12.
どう認識しているのかは未だ不明だが、持ち主から離れた『種』は灰となる。
その『種』の使い方の一つとして、飲み下して自身の体内に取り込む方法がある。そうして生み出された『人形』は、持ち主の願望の影響をより強く受け、非常に強固なものとして現れることが分かっている。
ではその使い方をした『種』は、一体どうなるか。
持ち主の願望を達成すべく、持ち主の肚に巣食って『人形』の糧として願望を吸い上げる。
取り込まれた『種』は決して消化されることはなく、持ち主の中から消える時は、願望を全て吸い上げてしまった時だ。
「……なるほど、それはまた……………」
現場で見たものと、その際に聞いた死因を報告され、樫木は口元を覆って言葉を選んでいた。
一方でソファに腰かける美凪は、深く息を吐いている。隣に座る梓の肩に頭を預けており、もはや全体重をかけてやろうかとする勢いが感じられる。
本来ならそれを押しのけるのだが、梓は甘んじてそれを受け入れていた。遺体が発見された現場を見てきただけでなく、死因を聞かされた。それだけでなく自身のトラウマである『人形』がこの事件に関わっているのだと分かり、憔悴して現場を離れることになったのだ。雑な扱いをしてやりたいが、その姿を見てしまい同情せざるを得なくなってしまっている。
「いくつかの情報を得ているので、まずはまとめることから始めましょうか」
受け取っていたカメラを操作し、ノートパソコンへ接続するとキーボードを叩きつつマウスを動かしていく。
「まずは現場のことから」
梓のポケットで、スマホが震えて画像が届いたことを知らせる。美凪を鬱陶しく思いながらも支えつつ、画像データを開いていく。
「美凪くん、撮影ありがとうございます。おかげで色々な情報を得られました」
しっかりと頷いてみせるが、そこからずっと首を動かしているため、梓にしつこく頬擦りをしてマーキングしている。
「そういえば現場に入った理由ですが、梓くんたちはきちんと人魚の伝承について調べられましたか?」
ちらと見やると、次は梓が頷いた。
「アンデルセン童話もですけど、吉兆だの凶兆だの色んな通説や伝承があるんだってのは分かりました。丸山さんのまとめたレポートが、異常に分かりやすかったおかげです」
例えば、人魚たちの歌声を聞いた者たちは、そのあまりにも美しい歌声に聞き惚れてしまい、舵を取り損ねて船を沈めてしまう。
例えば、人魚が海面に顔を出したのを目撃すれば、たちまち嵐を呼び寄せてしまう。
例えば、埒外の知恵を与えられ、繁栄の礎になる。
例えば、人魚の肉を食らえば、不老不死になれる。
世界各国、日本に広まっている伝承をいくつもまとめてあり、決して知見のない高校生である梓たちでも、その内容を容易に理解することが出来た。
故に、各地に散らばる伝承の差異と、いかに人魚というものが異質かを示している。
「吉も凶も、どちらもあるのは確かに面白いものですね。似通った姿が伝わっているというのに」
上半身は人で、下半身は魚か蛇。鱗に覆われているという共通点があり、海や距離を隔てているというのに近しい想像力が人間にはあるのだと分かる。
さて、話を戻して。
「今回得た情報を確認してみると、気になる点がいくつか出てきます。まずは部屋の状況から整理していきましょうか」
樫木から示される画像たちを見て、フリックしていくつかを繰り返し見比べる。
「部屋に散らばっているガラス片。これは飼っていた蜘蛛のための水槽。ですが本来、こういった破片の散り方をする場合、外側から力を加えられるとこうはなりません」
もし外力によって水槽を割られたとすれば、水槽のガラス片は水槽内部に多く積まれるはずだ。だが破片のほとんどはフローリングに散っており、水槽の外から砕いたとは考えにくい。
つまり、水槽の内側から力を加えなければ、こうはならないのだ。
「次に、彼女の遺体の情報です」
下半身は鱗に覆われ、体腔は内部が鱗に侵食されていた。糸は彼女の首から下を覆い尽くして、繭のようにして彼女を吊り下げていた。そして、彼女の胃からは『種』が見つかった。
「では、この状況をどう仮定するのが最も相応しいでしょうか、梓くん?」
名前を出されるよりも先に、梓は思案を開始していた。
丸山茜は、人魚の伝承について調べていた。
彼女の遺体はただ見るだけであれば、まるで人魚のように変質していた。
