40 文化祭2日目
――文化祭二日目。
この日も朝から「レトロ喫茶」は大盛況で、午前中には用意していた食材がすべて完売してしまった。
「やば、完売かよ……これ、めっちゃ黒字じゃね?」
「でも午後もあるし、買い足し行こう!」
手が空いたクラスメイトたちは手分けして買い出しへ向かうことになった。店内の空気が少し緩む。すると、軽音楽部の宮田が声を上げた。
「ねえ、佐々木くんと早川くん、ピアノ弾いてくれないかな?最近お昼とか、第二音楽室で弾いてるよね」
「私も聴いた。すっごい上手だった」
和也と佐々木が音楽室で練習していたのは、クラスの数人には知られていたらしい。
どうするのだろう。思わぬ方向に進む展開を、上から見守ることしかできない。
「でも、ピアノなんてどこに……」
真理子は戸惑いながらも、教室を見渡し、隅に置かれた軽音楽部の生徒が持ち込んだ電子ピアノを見つけた。
そのまま佐々木に目線で「どうする?」と問いかける。けれど、佐々木は決まりが悪そうに視線を逸らした。心なしか目元が赤い気がする。どうしたのだろう。流石に長時間クレープを焼きすぎて、目が疲れたのかもしれない。
そんな疑問をよそに、真理子は何かに気がついたように、いたずらっぽく口元を緩めた。
「可愛すぎて緊張する?」
耳元でささやくようなその一言に、佐々木は舌打ち交じりに真理子を軽く睨みつけ、電子ピアノへ向かっていく。彼にその手の冗談は効かなかったようだ。
――と言うか、中身は真理子さんだけど、なんか地味に傷ついたぞ。
二人は電子ピアノに並んで座った。最初に弾いたのは「ラプソディー・イン・ブルー」の連弾だった。軽快なリズムと力強いメロディーに、店内は一気に活気づく。
次に選んだのは「人生のメリーゴーランド」。切なくも美しい旋律が店内に流れると、先ほどまで賑やかだった空気が一変し、観客たちは静かに耳を傾けた。優雅でどこか懐かしい音色に、誰もが心を奪われている。その後も「ボレロ」、「海の見える街」など、誰もが知っている曲を次々と弾いていった。朝の練習の甲斐あってか、二人ともすごく息が合っている。
演奏が終わると、一瞬の静寂の後、大きな拍手が響き渡った。
「すっげぇ……二人とも、プロみたい」
「なんか、映画見てるみたいだった」
真理子は観客の反応に満足げに微笑むと、隣の佐々木に視線を向け、「次はどうする?」と目で問いかけた。買い出し班は戻ってきたものの、まだクレープ生地を焼く準備をしている段階で、あと二曲は弾けそうだ。だがやはり、佐々木は真理子と目を合わせようとしない。もしかして、メイクに引いてるとか?
真理子は「仕方がないわね」というように微笑んで、一人でピアノに向かい、再び静かな旋律を奏で始めた。「カノン」の優雅なメロディーが流れると、先ほどまで賑やかだった店内がしんと静まり返った。この曲を初めて聴いたのは、「犬と私の十の約束」という映画の劇中だった。まだ交通事故に遭う前……誰と観たんだっけ?
「最後に、あなたが和也くんに聞かせたい曲を弾きなさいよ。彼、上でずっと聴いてるわ」
真理子の言葉に、佐々木はそっと視線を上にあげた。一瞬、目があった気がした。そのままゆっくりと鍵盤に指を置く。そして、柔らかく澄んだ旋律が店内に広がった。
――「星めぐりの歌」だ。
その音を耳にした瞬間、意識の奥底で何かが弾けた。
美しい旋律に導かれるように、幼い日の記憶が断片的に浮かび上がる。
小学四年生の頃、「銀河鉄道の夜」に夢中になり、どうしても劇中で流れる『星めぐりの歌』を弾いてみたくなった。でも、楽譜も読めなければ、ピアノもまともに弾けなかった。そこで、合唱祭でいつも伴奏をしていた佐々木に、思い切ってピアノを教えてほしいと頼んだ。
それまでは特に話したこともなかったが、放課後に音楽室や佐々木の家の防音室でピアノを弾くうちに、自然と距離が縮まっていった。彼は根気よくピアノを教えようとしてくれた。そして、防音室で練習をしていると真理子が必ず、焼きたてのクッキーを持ってやって来た。やがてピアノだけでなく、図書館で一緒に本を読んだり、漫画の貸し借りをしたりするようになった。休みの日には二人で「銀河鉄道の夜」を見て、次の日の朝、自転車に乗って隣町のプラネタリウムにいったこともある。
だが、そんな日々は突然終わりを迎えた。
あの事件が佐々木の平穏な日常を奪った。毎日のように家の前に押し寄せるマスコミ、好奇の目、心無い言葉。やがて彼は転校を余儀なくされた。
「絶対に手紙を書くから。向こうでも元気で。また会おう」
そう約束したはずだった。
だが、その約束を果たすことはできなかった。
転校した佐々木を見送った翌週、五年生の新学期が始まってすぐの下校途中に、居眠り運転のトラックにはねられた。命こそ助かったものの、地誌的失認と相貌失認を患い、それだけでなく、事件前の数か月間の記憶を失ってしまった。
佐々木との約束も、二人で過ごした時間の記憶も、全て……。
――ああ、俺……佐々木と……。
なんだか目の奥が熱くなる。幽霊でも涙だって出るんだな、と、他人事のように思った。
演奏が終わると、店内にはしばしの静寂が訪れ、その後、盛大な拍手が響き渡った。
「めっちゃ良かった……」
「ピアノで泣きそうになったの初めて……」
クラスメイトたちも、観客も、心を打たれたように二人を見つめていた。
和也は、失われていた大切な記憶を取り戻したことに、胸がいっぱいになっていた。




