の情景に変わっていく。

しだいに集中力が増してきて、手を動かしながら、自然といろんな思いが浮かんでは消える。


陽菜は典子先輩と話すことができただろうか?


つくばさんは無事に課題を提出できただろうか?


岩瀬さんはまだ俺に関わってくるのだろうか?


そんなことをあれこれと考えて描いていたら、暗くなり始めていたことに気がついた。


スケッチを眺める。


だいたい形になったし、良いタイミングなので片付けて帰ろう。広げた道具類をまとめて、開けた小窓を閉めようと校庭を見たときだった。


「典子先輩……?」


校庭の花壇付近に座って、運動部の練習を眺めている小見山高校の女子生徒がいる。

あのシルエットはたぶん典子先輩だ。昼間に手を振ってくれたし、挨拶くらいしてもいいだろう。

カバンを抱え直して、少し急いで花壇に向かうと、予想通り、典子先輩であった。手にした飲み物を一口飲んで、気持ち良さそうに風に吹かれている。


田辺先輩の姿は見当たらない。


校庭には軽いジョグでフォームを確かめている陽菜が見える。

典子先輩が、あまりにも絵になりそうに風に吹かれているので、声をかけるのをためらったが、昼間のお礼を言っておくべきだと思い、声をかけた。


「風間先輩、まだいらしたんですね」


典子先輩は驚いたように振り返ったが、すぐに穏やかな表情に戻った。


「あら、誉田くん。どうしたの、こんな時間に……。もしかして、陽菜ちゃんの応援?」


先輩が校庭を走る陸上女子に視線を送りながら問いかける。

口調が少々いたずらっぽいので、()()をかけているのだろうが、当たらずとも遠からずだ。


「まあ……はい。あ、あの、昼間はありがとうございました。先輩、陽菜と話せました?

陽菜も喜んでると思いますけど」


それにしても田辺先輩はどうしたんだろう。それを察した典子先輩が、苦笑しながら話してくれた。


「慎一くんは、八重樫先生と打合せにでてるの。

私、陽菜ちゃんとは文化祭でゆっくり話せなかったから、今日こそと思って」


典子先輩は、そう言いながら、紅茶のペットボトルを弄びながら、足を組み直した。


「慎一くんが気を遣ってくれて、先生にかけあって、私を欠席にして時間作ってくれたんだけどね……」


小さくため息をついて、俺に向き直った。


「でも、練習してる陽菜ちゃんを見て、挨拶だけにしちゃったの」


「え?そうなんですか?お互い、せっかくのチャンスなのに」


俺が不思議に思って尋ねると、典子先輩は寂しげに微笑んだ。

【担当:風間典子】 「誉田くんの絵って、不思議ね。 ただのスケッチなのに、見ていると身体の奥が熱くなってくるの。文化祭のあの時みたいに。

……ううん、ダメよ。私には慎一くんがいるんだから。

でも、どうしてかしら。このドキドキは、スケッチのせい? それとも、あなたが描いたから?

次回、第20話「眼鏡の奥の焦燥と、見抜かれた変化」

あ、慎一くん……! そんなに怖い顔して、どうしたの?」

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