しかし、外側に出ていた鱗は、彼女の中身さえも蝕んでしまっていた。
それを引き起こしたのは、紛れもなく『種』だろう。
「……もしかして、あの鱗が、丸山さんの『人形』……?」
丸山茜は、人魚に魅入られるあまりその思考が逸脱した。
人魚の伝承を探すことに限界を感じてしまえば、実際の人魚を目にして自身の調査の糧とするべきだと。
しかし人魚は、伝承の中にしか存在しない。
ならば。
作ってしまえば早いのだ。
彼女の手に、『種』が渡ってしまっていた。当然その扱い方も知っているからこそ、行き詰まってしまった彼女はそれに縋る。
私を人魚にしてくれ。
心から希ったその願望が、『種』の糧となり膨らませて形作っていく。
それはすぐに彼女の腰から下を鱗に覆い、見た者に人魚だと確信させる姿へと変える。
だが彼女の願望は、あまりにも大きかった。
糧として食らってなお余りあるそのエネルギーは、行き場をその体内へと移す羽目になってしまった。丸山茜の臓器を鱗へと変換し、その機能を奪ってまで彼女の願望を形へとする。
「そう考えるのが自然でしょう」
樫木はパソコンの操作を止め、軽く伸びをした。
梓の推論はおおよそ樫木と同じだったようで、それ以上の訂正はされることはなかった。
「じゃあ、何で丸山さんは糸にくるまれなきゃならなかったんです?」
そこで浮かぶ疑問は、やはり彼女を覆い尽くしていた糸の意味だ。
彼女の調べていた事項は、人魚伝承のことばかり。糸に関連した事柄は、全く見つからなかった。
「……蜘蛛、ですよね?」
憔悴していた美凪は、梓の肩で休息を取ることはやめずに口を開く。
「その根拠は?」
追及してくる樫木に、美凪は唸ってから話す。
「話す前に質問です先生。これ、どんなに突拍子がなくても、先生は答えだって認めてくれますか?」
笑顔を向けて、樫木は優しくしっかりと頷いた。
「えぇ。こういった突飛な事件は、突拍子もない推論で組み立てて推理としての答えにするんです。この場はただ、机上の空論を投げ合うだけなんですよ」
その答えに安心した美凪は、弱々しくも笑顔を返して言葉を続けた。
「どうやって、なのかは分かりませんが、蜘蛛の水槽に『種』が入ったとします。それをもし蜘蛛がかじっちゃったら……どれだけ小さな蜘蛛でも、人間を覆えるぐらいの糸を吐き出せてもおかしくないんじゃないかなって」
『種』は願望を糧に、『人形』を生み出すためのもの。
もし願望が人間だけではなく、他の生物の願望にも反応するものであれば?
「……だとしても、丸山さんを糸でくるむ理由が分からないだろ」
蜘蛛に、人間には理解が及ばない意識が存在するとして。
蜘蛛が、『種』に与えるだけの願望を持っていたとして。
丸山茜の首から下を、糸で包んで繭にする理由は到底思いつけない。
美凪の推論を受け、さすがの樫木でも顎に手を当てて考える様子があった。
「糸で縛らなければならない、理由があったのでしょう」
ここで今一度、彼女の遺体の様子を思い出す。
腰から下は鱗に覆われ、胸腔、腹腔にある臓器は鱗に置き換わっていた。
鱗に侵食されていたのは、首から下だ。
「……『人形』を、外敵とみなした……?」
巣にかかったものを糸で縛り捕食する、というのが簡単に思い浮かぶ蜘蛛の生態だろう。
それを人間に行っているが、それは鱗に侵された首から下に留まっている。
「でも、そうした理由は何だ?」
丸山茜の飼っていた蜘蛛に、意思が、願望があったと仮定して。
鱗と化した『人形』に対し、攻撃するだけの意味が思い浮かばない。
「先輩、一番分かりやすい人魚姫のお話を思い浮かべてみてくださいよ」
アンデルセン童話の一つ、人魚姫。
人間の王子に恋をした人魚姫は、声を失くす代わりに人間の足を手に入れて王子と再会し、しかし愛し合うことは叶わず姿を消すことになってしまう悲しいお話。
「人と人魚っていう、違う生き物同士の恋のお話なんですよ」
すっかり元気を取り戻した美凪は、梓の袖を掴みながらぐいと近寄る。その近さから、彼女のコロンがふわと香り、梓は思わず身を後ろに引く。
「人と人魚が恋をするなら、人と蜘蛛だって恋をしても不思議じゃないですよね」
彼女の言いたいことは、確かに理解できる。だがそれはあくまで童話の話であり、現実では到底考えられない。
「蜘蛛が丸山さんのことを好きになってて、『人形』のせいで死んでしまった。好きな人が苦しめられてる原因をどうにかしなきゃ、って糸でぐるぐる巻きにしちゃった……って考えるとなんかすごくしっくりきません?」
