闇に光るモノ
夕焼けに照らされ長く尾を引く黒い陰を二つ引き連れ、藤とお虞がトボトボと道を歩いて行く。歩く理由は言わずもがな。お虞のあまりの勇ましさに浪人者どころか茶屋の主人までが恐れおののいてしまったからである。
二人は夕陽に向かいながら山谷の道を小塚原へと歩いてゆく。日光街道に入り、千住宿を飛び込みで探ろうとの腹なのだ。
「おぅ、右見てみな」
藤の言葉にお虞は顔を右手に向ければ遠くに小山のように舞うカラスの群れが見える。
「あの向こうが小塚原の刑場だ。処刑した罪人をあそこら辺に埋めてるんだろうが、埋め方が浅いもんだから死体を犬や狸が掘り起こしちまうんだ。カラスはそのお零れに預かる訳よ」
藤はそう言うと振り返ってお虞の表情を眺めるのだが、予想に反してお虞は涼しい顔だ。
「なんでぇ、驚きもしねぇのかい」
「藤さま、アタシは年中人足仕事に出てるんですよ、いちいち人の骨で驚いてなんかいられないですよ」
「そうなのかい?」
と訊ねれば、それには
「そうなのです」
と返された。
なんでも干拓工事に借り出された時のことだそうだが、埋め立てのために小山を崩せば、辺りから山ほど人骨が出てきたそうである。
それをどうしたのだと聞けば、それにお虞は笑って答える。
「もちろん埋め立てる為に、土と一緒に放り込みましたよ」
どうやら古い骨達は、新たに江戸の一部となったようだ。
「見てみな、晒し首だ」
街道沿いに晒された首を態々指してそう言えば、さすがに今度はお虞も嫌な顔をしてみせる。其れを見て、やはり人としての死に対する恐れを持っているようだとなぜか藤は少し安心をした。
大分日も傾いた頃に千住の宿に入った同心・藤とお虞だが、時が遅すぎたのか茶屋は既に店を閉じ、街道沿いは代わって別の店々が活気を示していた。旅籠、居酒屋、そして私娼の宿など、宿場街は既に夜の別の顔を見せ始めている。
「ちっと遅すぎたようだな、だがどうするお虞、どこか覗いてみるか?」
「岡場所ですか? やはりアタシのような女は体を売るしか…」
「馬鹿、居酒屋だ。黙認しているとはいえお上が女郎屋や飯炊き女に世話する訳ねぇだろ!」
そういう訳でお虞は今度は目当てを変え、居酒屋を勝手口から叩いてみたのだが、これが良くなかった。今時分の居酒屋は戦場のような忙しさ、どこの店でも追い出されるか、あるいは丁寧な場所でも、
「時間を変えて、出直して来な」
と、追い返されたのである。
「仕方がねぇな、今日は仕舞いにして明日、出直すしかねぇだろ。おい、お虞! 明日は駕籠無しだが大丈夫だな? なら、帰るぞ!」
二人は既に日も暮れて暗くなった街道を、江戸へと帰路に着いたのである。
西の空に見えていた細い月が雲間より姿を隠す。街道筋は光を失い、左右に並び立つ枯れススキが夜空を背景に黒く影を浮かび上がらせる。
影をサワサワと騒がせる東寄りの風が吹き抜け、ひたひたと後ろより続く相方の足音をしばしかき消す。光を失った濃淡だけの世界は音が支配している。
『ほ~~~~~~~~――――――・・・』
「なんだ今の声は?」
遠くより明瞭に響き渡る奇妙な声に思わず藤が口走った。
「ふくろうじゃないですか?」
応えたお虞はまるで興味も無いとばかりにそう言い放つが、藤はそれに納得がいくはずもない。
「そうか、ふくろうか。ずいぶん不細工な鳴き方をするもんだな。お虞、お前の郷里ではふくろうは皆あんな鳴き方をするのか?」
「きっとまだ若い鳥なんでしょう」
「そうなのか? ところでおまえ、国は何処よ?」
「常州の水戸様のお隣です、周りは山ばかりですからフクロウも珍しくはないですよ」
「そうか、じゃぁアレも珍しくはなかろう」
藤は立ち止まると前方遠くを指差しそう言った。その指差す先、遠くには微かに見える灯火が見える。
「キツネ火だ。田舎ならアレもちょくちょくお目にかかるだろう」
その立ち止まった背中をバンッ! と叩くとお虞が言った。
「藤さま、幾らなんでも馬鹿にしてっぺ、あよ。キツネ火だなんて、あれは江戸の街の灯りだっぺぇな!」
なにやら言葉に地が出たお虞に藤は振り返るが、影となって映るお虞からはどうにも恐れといった感覚は感じられない。どうやら田舎者をからかっていると受け取られたようだ。
「違うだろ、ほら、よく見てみろ。そら二つに分かれた。こちらが動いてもいないのにおかしいだろう。その内もっと沢山に分かれて踊りだすから見ていろ」
藤の言うままにしばらくその様子を眺めていれば、遠くにまたたく灯りは四つ、八つと分かれるとふらふらと動き始める。
「近在の村の人達が松明を燈して何かをしているのでしょうよ」
「そう思うか?」
「ええ」
「なら確かめてみるとするか」
そう言うと藤はキツネ火の見える先へと向かって歩き出す。もっともそこは街道上、江戸へと向かう先であり、藤とお虞はもとよりその方へ向かっていた為遠回りではない。お虞も何彼と口にするでもなく素直に藤の背中に従ってゆく。
