35 新しい発見
――翌朝。
天井近くを漂いながら、真理子が自分の体で目を覚ますのを見下ろしていた。布団の中で彼女がゆっくりとまばたきを繰り返し、やがて眠気を払いのけるように背伸びをする。
「……ふわあ。すごい。数年ぶりに睡眠を体験したわ」
確かに、幽霊にとっての“眠る”という感覚は、もう遥か昔のものだったのだろう。それにしても、眠れないことがここまで退屈だとは思わなかった。明日からは夜、真理子に映画か何か流して貰おう。待てよ?この状態なら、映画の登場人物の顔もはっきり見えるってことか!
和也が一人で盛り上がっている合間に、真理子はベッドから降りて、部屋の隅の鏡の前へ向かった。じっと鏡に映る顔を見つめ、前髪を整えながら小さくため息をつく。
「和也くんって……すごく整った顔してるわよね。肌もすべすべ。ちょっと嫉妬するわ」
そう言いながら頬をさする。
『ちょっ!やめてくださいよ!』
思わず抗議の声を上げるが、彼女は肩をすくめると、そのまま髪を指で梳き続けた。
「ねえ、お手洗いに行きたいわ」
「ええっ!? ……いや、まあ……そりゃそうか……でも……」
「馬鹿ね。今更高校生の体なんて見てもなんにも感じないわよ」
「わー!だからそういうこと言うのやめてくださいってば!」
真理子は平気な顔をしてトイレへと向かってしまう。なんだか妙に居心地が悪い。というか、彼女は実際に何歳なのだろう。
その後、真理子はキビキビと支度を進め、居間へ向かう。朝食には母親が用意したトーストとスクランブルエッグがテーブルに並び、父は新聞を読みながら座っている。
「おはよう、父さん」
ぎこちないながらも自然を装い、真理子は椅子に腰を下ろした。父は新聞の端からちらりと真理子を見やり、軽く顎を上げる。
「おはよう。今日早いな」
「……うん、まあね」
空中で思わず笑った。真理子は案外うまくやっている。それにしても、六年ぶりにみる父は少しおでこが広くなった気がする。母はちょっぴり目尻の皺が増えただろうか。今まで見えていなかった変化に、少し切なくなった。
朝食を終えると、真理子は歯を磨きに行く。佐々木との待ち合わせにはまだ早いので、しばらく部屋で時間を潰してから家を出た。その後ろをフワリとついていく。
「……これが、朝の空気……。やっぱり生きてる人の体って、全然違うのね」
「そうですね。というか、この体でどうやって地面を歩いてたんですか?どうしてもふわふわ浮いちゃうんですけど」
「慣れよ。慣れ」
「いや、もう少し詳しく教えてくださいよ。なんだかこのままだと風に飛ばされそうで怖いです」
「あら、でもその身体、風は感じないでしょう?」
「……確かに」
そんな話をしていると、もう待ち合わせ場所のポストは目前となっていた。少し離れた場所に、佐々木が立っている。彼が真理子に気づいたようだった。
真理子は一瞬戸惑ったが、ぎこちなく手を振った。
「お、おはよう!待った?」
「いや」
いつものように肩を並べて、駅に向かって歩き出す。
それにしても、佐々木って――。
宙に浮かびながら、改めて佐々木の横顔を見つめた。太陽の光が金髪に反射して、ふわりと輝いている。軽く流した前髪の隙間から覗く切れ長の目は意外と睫毛が長く、彫りの深い顔立ちは横顔でも整って見えた。鼻筋はすっと通り、口元は引き締まっているけれど、どこか柔らかい印象を与える。こうして鮮明に佐々木の顔を見たのは、初めてだ。
今なら、クラスの女子たちが騒いでいた理由がわかった気がした。あと、格好良すぎて話しかけづらい、というのも。特に目元。鋭いけど、なんだか優しさもある。無表情の中に隠れた感情の揺れが、今ならわかる気がした。
相貌失認で見えなかったものが、今はちゃんと見える。それだけで、世界がとても鮮やかになった。ずっとこのまま幽体離脱状態でいるのは嫌だけど、もうしばらくはこのままでもいいかもしれない。
その後も、新しい発見の連続だった。
真理子は佐々木と共に、教室へと足を踏み入れた。周囲のざわめきの中、和也の席を目指して歩く。しかし、目の前に広がる景色は、彼女にとって未知の場所だった。
「……席、どこかしら?」
浮かび上がる和也に、真理子は小さく問いかけてくる。
「右奥の窓際です。二列目」
天井近くを漂いながら即座に指示を出す。真理子はその言葉通りに進み、ぎこちなく椅子に腰を下ろした。
「おはよう、早川ー」
