第12話:異形の才能と、隔絶する世界
思ったより時間がかかった課題が出来上がったのは、呼び出しが続いてバタバタした一週間が終わって、数日過ぎた時だった。
学校帰りに日立先生のアトリエをたずねて、提出が遅れたお詫びがてら、直接渡すことができた。
いつものように淡々と受け取った先生と少し話をして、アトリエを出ようとしたときに、つくばさんに呼び止められた。
文化祭の時と違い、いつものオーバーオールの作業着姿だ。
「灯くん。今日、来るってお父さんから聞いたんで、待ってたわよ」
美容室に行ったばかりなのか、文化祭の時より、前髪とインナーカラーの色が鮮やかで、ハッキリしていた。
ラベンダー色に染まった数筋の前髪を指にくるくると巻き付けながら、俺を見つめる。
つくばさんの前髪をいじるクセは昔からかわらない。
小学校高学年に日立先生の絵画教室に通いはじめてから、彼女はお姉さんのような存在だった。
口数の少ない俺を弟のようにかわいがってくれて、日立先生のお手伝いも小さい頃からやっていた。
俺の作品を初めてほめてくれたときも、今のつくばさんのように、前髪を巻き付けながら「うまーい!」と驚きをこめて言ってくれたのを、今でも鮮明に覚えている。
「どう? この間、美容室でバチッと染めたんだ。良いでしょ?」
俺は頷いた。嬉しそうな彼女を見て、自然と俺もニコニコしてしまう。
それにしても、俺に何の用かと小首をかしげると、つくばさんはいたずらっぽく微笑んで手招きする。
促されるままにアトリエに入る。
油絵の具、石膏、そして少し湿った木の香りが入り混じった、独特な匂い。
「文化祭のメイド喫茶で、可愛らしいあの娘を見たじゃない? なんか、もう作品を作りたくてしょうがなくなっちゃって……」
あの娘、とは陽菜のことだ。
俺のクラスの出し物のメイド喫茶に来てくれたつくばさんは、メイド姿の陽菜の可愛らしさに圧倒された上に、「萌え萌えキュン」をされ、めちゃくちゃインスピレーションを刺激されていた。
その証拠に「つくばの念仏」という彼女の創作意欲が高まらないと起こらない、独り言をつぶやく現象も出たし、その上、即座に彼女をモチーフに作品のデッサンを描き始めたのだ。そんなつくばさんを、俺は絵画教室以外で見たことがない。
そんなつくばさんは、いてもたってもいられなくなったのだろう、出されたシフォンケーキとレモンティーをあっという間に平らげ、飛ぶように帰っていった。
「あんな感覚、久しぶりよ。帰り道、ああしようこうしようってアイディアが次から次へ……」
その後、アトリエにダッシュで向かって、作品を作り始めたそうだ。
興奮気味に話すつくばさんを見て、俺は、この美大生に良い刺激があって嬉しい反面、デッサンに描かれていた、陽菜のメイド姿をモチーフにした妖しい人型の有機体を思い出し、ありのままの可愛らしい陽菜を描いて欲しかった、という残念な気持ちが入り混じった、複雑な気分になる。
「俺を呼んだってことは、作品ができたの?」
「正解。と、言ってもまだ手直しするから、7割か8割の完成度ってとこかな」
つくばさんがあごをしゃくる。
しゃくった先には、作品があるのだが、台座の上に「息づいている」ように見えた。
作品は、ところどころ石膏がこびりついているモスグリーンの布に覆われているのだが、布越しに得体の知れない生命力と熱を感じ、鼓動が高鳴る。
俺は、思わず作品に近づいた。
俺の様子を見て、手応えを感じたのか、つくばさんも、布を取ろうと台座に近づく。
広いアトリエなのだが、作品を目の前にして、いつの間にか俺とつくばさんは寄り添うように立っていた。
ドキドキしながら布が取り払われるのを待っていたが、いっこうにつくばさんは布に手を掛けない。
どうしたのかとチラと見ると、美大生の頬が、アクリル絵の具で塗ったかのように紅く染まっていた。その瞳は、まだ布に覆われているのに、どこかうっとりと潤んで見えた。
そして、胸の前でギュッと組んだ手は、興奮のためか、しだいに呼吸とともに激しく上下し始めた。
「……つくばさん?」
「ふぇっ?」
