第15章 それぞれの未来ー2
卒業パーティーが終わると、クライス王子は呆然自失のまま王宮に戻った。足を痛めた婚約者のエリザベスなど無視をしたまま。
エリザベスの足は腫れ上がり、靴を履いていることもできず、気の強い彼女もさすがにどうしていいのかわからずに泣き出しそうになっていた。
すると王子の側近であるハインツが軽々とエリザベスを抱き上げて馬車まで運んでくれた。
この時ようやくエリザベスは気が付いた。この辛かった三年間をどうやって乗り越えられたのか……を。
それはいつも、陰日向にハインツが見守り励まし助けてくれていたからだった。
自分を支えていたのは、クライス王子への思いでも意地でもなかった。ハインツに自分の頑張りを認めてもらいたい、その一心だけだったのだ。
『……だけど本当に貴女はこのままでいいの?』
いつか友に尋ねられた言葉がリフレインした。あの時返した言葉は偽りだった。
彼女は苦労した日々をただ無駄にしたくなくて、ああ答えてしまっただけなのだ。
だけど今なら、あの努力は自分自身の成長のためだったのだから決して無駄なんかにはならないとそう思える。たとえ王子妃でなくなったとしても。
くだらないプライドなんてもう捨てて、これからはただ自分のために、そして大切な人達のために頑張っていこう。
そのために不要なものは綺麗さっぱりと捨ててしまおう。
揺れる馬車の中で足の痛みに顔を歪めながらも、エリザベスの顔はどこか晴れやかだった。
そして王宮に着くと、クライス王子はエリザベスを横抱きにしたハインツを引き連れて、両親である国王と王妃の元へ卒業の挨拶に向かった。
その前に医務室へ向かいましょうと何度もハインツが進言したが、クライス王子は聞く耳を持たなかった。国王夫妻を待たせるなんて不敬だろうと、彼を睨み付けただけで、エリザベスを気遣う仕草さえ一切示さなかった。
エリザベスは弱々しく微笑むと、
「心配しないで。大丈夫。我慢できますから」
と、ハインツだけに聞こえるように告げたのだった。
国王夫妻は応接室のソファーに座って息子達を迎え入れた。彼らも親の立場で学園の式典に参列していたが、息子達よりひと足早く王宮に戻っていた。
そして部屋に入って来た息子達を見て眉を顰めたが、黙ったまま息子の言葉を待った。
クライスはハインツや護衛が部屋を出て行くとこう口を開いた。
「父上母上、今日無事に学園を卒業することができました。式典にまでおいでくださったことを感謝します。
明日からは成人王族として父上や兄上の補佐ができるように、エリザベスと共に精進して行きたいと思っています」
「「…………」」
クライス王子が『エリザベスと共に……』という言葉を言った瞬間に、国王と王妃は一瞬息を呑んだ。もしかしたらエリザベスもそうだったかもしれない。
「お前は昨日、卒業したら大切な話があると言っていたな。早速聞かせてもらおうか」
国王がこう尋ねるとクライス王子の目が泳いだ。
「ええと、そろそろ結婚式の日取りをご相談したかったのです」
「ほぉ~。結婚式ね、それは誰と挙げる結婚式かな?」
「誰って、それはエリザベスに決まっているではないですか! 私の婚約者はエリザベスなのですから」
父親の質問の意味がわからずにクライス王子は困惑した。すると、母親である王妃が小首を傾げた。
「でも貴方はエリザベスを婚約者扱いしていなかったでしょう? この三年ほとんど接触を持ってこなかったわよね。エリザベスが妃教育で登城してきても会いにも来なかったでしょ?
私は何度も貴方に注意をしましたよね。そして誠意を持ってエリザベスに向き合いなさいとも。でも態度を改めることはなかったわ。
それに学園でもエリザベスを無視していたというではないですか。それは皆にエリザベスは婚約者ではないと言いふらしているのと同義よね?」
王妃にこう言われたクライス王子は、思わず隣のエリザベスを睨み付けてしまった。すると「ほらね」と言われてしまった。
「エリザベスはあなたへの愚痴なんて一切何も言ってはいませんよ。それなのになんて憎々しげな目をするのでしょう。
まさしくそれが貴方の正直な気持ちなのでしょうね。エリザベスを愛してもいないのに、本当に結婚するつもりなの?」
「王侯貴族の結婚に愛情などはいりません。国や家のためにするものなのですから」
「ほぉ、立派な心構えだな。立派なものだ。だがそれなら何故ハーディン侯爵と接触していたのだ? 本当はあちらのご令嬢と結婚したかったのではないのか?
何を驚いている。
今度は側近達を疑っているのか? 本当に愚かだな。
元々卒業したら教えるつもりだったから今言うが、我々王族全員には四六時中王家の影がついているんだぞ。つまり我々は一挙一投足を絶えず見守られていると同時に、彼らに見張られているのだ。
国や家のためと言いながら、所詮自分の好きな女性と結婚したかったのだろう?
