第10話:それぞれの日常と、見えない壁
俺の周りの異変は、陽菜だけではなかった。
放課後、俺は家で絵画教室の課題を進めるために、さっさと教室を出た。
廊下はすでに帰宅する生徒やら、部活に向かうジャージ姿の運動部やらでごった返していた。
いつものように、人波をスイスイと抜けて階段に向かう。
陽菜のように人混みを駆け抜けることなんてできないけど、それなりのスピードと位置取りをすれば、割と簡単にこの混雑を抜けられる。
陽菜とは、一週間ほど話していない。
集中したいのだろう、顔を合わせると顔を赤くして走り去るのは相変わらずだ。
俺も彼女の邪魔をしたくないので、あえて近づこうともしていない。
掲示板を通り過ぎようとして、足を止めた。
陸上競技大会の応援ポスターが貼ってあった場所に、真新しい紙が貼られていた。
よく見ると、生徒会が書いた警告文書だった。
小難しいことがいろいろと書いてあるが、要は「貼ってあったポスターを勝手に剥がして持ち去ったヤツがいる、速やかに返却するように」という内容だ。
確か、ここのポスターは陽菜が三段跳びの練習で跳躍している瞬間を切り取った、写真部が作ったものだったはずだ。
きっと、校内新聞か何かで撮った写真を無断で使い回しているのだろう、と俺はカチンときたものだ。
仮に何か言われても、もともと校内新聞の撮影で陸上部の許可は取っているから、使い回しても良いと屁理屈こねるのだろう。
陽菜がピリピリしているのが伝染したのだろうか。何だか俺までナーバスになっている。
早く帰って、課題作品を描いて、気持ちを切り替えなくては。
そう思いながら再び階段に向かおうとした時だった。
「……くん、誉田くん」
背後から呼び止められた。
振り向くと、小動物フェイスの岩瀬鈴江さんが上目遣いでこちらを見ている。
図書委員の岩瀬さんが俺に何の用だろう?
最近、岩瀬さんは苦手だ。
文化祭でツーショット要求の男子生徒から陽菜を救ってくれたのは感謝しているが、その直後のニタリとした笑いや、文化祭前の図書室の出来事など、得体の知れない不気味さがある。
「ちょっと、お話があるんですが、少し時間もらえますか?」
丁寧だが、断れない空気を醸し出している。ここで断ると、何をされるかわからない怖さがある。困惑しながらうなずくと、岩瀬さんは満足した様子で着いてこいと促した。
ホテホテと図書委員についていく。
たぶん、図書室にでも行くのだろう。
向かう途中の昇降口で陽菜がいて、こちらに気づいた。
岩瀬さんに連れられていく俺を見て、目をクワッと見開いた。
目で「助けて」と訴えるが、アイコンタクトが通じないのか、陸上部の次期エースは助けることもなく、プイと校庭に駆けだしていってしまった。
不安だらけでついて行くと、予想通り図書室にたどり着いた。
「こちらへ……」
岩瀬さんに言われるまま、通されたのは、図書室の倉庫とも言うべき書庫スペースだった。
俺の良く行く美術書コーナーと哲学書コーナーの裏で、返却された本がそこかしこにある半個室といったところだ。
「へー、裏はこんななんだ、知らなかったなー」
スペースの真ん中にしつらえたテーブルと二脚のイス。
促されて、おそるおそるイスに座ってキョロキョロする。
得体の知れない怖さのためか、俺の言葉は、自分でも白々しく棒読み口調に感じられた。
「そうなんです、ここは返却された本を、棚に返す前に整理するスペースなんです」
なんでドヤ顔でそんなことを言うのかな、と思ったら、次の岩瀬さんの言葉で納得がいくと同時に怖気が走る。
「ここは時々先生たちも打ち合わせで使うくらい、人が来ないのです」
思わず図書委員を見る。
してやったり、と言いたげな、ニヤけ顔に見えた。