そうして四半刻も歩いたであろうか。しかし藤とお虞は未だ街道上にあり、江戸には達していなかった。
「おかしいだろ? 千住の宿を出てもうどれだけになる? とっくに着いていてもいい頃合だ」
目の前には相変わらずユラユラと遠くに灯火が広がり距離も詰まってはいない。
「藤さま、道を間違えたのではありませんか? 江戸に向かうつもりが江戸の周りを地元の百姓達の松明を辿ってぐるりと廻ってしまったとか」
お虞の言いたい事は、千住から江戸に向かうのではなく、いつのまにか田端、豊島と江戸の外れを西に廻ったと言う事だろう。星も月も出ていないこのような夜なら考えられなくも無い話だが、そうだとしても夜に松明をかざして出歩くあの集団の言い訳にはなりそうもない。
「まだ信じねえのか、おまえは信心が足りネェようだなぁ。ところでやるか? 噛煙草」
影だけの姿で浮かび上がるお虞に向かい藤がそう言えば、お虞はそれを断った後に、明瞭に響く声で怖いものなど無いとでも言わんばかりに言うのである。
「幽霊・妖怪・化け物…そんな物が居るんだったらアタシは今ごろ絶世の美女になっていますよ!」
藤にはどうしてそうなるのかは判らなかったが、とにかくお虞の自信は大した物、キツネ火など、まるで信じてはいないといった口ぶりだ。
「まあいい、とにかく行くぞ。おぅ、丁度キツネ火も消えたようだしな」
「あっ、本当」
知ってるか? と問いかけ掛けて同心・藤は口を噤んだ。本当はお虞にキツネ火が消えた理由※を話してやろうかと思ったのだが、端から信じていないお虞に語ったからといって笑われるだけとも思ったのである。
(※噛煙草 煙草で一服は迷わす類の化生のモノによく効くとされる)
『まあなんにせよ人を惑わすキツネ火も消えた事だしこのまま歩けば何処かしらに着けるだろう』
そう踏んだのであるが、辿り付いた場所は少々厄介な場所のようであった。
『ゴリッ、バキ・パキ、じゅるじゅる…ズズ…』
道の先から響く嫌な音に藤とお虞は足を止めた。
「なに? この音?」
立ち止まり、耳を傾ける間もその嫌な音は道の先から変らず響き渡ってくる。
「狸か、野良犬か」
そう言うと、藤が刀の柄に手を当て前に歩き出そうとするが、それをお虞が止めにかかる。
「藤様、待って、石を投げてみます」
森は背後に響くざりざりという音に、お虞が道を足で撫で石を探しているのだと感じたが、まもなく、
「いきます!」
とのお虞の声に続き、道の先に響く『ボドッ』との音に、お虞がかなり大き目の石を投げたのだと感じた。
そして道の先にその音に反応して光る二つの青い輝きが。やはり野の生き物が何かを咀嚼している音だと断じると、藤は刀を抜き、ザリザリとすり足でその光る両目に向かっていく。
『ぼとりっ、ズズ、バキッ、パキッ、ピチャピシャ……』
道の先に青く光る両目はそのままに、先程より強く響く音が風に混じる。
『人を恐れるでもなく両目がこちらを向いているということは、ひょっとするならば厄介な獲物かもしれない』
同心・藤はそう考えながらも、同時に畜生に舐められてたまるかという気持ちが胸中に高まってゆく。
しかし、それもここまでであった。次第に近づく音と光る両目、その音は最早僅かな距離にあることを藤に教え、その光る両目は高さを増し、いつしか藤の胸の高さから覗き見ていると知ると、当初の気概も萎え果て、藤の膝には震えさえ走り始めている。
『なんだこいつは!?』
犬ならば唸り声が聞こえてもよいはず、しかし目の前に黒く大きな影となって浮かび始めたそれにはそのような事も無く、相変わらず何かを口にくわえ、汚らしい音を立てつづけている。
『ボドッ、ビッチャ』
先で何か重い物が地面に落ちる音がした。そして先に輝く両目が、起き上がったものか藤の背丈よりも高くに持ち上がったのである。
黒くぼんやりと闇に浮かび上がった影はお虞程もあるだろうか、とても犬やそこらに見る畜生などではない。その何かが爛々と目を輝かせ、目の前の藤を睨みつけている。
藤は成す術を知らずに只その影を見つめていた。膝はガクガクと震え、背筋には氷柱でも突き込まれたかのように冷たいものが走り、脂汗は止め処なく頬を、首筋を流れ伝わってゆく。歯はガチガチと震え、声さえも出ず、両の目を瞑り何も出来ずにしゃがみこんでしまいたくなる気持ちに流されかけたその時!
「藤さま! しゃがんで!!」
その声にハッとして藤がしゃがみこむ。その頭上を何かが掠め、藤の目の前、輝く二つの光を覆い隠した。
“ぼぐん”そう鈍い音が聞こえたその直後!
『ほ~~―――~――~――~~――~――~~!!』
同心・藤の目の前よりこの世の物とも思えぬ絶叫が響き渡った!
藤は地に腰をつけたまま、目の前から飛び退るその得体の知れないモノを只見送るしか出来なかった。