第208話 マギックエイジ・オンライン VS 呪転竜母ダ・ナイン - Part1
「《第五杖権・地衣》!」
俺の足裏から、迸るような熱が上ってくる。
全身を包む緋色のオーラの上に、さらに陽炎のような揺らめきが重なった。
HPとMPのゲージがぐんと右に伸張する。STR、VIT、AGI、DEX、MATにMDF――ありとあらゆるステータスが強化を受け、アバターにエネルギーが満ちた。
「チェリー」
俺は一人、魔剣フレードリクを片手に握り締め、呪いに産み落とされた竜たちに向かって足を踏み出す。
「サポートに徹して《聖杖再臨》を温存しろ。戦闘は請け負う」
「ふふっ――頼もしい先輩がいてくれて嬉しいです」
俺が言わなかったら自分で言っていたくせに。
真っ黒な泥肉に覆われた竜母ナインの心臓。
その前に立ちはだかる、影のように黒ずんだドラゴンたち。
概算で10匹はいる竜たちは、しかし1体1体がレベル120を超える強敵だった。普段なら尻尾を巻いて逃げているし、逃げきれずに殺されていることだろう。
しかし、今だけは、背を向ける理由がどこにもない。
「ふッ―――」
鋭く息を吐き。
直後――周りの風景を置き去りにした。
《魔剣再演》によるAGI3倍補正に、MAO最強の強化魔法である《地衣》。
その合わせ技によって、俺のアバターは人類未到の速度に到達する。
亜音速と言っても過言ではないそのスピードは、AGI狂いの俺をしても意識をついていかせるのがやっと。
脳を焼き切らんばかりにコンセントレーションを高め、感覚を速度に追いつかせる。
ゲームのAIというものは、およそ反応速度においては人間のそれを圧倒的に上回る。
しかし、それでも。
ドラゴンたちの目が動くより、俺が間合いを詰めるほうが早かった。
緋色に染まった魔剣を喉元に深々と突き刺し、横に振り向いて引き裂く。
フレードリク流の専用魔法は使わない。
《魔剣再演》と《聖杖再臨》は、専用魔法を使用するごとに効果時間を消費する方式だ。
乱発すればすぐに終わるし、まったく使わなければ意外と長く保つ。
まだ竜母の心臓に取り憑いた《呪王》を倒す方法も定かではないのだ。たかが露払いには通常攻撃で充分……!
影絵のようなドラゴンが、黒い塵となって雲散した。
この段に至ってようやく、他のドラゴンたちが俺の接近に気付く。
腕を振り上げ、アギトを開き、それぞれ攻撃モーションに入るが、今の俺の目にはあまりに鈍かった。
イメージはつむじ風。
螺旋状の軌道を描きながら、ドラゴンたちの長い首を一つ一つ斬り落とす。
断末魔のひとつもなく漆黒の体躯が弾け散り、さあっと空気に溶けて、道が開けた。
泣き叫ぶ男の顔が浮かんだ竜母の心臓は、ドーム状空間の空中で不気味に波打っている。
本来なら剣など届くはずもない距離。攻撃するには魔法に頼る他はない。
だが、今の俺ならば――!
ダンッ!! と俺が強烈に地面を蹴るのと、後方のチェリーの詠唱が響いたのは同時だった。
「《第四杖権・水寂》―――!!」
水流が渦巻いて、竜母の心臓を取り巻く。
対象の五感さえも奪い取る最強のデバフ魔法|《水寂》。
しかしもちろん、ステータスを下げる効果も持っている――クロニクル・クエストのエリアボスでさえ、その効力からは逃れられない。
宇宙を目指すロケットのように、俺は重力を振り切った。
振り上げた切っ先をひたと竜母の心臓に据える。泣き叫ぶような模様の鼻先に、まっすぐにぶち込めるように……!!
『―― オ オオ オ ――』
悲しげな、苦しげな、泣き声がした。
亜音速で突っ込んだ魔剣フレードリクの切っ先は、ぐじゅりと黒い泥肉に食い込むが、
「厚い……!!」
この泥みたいな黒い肉、思った以上に分厚い! 剣が中の心臓まで届かない……!!