布を取ってよ、とゼスチャーする。
我に返ったような顔を見る限り、また何か創作アイディアが「降ってきた」のだろう。
ごめんごめんと、美大生はモスグリーンの布を丁寧に外した。作品があらわになる。
俺は息を呑んだ。
アトリエに射し込む夕日に照らされた作品は、文化祭で見たデッサンよりも、遥かに異形になっていた。
石膏とワイヤーで形作られた作品、いや「それ」は、もはや人物のデッサンが立体化したものではなく、巨大な心臓か、血管が複雑に絡み合った肉塊のようだった。ところどころに人間の皮膚のような質感を思わせる赤みが塗られ、不気味でありながら、圧倒的な生命力を放っている。まるで、生きている臓器を切り取ってきたかのようだ。
俺が作品に圧倒されたのが伝染したのか、つくばさんもふぅふぅと喘ぐような息遣いで、顔が紅らんでいる。
「つくばさん、暑いの? エアコンつけようか?」
「ち、違うわ! そうじゃなくて……。この作品よ、灯くん。これを見て、あなたはどう思う?」
「どうって……すごいよ。今まで見せてくれた作品たちよりも遥かに……。このグロテスクな迫力。だけど、目を離せない生命力だ」
「あ、ありがとう……でも」
つくばさんは、作品を指さしながら、口ごもった。作品を指した指を前髪に絡ませて、引っ張るようにしごく。
「嬉しいけど……私が本当に創りたいのは、これじゃないの。もっと優しくて、包みこむような、温かい光を持つ作品のはずなのに……」
指から外されたラベンダー色の前髪が、ピョンと跳ねる。
これだけの存在感と生命力を感じさせるのに、満足していないのだ。
俺はつくばさんの芸術に向かうひたむきさに、感動するとともに、俺自身はどうだろうと少し恥ずかしくなった。
ひたむきな美大生は、アトリエの中を歩き回りながら、独り言のように、しかし俺に言い聞かせるように言う。
「この作品には、私自身の意図しない『熱』が籠ってしまっているの。まるで、私自身の欲望が、勝手に形を変えて現れたみたいに」
「……欲望、ね」
相づちを打つが、本当にそうだろうか。
これが欲望というなら、つくばさんの欲望は俺の理解を超えている。奇怪ではあるが、美しさも感じるし、生命の持つ妖しさも感じられる。
なにより、布越しに生命力を感じさせる作品が、何らかの欲望で生み出されるのだろうか。
少なくとも、俺にはそこまでの熱を込めることが出来た絵は、陽菜に贈った不死鳥の絵くらいだ。
「僕の個人的な考えだけど……」
腕組みしながら、俺は歩き回る美大生に正直な気持ちを伝えた。
「これは、つくばさんの欲望なんかじゃなくて、きっと、もともとあった、本物の才能ってものじゃないかって思うんだ」
「才能……?」
「つくばさんの芸術は、僕たちの日常の何気ないコトやモノとを、力強い生命の根源みたいなものに変換して表現しようとしてるんだ」
美大生は納得がいっていないようだが、俺からすれば、そうでもないと、目の前の「それ」がメイド姿の幼なじみがモチーフだなんて、とても思えない。
さらに俺は続けた。
「つくばさんは「意図しない熱」って言ったけど、実はその熱と才能が、お姉ちゃんの意図を超えて、この造形を生み出しているんじゃないの?」
どうしても伝えたくて、あえてつくばさんを「お姉ちゃん」と言ってみた。高校に入る前、恥ずかしくなってきたので、使わなくなった呼び方だ。
歩き回っていた足が止まった。
悩める美大生は、目を見開いて俺を見つめてから、自分自身に言い聞かせるようにうなずいて、ニコリと笑った。
良かった、と安心した俺は、ふと思い付いた疑問を口に出した。
「そういえば、この作品って、すごく生命力があるけど、美大だとどう評価されるの?『グロテスク』とか?」
ストレートな表現に、笑顔が引きつりだした。くるくると前髪をせわしなく巻き付けるので、鮮やかなラベンダー色の毛先がぴょこぴょこと跳ねた。
「う、うーん……『グロテスク』とは、直接的には言われないかな……?美大では『有機的なマチエール、つまり質感が強いね』とか、『生命の根源的な部分を表現している』とか……って、褒めてるのかよく分からない評価をされることが多いかも……」
