第11話:スランプと、色褪せた不死鳥
岩瀬さんが図書室で俺に尋問してボルテージがあがったのか、目の前で鼻血を吹いてしまい、すぐに保健室に運ばれるという「事件」から一週間。ようやく俺の学校生活は落ち着いてきた。
目立ちたくないのに、いろいろ聞かれたりして散々な一週間だ。
おかげで課題の進みが遅くて、寝不足が続いている。
インパクトが強かったのか、「事件」の翌日には担任の稲毛先生に呼び出された。
わざわざ個室の進路相談室で聞くことなのかと俺は思うが、学校にとってはそうではないのだろう。
稲毛先生は、メガネの奥の目を細め、静かに俺を見据えながら切り出したのだ。
「誉田、お前、最近、岩瀬さんとどういう関係なんだ」
「どういう関係って……、ただのクラスメイトで、それ以上でもそれ以下でもないです……」
「そうか。だが、彼女を保健室に運んだ図書委員からの報告によれば、半個室で二人が口論のようなものをしていた、と言っているが……」
岩瀬さんが「楓ちゃん」と言っていたあの娘だ。岩瀬さんを担いで保健室に連れて行くときに、俺のことを「得体のしれない奴……」という眼差しで見ていたな。
先生が続ける。
「その後、岩瀬さんは鼻血を出して倒れ、保健室で休むことになり、学校も休んだ。……誉田、お前、本当に何か心当たりはないのか?」
どうも、俺が岩瀬さんに何かしたと思っているようだ。
俺は、一連の出来事を思い出す。
岩瀬さんが俺に問い詰めていたのは、確かに口論のようにも見えたかもしれない。
でも、岩瀬さんが勝手に俺を図書室の書庫スペースに連れてきて、わけのわからない質問した挙げ句、勝手に鼻血を吹いて倒れたんだ。
もらい事故もいいところじゃないか。
だからといって、本当のことを言っても、あんまり説得力がないし、だいいち、あんなことになってしまった彼女も心配だ。
仕方ないので、当たらずとも遠からずのことを言うことにした。
「先生、あれは、口論ではないと思います。岩瀬さんは、図書室のラインナップに悩んでいたみたいで、美術書関係を借りてる事が多い僕に意見を聞きたかったみたいなんです。それで、ひたすら質問攻めをしてきたんですが、質問の内容がマニアックすぎて、僕が困惑していただけです」
「質問攻め? ……それで、鼻血を吹いて保健室に行くのか? いくら岩瀬が委員会活動に熱心とはいえ、普通じゃないだろう」
「そうなんです。ただ、質問に困惑していたら、だんだん彼女がヒステリーっぽくなってしまって……僕が思うに、岩瀬さんはいろいろ一人で背負いすぎて、疲れてたんだと思います。文化祭でも一人で会計係をこなしていたし。話している中で、彼女の無理に気づいてあげられなかった。そこは反省しています」
「……そうか、わかった。彼女は真面目すぎて思い込む性格みたいだから、変わったことがあったら、私に知らせるんだぞ」
稲毛先生は納得しかねる雰囲気だったが、それ以上のことはなかった。
こんな感じで、学年主任の市川先生や、クラスのウワサ好きなどに入れ替わり立ち替わり聞かれる始末だ。
そんな状況なので、心配ではあるけど、岩瀬さんに余計に迷惑かけそうなので、彼女には会釈する程度にしている。図書委員の視線は相変わらず探るような感じだが、気にしないフリをしてやり過ごしていた。
そして、大会を控えた陽菜も本調子とは言い難かった。
岩瀬さんの件で何か聞かれるかと思ったが、日常生活で必要な事以外は聞かれなかった。
あの件は、陽菜も知っているはずだ。きっといろいろ「盛られて」伝わっているに違いない。
大切な幼なじみには誤解のないように伝えたいが、避けられているのか、まともに話をする機会がない。
せめて一言説明を、と思って先生たちに呼び出されたりする合間に校庭で陽菜の練習を眺めると、以前に比べてどこかバラバラで、いつもの躍動感がない。
地面を蹴る力が弱く、上半身のブレも大きいのが、素人の俺にもわかる。
何度も顧問の先生や先輩たちに注意されて直そうとするものの、すぐに修正できないでいるようだ。
両頬に手を当てたあと、鎖骨を押している。彼女が調子の出ないとき、リカバリーするためのルーティンであることを、俺は知っている。
その表情には、焦りと苛立ちが入り混じっていた。
やっぱり、頑張りすぎで、体調が悪いんじゃないか、と思う。
文化祭でメイド服を着たりもして、いつもと違う疲れもあるだろう。岩瀬さんがツーショットをねだった奴らに言ったことは、あながち的外れではないみたいだ。