「パパっ……それじゃ、ダメっ!!」
泥肉に埋もれたメイアが、必死に首を伸ばして叫んだ。
「呪いのっ……呪いの循環を、絶ってっ!! そうすれば、きっと――」
逃がすまいと動いた泥肉がメイアの口元を塞ぐ。くそっ!
『―― オオォオオ ――!!』
泥肉の顔が叫び、不可視の衝撃波が俺を吹き飛ばした。
俺は空中で体勢を立て直し、ズザザッと靴底を磨り減らしながら着地する。
それから再び、宙にある心臓を見上げた。
「呪いの、循環を……絶つ?」
なんだそれ。一体どうすればいい……!?
『先輩! 血管です!!』
《聖杖再臨》の効果によるテレパシーで、チェリーが叫んだ。
振り向けば、チェリーは宙の心臓を指差している。
宙の――いや。
竜母の心臓は、壁や天井と丸太のような血管で繋がっている。宙に浮いているのではなく、固定されているのだ。
巨大な心臓は、今も一定のリズムで拍動している。
何のためか?
当然、血液を送るためだ。
心臓はポンプなのだから。血液を身体中に循環させるための――
「――そうか……!!」
心臓に取り憑いた《呪王》が、血液のように竜母に呪いを巡らせているのだとすれば!
ぼとぼとと、天井から黒い卵が落ちてくる。
さっきよりサイズが小さい。だが、代わりに数が多かった。
殻を破って這い出てくるのは、コウモリのような大きな翼を持ったワイバーンたち。
そいつらが羽ばたいて宙に飛び、俺の前に壁を作る。まるで心臓に繋がる血管を守るように……!!
「上等だ……!!」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
『上等だ……!!』
恋狐亭前の広場の中心に、大きなホロモニターが設置されている。
その中でケージが歯を剥いて呟き、次の瞬間、緋色の彗星となる。
本来、その背中に追随するはずのVRカメラは、しかし、あまりの速度についていけていなかった。
群れを成して舞い飛ぶワイバーンの只中を、緋色の残像が突っ切っていく。
決して臆さず。
決して弛まず。
そのまっすぐな戦いぶりを、その配信の本来の主であるセツナは、複雑な感情で見守っていた。
「……ああ、ずるい……。ずるいよ、ケージ君……」
このゲームの、この世界の命運を決する戦いを、彼以外にも無数の人々が、固唾を呑んで、あるいは興奮に胸を躍らせて見守っている。
しかし、その中でも彼は、強い悔しさを胸に抱いていた。
今の時代、ゲームは自分でプレイしなくても、動画で視聴すればいくらでも感動を体験できる。
まさにMAOは『見る専』の多いゲームだ。この配信の視聴者だって、現役プレイヤーよりも非プレイヤーのほうが圧倒的に多いはずだ。
そんな世界にあって。
ゲーム実況者とは、『自分で見せる』ことを選択した人種である。
黙っていても面白いプレイがいくらでも見られる世界で、それでも見せる側に回りたいと、得体の知れない衝動に突き動かされた人間。
そんな人種が、こんなに面白い戦いを、ただ見ていることしかできない――こんなにも悔しいことは、きっと他にはなかった。
セツナの胸を衝くそれは、山脈が自ら動くという未曾有の危機にあって、なおもこの場に残っている者たちにも、ある程度共通するものだった。
本当に、見ていることしかできないのか。
本当に、任せることしかできないのか。
最後には結局、誰か一部の人間に託すことになる――そんなことは百も承知だったはずなのに、今更のようにもどかしさが胸を掻き乱す。
ろねりあが、長い黒髪を一房、強く握り締めていた。
双剣くらげが、いてもたってもいられないというように、足踏みを繰り返していた。
ショーコが、小さな手のひらを胸の前に組み、強く唇を引き結んでいた。
