函館初日
ここが函館基地……。
函館の市街地から少し奥まった場所にあるその基地は、地方の、しかも中枢ではない拠点にしては、どこか活気があり、規模も大きい気がする。本部の立川基地しか知らない私には、その違いが新鮮だった。
「王子中尉……かな?」
前方から歩いてきたのは、白髪混じりの、穏やかな笑みを浮かべた男性。だが、その隊服に刻まれた階級章は大佐……。
「本日より函館基地・雪兎隊に配属になりました、王子小早です!」
反射的に背筋を伸ばして敬礼する。この方は、私の恩師である中山中佐のさらに教官だったという、日吉大佐だ。
「函館基地長官の日吉だ。よろしく頼むよ」
ニコニコと人当たりの良そうな日吉大佐は、初日の今日は業務説明のみだと告げ、自ら基地内を案内してくれた。
雪兎隊の規模はおよそ25名。全員が中尉以上の士官学校出身者で構成されており、民兵が一人もいないという。設備も驚くほど充実していて、場所によっては東京の士官学校をも凌ぐかもしれない。
士官学校って結構建物は古かったもんね……。
「内部はこんなもんだ。スケジュールも士官学校時代とさほど変わらないから、すぐに慣れるだろう」
そう言って促された先は、基地の外だった。
用意された車に乗せられ、連れて行かれたのは――。
「とりあえず、市長室だな」
そこは、函館市役所の市長室だった。
「久しぶり、元気にしてたか?」と親しげに話す大佐と市長。
「この子かな? 新しく短期派遣されてきたのは」
市長の問いに、私は居住まいを正して名乗る。
「本日より、八王子本部立川基地所属・中山隊より派遣されました、王子小早中尉です。立川の高等士官学校出身です!」
「噂はテレビや日吉から聞いているよ。よろしくね」
市長は優しく微笑んだ。どうやら、例の事件や卒業試験の件で、私の名は少し有名になりすぎているらしい。
大佐と市長は小・中学校の同級生なのだという。
「人事情報を市長へ報告する義務はないんだが、日吉はいつも教えてくれるんだ。行政と軍の関係が良好だと、いいことだらけだからな」
行政と軍が対立している基地の話は、教官からも聞いたことがある。住民の不安や軍への反発は、私たちが想像する以上に根深いものだ。もちろん経済として潤うのだが、いつ攻撃対象にされるか分からないという不安までは拭えない。
「函館基地は変わっているが、モデルケースでもある」という教官の言葉の意味が、少しずつ分かってきた。災害時や軍にしか対応できない事態が発生した際、この密接な連携が迅速な初動を生むのだ。なるほど。
市長室を後にした大佐が次に車を止めたのは、のどかな住宅街だった。
「田中さーん!」
大佐が声をかけると、一人の高齢の女性が顔を出した。
「あら、日吉さん。毎日ありがとうね。その子は?」
「今日から配属になった王子中尉です」
私が答えると、女性は「若いわねぇ」と目を細め、お茶を淹れて歓迎してくれた。
軍がこれほど地域に歓迎されている光景に、私は戸惑いを隠せない。
「基地の隊員で毎日、近隣の見回りを行っているんだ。ここは高齢者が多いからね。困りごとはないか、異変はないか聞いて回る。それが防犯や防災に直結するんだ」
そんな仕事まで……。
「前、隣の橋本さんが動けなくなった時も、見回りの方が気づいてくださってね。ここが安全なのは、皆さんのおかげですよ」
田中さんは嬉しそうに語り、私に向かって言った。
「王子ちゃんが来てくれたなら、いつもの『あれ』を集会所でやりましょうよ」
「あれ……ですか?」
首を傾げる私を余所に、大佐は「王子中尉は正式着任ではないので……」と恐縮していたが、田中さんは「そんなの関係ないわよ!」と笑っていた。
その日は結局、一軒一軒、全ての家を回った。過疎高齢化が深刻だという地域だが、子供たちの姿もあり、誰もが私たちを温かく迎えてくれた。
これが、函館基地が目指す「軍のあり方」なのだろう。
夜、直属の上司になった中山中佐(教官)から、週1回の活動報告用のフォーマットが届いた。
「毎日書かないと週1の報告すら忘れるぞ」という教官らしいアドバイスに苦笑しながら、私は初日の出来事を書き留めた。
戦闘補佐隊として沢山のことを見聞きし学んでこい。早いうちに視座を上げることが出来れば、後に役に立ってくるからな。と言っていた教官の言葉を思い出す。
少し寂しいな。2年間過ごした立川から離れて寂しさを感じながら、その日は眠りについた。




