歪められる真実
桜木の部屋に漂うコーヒーの香りが、一瞬で凍りついた。
静寂を切り裂くようなけたたましい着信音。画面に表示された名は「小早」だった。
「っ! 着信?」
「相手は?」
「小早だ」
「出たほうがいいな」
嫌な予感が背筋を駆け抜ける。
「ああ。もしもし……小早?」
受話器から聞こえるあいつの声は、膜を隔てたように遠く、頼りなかった。
「どうした?」
「……分からない」
直後、スピーカー越しに、下卑た野次馬の喧騒と、心ない刃のような言葉が流れ込んできた。
『すいません。士官学校の関中尉と王子中尉ですよね? 〇〇テレビの者ですが、インタビューよろしいですか?』
『すいません、人違いだと思うので……いくぞ』
『う、うん』
『そもそも安宅大尉は存在しない架空の人物では!?』
『私たちには今の質問は答えかねます』
指先が怒りで震える。あの日、命を懸けて戦い、散っていった安宅を「架空」だと? 俺は録音ボタンを叩きつけ、桜木にも聞こえるように音量を上げた。
「桜木、小早たちがマスコミに囲まれてる!」
「なんだと!」
スピーカーから漏れる声は、さらにエスカレートしていく。
『答えられないのは、あなたたちが見捨てたからじゃないのかな?』
『安宅大尉と関中尉は食堂を攻撃された際、中山少佐と共に目の前の敵ではなく、宿舎の方の敵の討伐に向かわれたそうですが、敵前逃亡ではないのかな?』
「っ……! 敵前逃亡だ?」
心臓を直接握りつぶされたような衝撃が走る。あの子たちの決死の判断を、軍人として最も不名誉な「逃亡」と呼び捨てるのか。
「桜木……これはまずいな。上に連絡する」
「迎えに行くんだな」
「ああ」
俺は震える手で無線を掴み、司令部へ怒号に近い声を叩き込んだ。
「こちら桜木と中山。3A王子と3B関がマスコミに捕まった様子。迎えに行きます。広報、誰かお願いします」
『了解。正門に向かわせる』
車に飛び乗り、桜木がアクセルを踏み込む。スピーカーからは、追い詰められた小早と、彼女を守ろうと必死に耐える関の声が流れ続けていた。
『私はその場に居合わせておりませんが、個人的な意見を述べさせていただきます。士官学校の生徒は少尉以上の位を持ち、それに見合う実力も責任感もあります。その為、敵前逃亡はありえないと私個人の意見として考えます』
『中山少佐は安宅大尉と王子中尉の指導教官であったわけですが、教え子可愛さにそのようなことをしたとは考えられませんか?』
『私の知っている限り、中山少佐はそのような人ではありません。そろそろ帰らせていただきます』
『逃げるんですか!?』
『王子中尉は安宅大尉と恋人関係だったという話がありますが……!! それで安宅大尉が援軍を申し出たのではないのですか!!!』
『ちがう……安宅……くんは……そんな人じゃ……ない』
小早の、泣きそうな、けれど必死に安宅の誇りを守ろうとする掠れた声。
『今なんと?』
『……広報部からの情報が全てです。それ以上は答えかねます』
小早、いいぞ……そのまま耐えてくれ
あと3分で映画館の前まで行ける。3分だけ、待っていてくれ。 だが、マスコミの追求は醜悪さを増していく。
『王子中尉は安宅大尉が亡くなって、関中尉に乗り換えたという噂は本当ですか?』
『王子中尉は随分痩せておりますが、コネ入学、コネ飛び級の噂がありますが、本当のところどうなんですか?』
『士官学校の生徒とはいえ、軍人なら国民に説明義務がありますよね? 答えてください!!』
『国民や国を守る軍人が、恋愛にうつつを抜かしていたという事実を、どう受け止めていられますか?』
『安宅大尉は卒検首席と言われますが、自分の身すら守れないということについて、どのように仲間としてお考えですか?』
『安宅大尉は本当は弱かった、違いますか?』
『全て広報部を通して下さい。中尉、行こう』
小早、いいぞ。関も……よく我慢して小早の言うことを聞いてる。大丈夫、すぐ行くからな。
「中山、俺が運転で本当にいいのか?」
「大丈夫。鍵あるからあそこに連れて行ってくれ。連絡はさっきした」
俺たちは、あの子たちをこの地獄から引き剥がすために、なりふり構わず車を走らせた。
『お二人のせいで安宅大尉が亡くなったのではないですか?』
『っ!』
小早の息を呑む音が、スピーカー越しに俺の心臓を射抜いた。
小早……!
「王子まずいぞ。」桜木が冷や汗をかきながら呟く。
あの子たちが、どれほど「自分のせいで安宅が死んだ」と自責の念に焼かれてきたか。 誰にも納得できないその痛みを、土足で踏みにじるような質問に、俺は歯が砕けるほど奥歯を噛み締めた。
『中尉……。行くぞ』
『安宅……大尉は立派な方でした。それは紛れもない事実です。その安宅大尉を死なせてしまったことも、また事実であります。申し訳ありませんでした』
「着いた! 映画館はこの上だ!」
俺は車を飛び降りた。1人でも多くのマスコミを遠ざけるため、ショッピングモールの窓口に軍人証明書を突き出し、強引に話を通す。 桜木には、混乱を避けるために車を回させた。
耳元のレシーバーからは、携帯電話が拾うまだ執拗な追求が聞こえてくる。
『では、なぜこのように映画なんか見て楽しんでいるのですか? 申し訳ないならそれなりの行動をとられてはいかがです? あなたのせいで安宅大尉は亡くなったのですよ? 何か答えてくださいませんか?』
『うちの……せい。安宅……くん』
っ! 小早!!
『くっそ!!!』
関の、怒りと悲しみが限界に達した叫び。
関、落ち着いてくれ……あと10秒、あと10秒だけ持ちこたえてくれ!
俺は、人混みを掻き分け、階段を駆け上がった。




