(10)俺のする覚悟
周囲から言わせると、俺は息を吹き返したらしい。
朝と晩のランニング。一年前のような食事メニュー。塾の夏期講習。移動はもちろん走る一択。
同じ塾に通う水島は「良かったよ。お前がアイリ推しにならなくて」と笑った。「アイリで汗拭いても、お前なら許すよ」とコルノからもらったタオルを指差しすので、ものは試しに拭いてみたら、水島の額には青筋が出た。でも変わらずいい奴だ。
トレッキングシューズは塾の帰りに直接店で買った。履いてみないことにはわからないと思ったからだ。朝だけはそれで走ることにした。靴底温存である。
8月の陽射し、気怠い湿度、照り返すアスファルト。
倒れたら元も子もないと思い、セーブしつつ走った。深夜に走っても良かったが、補導されたら高山さんは鼻フックじゃ許してくれないだろう。
高山さんと会ってから一週間後。
俺はまた吹き溜まりに来た。
袋に入れて持ってきたのは朝顔だ。そもそも花の準備のことはノープランだった。
俺みたいな高校生が、花束なんて買わないだろう。近所のスーパーで売ってるのは仏壇用しかないし、そんなものを買ったら目立つ……よな。
しかし高山さんは花の量について言及はなかった。だから力をのせる媒介と考えて、裏庭に自生していた朝顔を三つほど摘んだ。物は試しだ。これでダメなら、花を買えばいい。
しかし問題はまだあった。
墓地の駐車場の木に対象指定をして、ジョギングをするようになったのだが、いかんせんお盆である。夏休みである。
朝の7時に来ようが、6時に来ようが、駐車場には墓参りの車がある。
夜は夏休みの影響か、心霊スポットを見にガヤガヤと大学生くらいのグループがいた。
よって、13時という地獄みたいな暑さの時間に来なければならないのだ。
高山さんと来たのもこれくらいの時間だ。あの人はわかっていたのだろう。
墓地にはやっぱり人っ子一人いない。これが曇りならまだ違っていたかもしれないが、真っ青な空に遮るもののない太陽が容赦ない。
7日分の走行距離80キロを使えばシンティラくらい消せるだろうか。
吹き溜まりにら変わらずに黒い煙のような、悪魔のなれ果てシンティラがいる。
袋から朝顔を三つ出して……あ、閉じてる! しぼんでる! 裏庭で咲いてたのは、日陰だったからか。朝顔、だもんな。考えてみればそうか。でもこれは……花だよな? 蕾だけど、花だよな?
……とりあえず、当ててみるか。
三つの蕾を左手に乗せて、と。
「対象指定距 離 ≒ 花 弁」
うん、左手にモゾモゾする。前よりも強く違和感がある。ちゃんと対象指定して走ったからだろう。
よし、魔力の取り置きを思い出せ。それも併せてやってみよう。半分だけ使うように……。
「 衝 突 」
朝顔の蕾は煙のようなシンティラに当たると、光輝いた。おお、小さくなった! 朝顔の蕾でもいける!
……でもやっぱり光の輝きは少なかった気がする。媒介が花弁だからか。じゃあ、蕾にしたら威力が消えなかったのかな……。
あー、今になってもっと聞いておけば良かった!
いや、違う。ぶるぶると頭を振る。
今できることをする。
花を探せばいいんだ。裏庭に自生していたんだ。林の中にあるかもしれない。
それに奥にヤバい悪魔がいると言っていた。高山さんは奥に入ったんだ。
よし、下調べだ。入ってみよう。
林の中は嫌な雰囲気が漂ってる。シンティラがこっち見てる。けど、動かない。……他はいない。俺が倒した一ヶ月分の悪魔は、高山さんがほとんど倒してくれたのか。
おお、白い小さな花発見。少しだけ摘ませてもらおう。あ、あっちにも。自然豊かで良かった。おお、けっこうあるじゃん。これならもう一度、試せるな。
——ネエ、ネエ、アナタ。聞コエルワネ?
身体がビクっと硬直する。気温が一気に下がったようだ。
すぐ後ろに何かいる。シンティラじゃない。比べものにならないほど、嫌な感じがする。
木漏れ陽を求めるように咲いた花に伸ばした手にゾワゾワと鳥肌が立つのがみある。
ヤ、ヤバいってそういうことかよ。
高山さん、話しかけてくる奴って言ってくれよな。
——……アナタ、知ッテル。
頭に何かのる気配。冷たい塊。いや、何ものってない。勘違いだ。だってもうなれ果てだ。う、動け、体!