声をかけてきたのは山本だった。スマホを片手に、にやけ顔全開で駆け寄ってくる。
「お、おはよう……」
真理子は不自然にならないように笑みを返している。だが、内心は緊張でいっぱいだろう。
「なあ、これ見て! 昨日またガチャ引いたんだけどさ!」
そう言って、山本はスマホの画面をドンと差し出した。表示されているのは派手なイラストのキャラクター。名前の横には金色の星が五つ並んでいる。
「……わあ、すごい、星がいっぱい……強いんだ?」
「めっちゃ強い!てか、この限定キャラ、排出率0.4%だからな?ヤバくない?」
山本は興奮気味にまくし立てる。真理子は一生懸命うなずいた。
「そ、そんなに低い確率なの?すごいね」
「それな!マジで神引き!俺、今日なんか良いことある気がするわ!」
テンション最高潮の山本に、思わず苦笑してしまう。
「大丈夫ですよ、適当に言っても大体喜びますから」
山本の顔を見るのも初めてだった。目元は涼しげでシュッとしており、鼻筋は通っている。唇は薄く、顎はシャープに整っていた。髪型だけ見ていたときは、もっと野暮ったい印象だったのに――顔立ちは意外にも整っている。
昼休みになると、吉川がやってきた。こちらも初めてはっきりと顔を認識できたが、割と想像通りかもしれない。くりっとした大きな目に、ふんわりとした頬。笑ったときに目尻が自然に下がり、頬がほんのり膨らむ。なんだかリスのようだ。女子に「自分より可愛い子とは付き合いたくない」と振られてしまったというのも、なんとなく納得できる気がした。
「今日、山本弁当ないから購買行くってさ。あれ、佐々木は?」
目の前に腰掛けた吉川が、佐々木の席を見ると、彼も弁当を取り出しているところだった。
「僕、声かけてくるー」
吉川は一度仲良くなると、誰にでもフランクに接するタイプだ。遠慮のないその感じが、周囲を自然と和ませる。やがて山本も購買から戻ってきて、机にパンとジュースを置くと、満足そうに言った。
「今日、限定のカレーパン買えたんだよ。これ、すぐ売り切れるんだよなー」
「マジで?運いいね、ガチャといい。帰り道、事故とかに合わないといいけど」
「ちょ、縁起でもないこと言うなよ!」
山本が顔をしかめつつ、カレーパンにかぶりついた。
「まあ確かに、変なとこで帳尻合わせられそうだよな」
そんな賑やかなやり取りを横目に、真理子は佐々木を見ていた。彼は黙々と弁当を食べていたが、口元がわずかに緩んでいる。
「……真理子さん、ちょっと見つめすぎです」
「あっ、ごめんなさい」
真理子がふと我に帰る。
「え?何が?」
「どした?」
山本と吉川が首を傾げる。佐々木も怪訝そうに見やった。
「い、いいえ、なんでもないの。それより、今日の放課後から文化祭の準備が始まるらしいけど、みんなはなんの係をするの?」
なんとか話題を変えて誤魔化した。ナイス、真理子さん。
「俺は調理!で、試食しまくる係!」
「ばか、そんな係ないよ……。僕も調理係がいいな。接客とか苦手だし」
「え、清水たちが吉川にメイド服着せるって意気込んでたぞ?」
「は?嘘でしょ?絶対嫌だ!」
吉川が青ざめる。
「佐々木もやっぱり調理か?料理うまいもんな」
「いや、クレープとか作ったことない」
「じゃあ接客?」
「……よりは調理の方がマシだな」
「早川は?」
吉川の問いに、真理子が目線を投げてきた。
「調理がいいです」
「わた、お、俺も調理」
「みんな調理希望かよ。こりゃジャンケンになるかもな。クラスの他の連中も同じこと考えてそうだし」
穏やかな雰囲気の中、チャイムが鳴った。山本と吉川はそれぞれ自分の席へ戻っていく。佐々木だけが席に残り、じっと真理子を見つめた。
「……なんか、今日変じゃないか?朝から」
その鋭い視線に、真理子が一瞬固まった。
「え、そ、そうかな?別に普通だよ……」
「……まあ、いいけど」
佐々木は納得していない様子だったが、それ以上追及せず、自分の席へ戻っていった。
真理子は小さく息をつくと、ちらっとこちらを見上げてきた。
「……バレるのも時間の問題かも」
「確かに。佐々木が心配しそうだから隠した方がいいかと思ったけど……まあ、佐々木には結局言うつもりだったし、今日の放課後に打ち明けましょう」
待ってくれてる人がいるのかわかりませんが、のんびり更新ですみません!マイペースに書いていくので、気長にお付き合いください~!