確かに腑に落ちる。落ちるが、その推論を採用してしまえば、この事件の内容はあまりにも。
「異類婚姻譚。国に関わらず親しまれるおとぎ話ですね。人魚姫を調べていた彼女が、奇しくも同じようなことを亡くなってしまってから実際に体験することになるとは……」
ゆっくりと呼吸をすると、樫木はまた言葉を探す。
想像以上に、彼はダメージを受けているように感じ、二人はいたたまれなくなる。顔を見合わせて首を傾げるが、答えは出るはずもない。
「物語では実際に結ばれているわけではありませんが、近しいものではあるでしょう。異種間の共存、と表すのが相応しいですね」
パソコンを閉じると、軽く伸びをして立ち上がる。
「もしかすると、鱗の侵食が止まったのは蜘蛛の糸のおかげかもしれませんね」
彼女の首から上を認識できていたからなのかは分からないが、明確に害を受けていない。糸に守られているようにも思える遺体の状況を鑑みるに、そう考えるのが自然だろう。
いくつ言葉を並べたとしても、これは全てただの妄言にしかならない。事実がどうであれ、それを観測する術は存在しない。
「こういった事件は結局、解決することは出来ません。誰もが理解する内容ではなく、誰かが納得できる内容を推察することが、求められていることです」
そもそも『人形』という存在が人智を越えたものであり、『種』の関わる事件は表立って解決に至ることが難しい。今回のような事例でなくとも、理解できない事件は相談所に舞い込んでくることになる。
「僕がこういった依頼を引き受けているのは、こんな不可解な事件に対して確実に真相に近付けるだけの推論を投げられるからです。もしも、この推論を繋げられる人がさらにいるとしたら?」
「じゃあ最初から、真相が明らかに出来ないって説明してくださいよ」
梓のクレームはもっともだ。
「でも、真実を詳らかにしてください、と言ったとして梓くんは真相に辿り着けましたか?」
「今でさえだいぶ真相から離れてると思うんですけど」
明らかに浪漫というものに傾倒しており、現実的なものではない。それでも、この不可解な事件を腑に落とすためにはそのためのそれらしい理由を組み立てる必要がある。
「では聞きますが、梓くんはこの事件の真相をどうやって探るというんですか?」
珍しく、鋭い視線が樫木から飛んでくる。それに一瞬怯むが、睨み返して、そして口を噤んでしまう。
「忘れないでください。出来ること、出来ないこと、それをはき違えることがどんなことを招くのかを」
机上の空論を並べ立て、妄想の域を出ない結論。警察からの依頼の答えとして提出することになるが、その内容を思い返すべきだ。あくまでも不可解な遺体に関しての捜査協力依頼であり、真実を明らかにするのは警察の役割である。
「……先生が言いたいことは分かりました。でも、分かんないことがあります」
肩にまたかかってくる美凪の重さを鬱陶しく思いながらも、梓は抱えていた疑問をぶつける。
「依頼を受けて、関係者の資料を俺たちに探させた理由は何ですか?」
被害者である丸山茜。大学の准教授である西宮卓。大学の同期である有村拓也。彼女たちが過去に相談所に依頼した内容と、それに付随する個人情報をまとめたファイル。今回の結論に至るためには、不要なものだったと感じる。
「おや、梓くんはすぐに気付くと思ったんですけどね。『種』が関わっているのであれば、そこに複数人の関わりを洗い出す意味も分かるはずですが?」
煽られている。行き着くものが、既に材料として用意されているという意味だとすぐに分かるが、軽く頭に血が上っている梓は考えるより先に冷静さを取り戻すことを優先した。
一呼吸。二呼吸。よし。思考を回す。
丸山茜の奇妙な遺体。体内体外とも侵食した鱗の正体が、『人形』だとして。この事件に『種』が関わっているとなれば、彼女はどこから入手したのか。『種』を使わないといけない理由までは想像出来ないにしても。
「じゃあ先生は最初から、『種』がこの事件に関わってることを予想してて、ファイルを探させたってことですか?」
「確信があったわけではありませんけどね。何度も依頼人としてこちらを訪れた方が、『種』を使ったということを事実と認めたくないという情けない足掻きでしたが」
苦笑の樫木が、一歩だけ離れてしまったように錯覚する。