——ワタクシヲ、殺シタワネ。
う、動かねぇ! これは怖くてか⁉︎ なんなんだ⁉︎ あ……もしかして取り憑くつもり——
「ちょっと、君、何しとるの?」
と男の人の声がする。首だけ振り返ると、墓の方にバケツと柄杓を持った、50くらいのおじさんだ。
「あ、あ……」
悪魔に捕まったとは言えない。それに口もうまく動かない。
「こっちに来なさい。そっちはダメよ!」
花を持つ妻だろう人も手まねきをする。痺れを切らしたのか、おじさんが林の中に入って、俺の腕を掴んだ。
「こっちはいかんて!」
頭にのせたグラトニーの手から離れる。
た、助かった。花に気を取られて悪魔に捕まるなんて、どこのお伽話のお姫様だ。
心配してくれた親切な夫婦はビニール袋にロープでも入っているんじゃないかと思ったらしい。
野花を集めていたと、手に持った小さな白い花を見せる。
「き、興味がありまして」
と言うと、夫婦は顔を見合わせた。
「今どき珍しいわね」
「でもあっちは自殺スポットだぞ。知らないの?」
少し詮索されたが、裏庭に自生した朝顔を摘んだことにより野花に興味を持った高校生が爆誕して、なんとか事なきを得た。
「来週に自然散歩のイベントあるよ。出ればいいじゃない。飯塚さん、出るでしょ?」
「ああ、出るな。飯塚さんって詳しい人がいるんだ。野草を天ぷらにするのが趣味でよ。紹介しようか?」
さすが田舎のコミュ力というかネットワークというか。話の広がり方がスムーズで親切に溢れている。だが……。
「俺、受験生なんで今はやめておきます」
異世界行くんで、とは冗談でも言えない。
「受験生か! どこ受けるの?」
この炎天下の中話し込み、こうなりゃ成り行きだと墓の掃除も手伝った。
「ああ、息子が来たな。蓮、遅いぞ!」
その姿はなれ果てのグラトニーよりも、ある意味で怖い。な、なんでここに……。
「あんたタバコぷかぷか吸ってる間に、もう墓掃除終わったよ! この暑い時にしか行けないって言うから来たのに!」
最終確認のため、墓石の前に回り込んで名前を見る。
高山家之墓。
「この子、お前の高校の後輩だぞ。あっちの自殺スポットに入り込んでたから、声かけたんだよ」
微かにタバコの匂いをさせて、高山さんはにっこりと笑った。
「悪いねえ。手伝ってもらって。お礼にジュースでも奢ったるよ」
その後、有無を言わさず自販機に連れて行かれた。
「質問あるなら、手早く言えよ。当直明けで一刻も早く帰りてぇんだ」
「……偶然とかじゃないんですか?」
「親が墓参りするっていうから、この時間にしただけだ。お前が来るならこの時間帯だろうし、いなくても俺は構わんかったよ。んなことより、質問は?」
「花が手に入りにくくて」
「はあ? お盆だぞ。そこら中の墓に刺さってんだろ」
くぅ、倫理感の不一致! そうだ、こういう人だった。あ、ヤバい! デコピンが……と思ったが、高山さんは俺を刺すように睨んでいた。
「お前なあ、墓の花くらい盗れよ」
ガコン、と自販機がジュースを吐き出す。それに手を伸ばしながら、高山さんは続ける。
「河野千歳だって親を騙してヨーロッパまで越させて、いなくなったんだぞ」
冷たいスポドリを腹に押し付けながら、高山さんは言う。
「これから自分の親泣かす奴が、正義ぶんじゃねえよ。いつ帰って来れるか、わかんねえんだぞ。どっか麻痺させとかなきゃ、お前みたいな奴、異世界でどうすんだよ」
高山さんが離したペットボトルを腕で抱える。
「それ持ってさっさと走れ。質問は受け付けん。てめえで考えろ」
目の奥が熱くなった。すぐに走り出す。
ホームセンターに走った。折り畳めるバケツと柄杓と花を買い、空の段ボールをもらってその中に入れる。家に帰ると、自分の部屋に直行する。
下から母さんの声がした。
塾の道具をリュックから出してクローゼットに押し込む。代わりに折り畳みバケツと柄杓と花を詰め込み、一階に降りる。深呼吸をしてからリビングの扉を半分開ける。
「塾、行ってくるね」
「自習室使うの? 送ろうか?」
「走るから大丈夫」
「アイスあるよ。あんたの好きなやつ。食べてから行ったら?」
「……後にするよ。行って来ます」
俺は異世界に行く。その決意は変わらない。
玄関で蹲りそうになるのを堪え、また墓まで走った。