つくばさんは苦笑いして、返事をする。余計なことを言ってしまったようだ。
付き合いも長いし、こんな事を言って怒り出すことはないけど、さすがに気まずい。
「あれ? さっき、布を取るとき、アイディアでも降ってきたみたいに見えたけど」
「ああ、そうだったわ。忘れないうちにざっくりでも描いておかなくちゃ」
愛想笑いで話題を変えて、失言をごまかしながら、置いたカバンを取って、帰り支度を始めた。
アトリエを出る頃にはすっかり夜になってしまっていた。断ったけど、つくばさんは、出口まで見送ると言って聞かない。
「お姉ちゃん」と久しぶりに言われたからだろうか、少々駄々っ子みたいになっていた。
ドアから出て、振り返る。
「灯くん、お話しできて良かったわ。ありがとう」
「こちらこそ、あんなすごい作品を見せてくれてありがとう」
つくばさんのはにかんだ顔が、出会った頃の彼女を思い起こさせる。
小さく手を振って、ニッコリするのも、昔も今も変わらないが、どうも何か言いたそうな雰囲気だ。不思議に思って見つめる。
俺の表情に促されたつくばさんは、少し上目遣いでボソボソという。
「……暗いから、帰り道、気を付けてね」
「わかった」
「あの……さ、灯くん」
「どうしたんだよ、つくばさん」
美大生は前髪をくるくると指に巻き付け、押し黙ってしまった。彼女らしくない反応に苦笑する。
「俺、明日も朝から学校なんだよ、自由な美大生と違って」
「言うわね……美大生だって忙しいのよ?」
むくれたつくばさんが言い返す。
美大生というより、出会った頃の「年上の女の子」といった方がしっくりきそうな様子だ。
「ホント、どうしたの? 何かあるの?」
再び問いかけると、つくばさんはモゴモゴとしながら言う。
「そ、素材が足りなくなったら……来てね」
「ああ。あと、作品の完成が近くなったら、教えてください。見に行くから」
「あ……あと、ホント、気を付けてね」
「わかったわかった、ありがとう、お姉ちゃん」
ドサッ。
お姉ちゃんと言われたつくばさんが目を見開いて俺を見たが、音がする方へすぐに視線を変えた。
俺もつくばさんの視線を追って振り返る。
視線の先には、スパイク入れを拾い上げる陽菜がいた。
「あら、この間のかわいいメイドさんね」
「陽菜……どうしたんだよ」
「灯くんは……」
スパイク入れを抱きしめるように抱え込んだ陸上女子は、つぶやくように言う。
うつむいているので、俺からは表情が見えない。
「灯くんは、私なんかにはわからない特別な世界を持っている。私には、陸上しかないのに……」
つぶやきながら、つま先でトントンと拍子を取るように小さく跳ねる。
「この気持ちが、私の体幹をブレさせる!いけない!これは心の鍛錬が不足しているんだ!」
「ひ、陽菜、ちょっと待ってよ」
走り始めた陸上女子を追いかける。
言いたいことや聞きたいことがいろいろある。
「は……話くらい、聞いて……くれぇ」
カバンを抱えて追うが、ぐんぐんと離されていく。陸上女子の本領発揮と言うべきか、疾駆する陽菜に追いつくどころか、異様な速さで引き離される。
俺はすぐに息があがり、走れなくなって立ち止まってしまった。
思わず膝に手をついてゲホゲホと咳き込みながら、遠ざかる彼女の小さな後ろ姿を見送るしかなかった。
【担当:風間典子 & 田辺慎一】
典子:「ちょ、ちょっと待って慎一くん! あそこにいるの、誉田くんじゃない!?」
慎一:「ええっ、本当だ。日立先生のお手伝いをしているみたいですね」
典子:「ど、どうしよう……! 私たち、映画の半券持ってるし、手ぇ繋いでるし……これじゃ完全にデートじゃない!」
慎一:「落ち着いてください典子さん。堂々としていればバレませんよ。ほら、パンフレットをもらうふりをして……」
典子:「ひゃわわっ! 目があった! 誉田くんと目があったわ! もうダメ、私、お腹痛くなってきた……!」
次回、第13話「偶然の遭遇と、秘密のデート」。
トイレの場所を教えてくれて、ありがとうね、誉田くん……(赤面)。