ポニータが、硬い鎧を自ら抱き、もどかしそうに時折引っ掻いていた。
巡空まいるが、《完全暗唱術》を誤爆させ、火の玉を周囲に撒き散らしていた。
火紹が、むっつりと口を閉じたまま、瞳の奥で炎をたぎらせていた。
そしてミミが、あどけない唇をかすかに震わせて、二人の想い人の姿を目に焼き付けていた――
願望とも欲望ともつかない、得体の知れない熱が、配信画面を前にしたプレイヤーたちの中で渦巻いていく。
どうして自分はそこにいないのか。
どうして自分はそこに行けないのか。
画面の中に入れたら。
それは分別のない子供のような――しかし、VRゲームという文化の根源とも言える願い。
……あるいは、だからこそ。
この世界の神は、彼らの願いを聞き届けたのかもしれない。
『斬っ……たっ!!』
ワイバーンの群れを見事切り抜け、ケージが血管の一本を切断した。
赤いダメージエフェクトと漆黒の呪いが入り交じった飛沫が激しく散る。
同時、心臓に浮かんだ顔の模様が凄絶に歪んだ。
『―― オ ォォ オ オ オオ ――!!』
竜母の心臓を覆った黒い泥肉が、明らかにその嵩を減らす。
口元まで飲まれていたメイアが胸の辺りまで這い出し、緑がかった金髪を振り上げる。
下半身は未だ埋もれたまま。しかしその瞳には、決然とした輝きが宿っていた。
『……今っ、だあああっ――――!!!』
彼女が絞り出すように叫んだかと思うと、その身体が黄金色の閃光を放った。
光は呪いの泥肉を内側から漂白し、次いで血管を通って、壁や天井の中に浸透してゆく……!
――――ズッ、ウウン……!!!
激しい揺れがあった。
画面の中ではない。
それを見ているプレイヤーたちの足元が、直接揺るがされたのだ。
当惑の声が満ち、それぞれが辺りを見回し、そして誰かが叫ぶ。
「おい、あれっ……!!」
光の柱だった。
位置的には、おそらく高原の辺りだろう。彼方で巨大な光の柱が屹立し、漆黒に染まった空に穴を空けていた。
見る間に、光の柱を支えるようにして、幾重もの光の円が柱に貫かれる格好で現れる。
否、それはただの円ではない。
紋章だった。
円の中に複雑な図形を配した――
「あ……あれって……!!」
「なんだっけ、あの紋章……? どこかで見覚えが――」
「あれだよ、あれっ! ダ・モラドガイアのときの!」
答えを出したのは誰だったか。
その紋章は、最前線を戦ってきたプレイヤーにとっては、初見のものではなかった。
記憶にも新しい、高原を舞台とした《呪転磨崖竜ダ・モラドガイア》との戦い。
その戦いにおいて、ダ・モラドガイアの力を部分的に封印し、弱点を生み出したものこそ――
『見てるんでしょっ、みんなあっ!!!』
みんな、と。
メイアが呼びかけたのが、ケージでもチェリーでもないことを、誰もが一瞬で悟った。
『わたしのっ……残った、力で! 《呪王》の呪いを一部、抑え込んだ……! だから!!』
画面の中の少女が、しかし同じ世界に生きる仲間たちに、想いを込めて叫ぶ。
『みんなで、そこを、叩いてっ!! ――頼んだからねっ!!!』
頼んだ、と。
本来ありえない、画面の向こうからの声が、プレイヤーたちの中に響き渡った。
――そもそも、定義があった。
大規模、多人数、同時参加型、オンラインRPG。
そのジャンル名が示す通り、MMORPGには、たった一人の主人公は存在しない。
それを今、思い出す。
この世界で生まれた、生身の肉体を持たない少女に言われて、ようやく。
だからこそ、彼らは吼えた。
ついさっき、画面の中で聞いた言葉と、まったく同じ台詞を。
「――上」
「――等」
「「「――だあああっ!!!」」」
世界を越えて集い来た、数えきれないほどの勇者たち。
彼らが今、それぞれの主人公をプレイする。