「そして、声が少々大きくても、図書室の皆さんがいるところまで会話は聞こえないのです」
こんな密室みたいなスペースに連れて、俺に話ってなんだろう。
現実逃避だろうか、なんか、小学校の時、家族でたまたま見たテレビでやってたホラー映画を思い出した。
確か、小説家のオッサンが作品の熱狂的すぎるファンに監禁される話だ。
女優さんの目つきと行動が尋常じゃなくて、怖かったな。
そんな俺に構うことなく、岩瀬さんが静かにテーブルの向かい側にすわる。
ふぅっ、と息を吹きかけて、額にかかった前髪をはね上げた。
用件はなんだ、と俺が言うより早く、岩瀬さんが話し出した。
やや興奮気味なのはなぜだろう。
「やっと、お話が聞けます……美術室の絵についてなのですが」
「へ?……ああ、あれか。美術部にいたときの絵だよな。それが何か?」
「あの『あなたの油絵』ですが、その独特なタッチは、無意識ですか? 絵画教室のご指導ですか?それとも誰か、特定の作家の影響ですか?」
絵画教室のことは、つくばさんが文化祭に来て、俺に日立先生からの課題を受け取ったのを見ているから、知っていたのだ。
岩瀬さんがレジ打ちしてニヤニヤしていたのを思い出す。
小動物フェイスの岩瀬さんは、メモを取ろうといつもの手帳を開いた。
何が書いてあるか気になるが、癖のある筆跡と、彼女ルールの用語なのか、何を書いてあるのか、さっぱりわからない。
「そんな、大げさな……メモとることなの?」
「だまらっしゃい」
ピシャリと言われて黙るしかない。
単に頼まれて話しているだけなのに。
なんなんだコイツ、とイラッとくるが、ここで抗議しても余計に面倒なので、そのまま質問に答えることにした。
「無意識だと思う。美術書やデザインの本は見るけど、特定の画家を意識したことはないよ」
「あの絵の他に油絵は描かないのですか?」
「描かないし、描けないよ。なにしろ美術部を辞めているんだから」
なぜか図書委員は、美術室の俺の作品が気になるようだ。織田先生に飾ると言われたときに、ちゃんと断れば良かった。今更ながら後悔する。
その図書委員は、淡々とした口調だけど、言葉の端々に熱がこもり、前のめりな姿勢になってくる。
そしてメモを取りながら、上目遣いで尋問をつづける。
「あなたの作品には、一貫して『異常なまでの渇望』すなわち 『情念』が感じられます。それは、誰かと会った後、または何かを体験した後に、肉体から突き動かされて生まれますか?詳しく教えて」
「そんな……深読みしないでよ。俺はただ、良いな、と思う風景とかを描いているだけだよ」
「だまらっしゃいっ!」
小動物フェイスの目がギラっと俺を睨む。
「はあ……たぶん、そうなんでしょうねぇ」
早く帰りたくて、適当に答えることにした。こんなわけのわからない質問に真面目に答えても、課題が進むわけじゃない。
早く仕上げて、待っていてくれる日立先生に課題を出さなきゃいけない。
「あなたは、『誰も自分の情念の深さを理解できない』という、孤独な天才の苦悩を感じていますか?そして、その苦悩を『匿名性の高い場所』で解放する必要を感じていますか?」
「……!」
絵の構図を頭の中でイメージしていたら、岩瀬さんの尋問に引き戻された。思わず彼女の顔を見ると、ニコリとした。
いや、その粘着っぽい笑顔は、やはりニヤリとするべきか。
孤独な苦悩とかはどうでもいいけど、コイツ、わざわざ「匿名性の高い場所」っていったぞ。
いったい何を知ってるんだ?
残響画廊に投稿しているのが知られたのか? いや、それはないはずだ。美術室の油絵と筆ペン絵はまるで違う。
でも、もし知っているとしたら、どうやって知ったんだ?