これでは、とても説明なんてできる雰囲気じゃない。
こんな時の陽菜は、変に励ますより、そっとしてあげるのが一番だ。助けが欲しいときは、彼女からハッキリいうはずだ。
中学の時がそうだった。
同じような陸上競技大会の大舞台に出場することになった陽菜は、めちゃくちゃに意気込んだが、練習のしすぎで直前にケガをしたのだ。
周囲が止めるのを聞かずに強行に出場したものの、ケガの影響か、どうしても踏み切りが合わずに失格、記録なしという無惨な結果になってしまったのだ。
挫折らしい挫折は、あれが初めてだったはずだ。打ちのめされた陽菜は、大会後、自宅に引きこもってしまったのだ。
その時、俺はどうすることもできなかった。せいぜい、学校の配布物を届けることくらいだったが、ある時、配布物を渡そうチャイムを押して出てきたのは、陽菜のお母さんではなく、陽菜本人だった。
そして「何も言わなくていいから、そばにいて」と頼まれたのだ。
その日以来、彼女が再び登校できるまで、俺は学校帰りに陽菜の家で過ごした後、帰宅する生活が続いた。
何をしたわけじゃない。陽菜の部屋でマンガを読んだり、絵画教室の課題を描いたりして、俺からは何も言わず、そばにいた。
そばにいることしかできなかったのだ。
そんな自分が歯がゆくて、こんな俺でも陽菜が元気になれば、と考えたすえ、絵画教室の課題の合間に、彼女のために作品を描いた。最初は陽菜が三段跳びしている鉛筆画で、あげた時、パッと顔が明るくなった。それ以後は、いっしょにゲームしたりするまで回復した。
そして、再び登校できるようになったときに贈ったのが、彼女が「鳥さん」と呼んでいる不死鳥の筆ペン画だ。
三段跳びでキラキラしている陽菜をもう一度見たい、という一心で、夢中で描き上げた絵だ。夜に始めて、完成した時には朝になっていたのを今でもハッキリ覚えている。
陽菜に完成した絵を差し出した時、一目見た彼女は「鳥さんが炎をまとっている」とぽつりと、しかし力強く言った。
何度見ても俺には白黒の絵にしか見えなかったけど、アスリートの普通じゃない集中力と高揚した気持ちがそう見えさせるのだろう、と思った。
それ以来、陽菜は不死鳥の絵を宝物のようにしてくれて、試合などの大事なときに見て、集中力を上げている。そして、不死鳥が炎をあげていれば調子が上がっていくそうで、逆に調子が悪いときは白黒のままだ。これを彼女は「鳥さんの鎮火」と呼んで落胆する。
あまりに絵を持ち歩くものだから、紙がボロボロになってしまったので、新しく描き直そうとしたことがある。
しかし、不思議なことに、自分が描いたものなのに、何枚描いても同じタッチが再現できない。陽菜も「新しく描いた鳥さんは一羽も炎をまとっていない、燃えていない」とまで言っていた。
仕方がないので、陽菜はボロボロの絵を家に飾る代わりに、スマホで写真に撮って、試合の時はもちろん、練習でもスマホを取り出して絵を見ながら気合を入れたり集中しているという。
改めて、校庭を眺める。
リカバリのルーティンをした陸上部の次期エースはベンチに置いてあるスマホを取り出し、スマホの画面を凝視していた。
きっと「不死鳥の絵」を見ているのだろう。
鎮火していても、練習するうちに徐々に燃えだして、陽菜の闘志は再燃するのがいつものパターンだ。
だが、今回は違うようだ。
落胆した様子の陽菜は、まるで何かを打ち消すかのように、首を振ってスマホをベンチにおいて練習に戻っていった。彼女の走りは、焦燥感と怒りから逃れようとしているように見えた。
お守りのようにしていた俺の絵も、陽菜の調子を戻せないなんて。
こんなこと初めてなんじゃないだろうか。彼女のスランプの深刻さに、俺の不安は増していった。
しかし、俺にできることは何もない。
ただ、陽菜の調子が戻ることを祈りながら、日立先生の課題に向き合っていた。
【担当:つくば(美大生)】「灯くん、来てくれたのね。ふふ、驚いた? 今回の新作は、今までとはちょっと違うの。
あの子……陽菜ちゃんのメイド姿を見てから、私の中で抑えきれない『熱』が暴れ出して、こんな形になっちゃった。まるで生きている心臓みたいでしょ?これが私の『欲望』なのか、それとも灯くんが言う『才能』なのか……。
あ、待って灯くん! 帰る前にもう一つだけ……って、あら? あそこで呆然と立ち尽くしているのは、噂のメイドさん?」
次回、第12話「異形の才能と、隔絶する世界」。お姉ちゃんの作品が、ちょっと刺激強すぎたかしら?