そうでなければあんな問題の多い家と縁を結びたいだなんて、そんなことを思うわけがなかろう」
王家の影……そんなものはまことしやかに流れる噂に過ぎない。全く気にもとめていなかったのに本当に存在していたとは。
影の存在を知らされてクライス王子は項垂れた。もう誤魔化しは利かないと悟ったのだ。
「ハーディン侯爵は実の娘を虐待していたような男だ。ろくでもない人間であることは間違いない。
そうでもなければあの才色兼備で思慮深いと評判のレイラ嬢が、親の承諾なしに結婚するはずがないのだからね。
お前は侯爵がそんな非常識な男だと見抜くこともできなかった。なんと愚かなのだ」
国王の言葉にクライスは打ちのめされた。そしてそんな息子に冷ややかな目を向けていた王妃が、その視線をエリザベスへと移してこう尋ねた。
「それでエリザベス、貴女はこれからどうするの?」
「先々週にお会いした時に、自由に思いを告げるようにとおっしゃって頂きましたが、今この場で申し上げてもよろしいでしょうか?」
「もちろんよ。思う存分言ってちょうだい。貴女はこの六年本当によく頑張りました。私の厳しい指導にも逃げ出さず立派でしたよ。そのご褒美です。もちろん不敬罪などということを言うつもりもありませんよ」
王妃はまるで愛しい娘を見るような慈愛の籠もった目でこう言った。その言葉にエリザベスは 感極まって泣きそうにながらもこう告げた。
「もし許して下さるのでしたらクライス殿下との婚約を解消して頂きたく存じます。解消が無理なら殿下からの破棄でも構いません」
「婚約破棄だと? 何を言っているんだ! 君は私を愛しているのだろう? 何故そんなことを突然言い出すのだ!」
思いもよらないことを言われて、クライス王子カッとして大声で喚いた。しかしエリザベスは冷静だった。
「だって、殿下は私をお嫌いでしょう?
殿下は先程、王侯貴族の結婚は国や家のためにするものであり、愛情は必要ないとおっしゃいました。確かにそうかもしれません。
ですが、愛情はなくても最低限の信頼関係は必要だと思います。
陰で婚約者の有りもしない嘘をわざと流すような方と信頼関係など作れるとはとても思えません。ですから結婚は致しません」
エリザベスはクライス王子の目を見据えて、はっきりとこう告げた。
「全部が全部嘘ではなかっただろう?」
「はい。その通りです。私もたくさんの過ちや失敗をしました。ですから一方的に殿下を責めるつもりはありません。ですから、私の有責の婚約破棄でも構わないと申し上げました」
エリザベスがこう言うと、王妃は右手の人差し指を立ててそれをチッチと横に振った。
「人は誰でも失敗をするものよ。それ自体が悪いことではないわ。貴女は確かに間違えたけれど、すぐに気が付いて反省し、その過ちを認めて誠心誠意謝罪したわ。今では逆にその方々との親交を深めていますよね。なんの問題もありません。
あの噂は嘘ですと、態々手紙を寄越してきた者もたくさんいるくらいですよ」
王妃の言葉にエリザベスは瞠目し、目を潤わせた。
「クライス、貴方はエリザベスの失敗を責めてばかりいたわね。夫婦というのはね、お互いの足りないものを埋め合って助け合って暮らすものなのよ。世の中に完璧な人間なんていないのだから。
私達もそうだわ。六年前、私は貴方達の婚約に反対だったわ。まだ早過ぎると思ったから。
ところが陛下は親馬鹿で、賢い貴方の選択したことだから間違いないといって、強引に勧めてしまった。
でも婚約や婚姻は運命を大きく左右する一大事なのだから、あの時喧嘩になっても陛下を思いとどませるべきだったわ。
貴方も責任は親にあると思っているのでしょう? クライス。ええ、確かにそうね。私達が悪かったの。けれども人は誰でも間違えるのよ。
エリザベスに足りないところがあったのなら、何故貴方が助けてあげなかったの? 助言をしてやらなかったの? 何故相談に乗ってあげなかったの?
エリザベスは貴方が選んだのでしょう? 彼女が好きだから婚約者に決めたのでしょう?
それなのに何故彼女に寄り添ってあげなかったの?」
母に諭されて、クライスは初めて己を振り返った。確かに学園に入学してからというもの、彼女を思いやったことなどなかった。
クライスはエリザベスに頭を下げて、時間をかけて償うのでやり直して欲しいと懇願した。しかしエリザベスは頭を横に振った。
「今貴方は反省している、やり直したいと言ったけれど、その言葉は信じられませんわ。
だって、本当に一欠片でも私を思いやる心がおありなら、この話し合いよりも、まず私の足の治療を優先して下さっていたでしょうから」
エリザベスがドレスの裾を少し持ち上げると、彼女は靴を履いていなかった。何故なら両足とも真っ赤に腫れ上がっていたからだ。
「まさか、治療を済ませていなかったの? なんてことなの!
貴方は王子の前に男として最低よ! 一から紳士としての教育をやり直しなさい!」
王妃はスクッと立ち上がるとこう叫んだのだった。