頭の中でモヤモヤが渦巻く。こんなんじゃ、家に帰って課題の続きなんかできっこない。
目の前の図書委員は、何か勝ち誇ったような顔をしている。
カチンと来た。
俺はいつ、お前のオモチャになったんだ。それをしていいのは、陽菜とつくばさんしかいない。
言われっぱなしも癪だ。言い負かされても良いから、反撃くらいしてやる。
「あー……岩瀬さん、その質問って、まるで俺が中二病のイタいヤツみたいじゃん?いい加減、こんなこっぱずかしいインタビューより、まともな図書委員の仕事に戻ったらどうだよ?」
あえて呆れた口調で言ったのが良かったのか、ペースを崩された小動物は、声を荒げた。
「だまらっしゃいっ!あなたのその発言は、私の法則の破綻を意味します!静粛にしなさいっ!」
「静粛にするのは岩瀬さんだろ」
オモチャにした代金くらい払え、というつもりで、抑えたトーンで言い返す。
もっともなことを言われ、岩瀬さんは反論できず、黙って机に乗り出してきた。
圧をかけようとしたのか、舐めるように顔を近づけてくる。
岩瀬さんの茄子のヘタみたいな髪型が、今はメタルのヘルメットに見える。どこかでそんなキャラクターがいた気がする。鉄の爪がカッコ良かったような。
そんなことを思い出している場合じゃない。
どんどん図書委員は俺に迫る。鼻と鼻がくっつきそうな距離だ。
興奮気味なことが、目の充血と荒い息遣いでわかる。
品の良さそうなコロンの香りがほのかに漂ってきた。どこか石鹸に近い、キリッとした清潔すぎる香り。
香りを嗅いで、あっと思った。
そういえば、昨日も今朝も、シャワーをあびてない。
昨日、課題制作に夢中になっていて、気がついたら寝落ちしていた。学校には慌てて出てきたから、デオドラントも申し訳程度にしかかけてない。
潔癖そうな岩瀬さんにこれ以上近づかれると「身体を洗ってらっしゃい!」と怒られそうだ。
思わずのけぞって、視界の端に図書委員を追いやる。
「どうしたんですか? 答えられませんか?」
有利な立場に戻ったと思っているのか、余裕のある口調に戻り、更に近づいてきた。
違う、俺は岩瀬さんが考えているような理由でのけぞっているわけじゃないんだ、悪いけど。
身構えていたけど、岩瀬さんは沈黙したままだ。おそるおそる顔を起こす。図書委員の顔は至近距離にあるのは変わらないが、様子がおかしい。
「……岩瀬さん?」
息遣いは荒く、目は血走っているように見える。
色白だった顔は、夕焼けのように真っ赤に染まっている。
なんか、バイクを空ぶかししているのにも似ている。
目があった。
血走った目は完全に据わってる。俺は何もしていない。
わけがわからないで戸惑っていると、岩瀬さんは悩ましげに大きく息をついた。
「……魂」
「え? ちょっと、岩瀬さん?」
「魂の解放とその絵のタッチの因果関係とは何かと問われればともるんの孤高で至高の天才の筆致が解放を求めて魂が叫んでいるのであるそしてハス様おだわらっちその他面々とのめくるめく精神の融合と……」
図書委員は、据わった目のまま、一気にまくし立て始めた。
あまりに高速でしゃべりたてるので、岩瀬さんの顔が分身しているように見える。
話の内容は理解不能だけど、俺の体臭について言われていないことは理解できた。
「……荒ぶる魂をその指先でキャンバスにたたきつけ名を名乗らず私たちの目に」
「岩瀬さん、どうしたんだよ、落ち着けよ」
「だまらっしゃぁぁあい! じゃましないでぇっ! まてすずえあわてるなこれはともるんのわなぁっ」
裏返った声で叫ぶと、図書委員の小さな鼻の両穴から吹き出すように血が流れ出た。
「おわっ!」
俺が思わず声を上げたと同時に、前のめりだった岩瀬さんがのけぞって、ドスンと椅子に倒れ込んだ。
目が虚ろなまま、まだブツブツ言っている。
「岩瀬さん、どうしたっ? ……すみませーん、誰かー!」
騒がしいので文句を言ってやる、と言いたげに入ってきた女子の図書委員は、岩瀬さんのただならぬ様子を見て、小さな悲鳴をあげると岩瀬さんに駆け寄った。
「リン……鈴江ちゃんっ! どうしたの? と、とりあえず保健室にっ!」
「か、楓ちゃん……ともるんがね……」
「そんなこと良いから! 早く行くわよ」
やってきた女子に抱えられるように岩瀬さんは連れて行かれた。
書庫スペースを出る間際、抱えた女子が俺に振り向いて、俺に一礼した。あの娘、確か岩瀬さんといつも一緒に図書室にいる子だったはずだ。その表情には驚きとも怯えとも思えるものだった。
「早く、家で課題やろ……」
独り残された俺は、わけのわからないまま、呆然としていた。
【担当:誉田灯】
「岩瀬さんの件はなんとか収まったけど……陽菜の様子がやっぱりおかしい。
あいつがベンチでスマホを見つめて首を振るたびに、俺の心臓も嫌な音を立てるんだ。
思い出すのは、中学時代のあの失敗。
俺が描いた『不死鳥』は、陽菜にとってのお守りだったはずなのに。
どうして今回は、炎をまとってくれないんだ?俺にできることは、ただ祈ることだけなのか……?」
次回、第11話「スランプと、色褪せた不死鳥」。
幼なじみだからこそ、踏み込めない距離がある。




