第206話 呪われし想い - Part2
「あ~~~んもおおお~~~~~!! 何も喋れずに死んじゃったあ~~~~~~っ!!!」
ナインサウス・エリア、恋狐亭ロビーにて。
フリルだらけの甘ロリを着た少女ミミが、甘ったるい声で叫びながら地団駄を踏んでいた。
「死ぬときは感動的な遺言を遺していくつもりだったのにい!! 初っ端がミミ狙いっておかしくない!? ショートケーキのイチゴは最後に残すもんだよねっ!!」
「その通りですミミ様!」
「《呪王》めは風情がわかっておりません!」
「よもやミミ様を差し置いて、斯様な木っ端配信者をトリに回すとは!!」
「うお~~~い! ウチのろねりあに喧嘩売ったかコラぁーっ!!」
ミミを取り巻く白銀の騎士たちに、ビキニアーマーのツインテ少女・双剣くらげが剣を振り上げて飛びかかろうとする。
それを背の高い少女騎士・ポニータが羽交い締めにし、黒髪ロングの女僧侶・ろねりあが苦笑した。
その姿を見て取って、ミミが慌てたようにぱたぱたとろねりあに駆け寄る。
「あっあっ、ごめんね、ろねりあさん? 馬鹿にするつもりはなかったの……。最後の台詞、ミミはとってもよかったと思うよっ! ちょっと泣いちゃったもん!」
「はあ……それはどうも……」
「くぅ~っ! この白々しさ! ムカつくぅ~っ! 《呪王》戦じゃ大して活躍しなかったくせにさあ!」
「ぅぐっ」
双剣くらげの発言に、ミミの小さな肩がびくりと震えた。
「っていうかUO姫さんさあ、いつもチェリーちゃんと張り合ってる割には、活躍度が釣り合ってなくない? むしろお付きの火紹くんのが目立ってるっていうか」
「ぅぐぐっ」
「あれあれ? なんだったっけ? 『MAOで一番可愛いアバターの持ち主』なんだっけ、アルティメット・オタサー・プリンセスさん? その割にはぁ、今回の《クロニクル》、挿絵にも描いてもらえないんじゃないですかあぁ~~~~~!?!?」
「ぅがああーっ!!!」
「うぎゃーっ!! オタサーの姫が本性を現した!!」
双剣くらげの煽りに耐えかねたミミが、牙を剥いてビキニアーマーの少女に飛びかかる。
MAOメインストーリーの公式ノベライズである《クロニクル》には、実在プレイヤーの活躍もまた描かれる。
クロニクルに登場できること自体、MAOプレイヤーの中では大きな名誉とされるが、とりわけ限られた口絵や挿絵にアバターが描かれることは全プレイヤーの憧れなのだ。
しかし。
今、この恋狐亭のロビーにいる面子は、自分にはもうその機会は訪れないと知っている。
カース・パレスからの刺客たるモンスターはもはや1体も存在せず、戦闘音のひとつもしない平和な温泉旅館。
ダ・アルマゲドンでの戦いに身を投じ、そして死亡したプレイヤーの多くが、この恋狐亭にリスポーンしていた。
そしてログアウトすることもなく、談話スペース横の壁に映写された、ある配信画面を見守っているのだ。
同じ光景は、MAOの全土で生まれている。
現実世界からの視聴も含めれば、延べ視聴者数は10万人にも上るだろう。
現実とは異なる、もうひとつの世界の行く末を。
それを背負った、ただ二人の少年と少女を。
今は誰もが、ただ見守ることしかできないのだ。
「……残り、33分」
この配信の本来の主である鎧マントの少年・セツナは小さく呟いた。
MAOのアバターは汗をかかない。しかし、彼は自分の背中がじんわりと湿るかのように感じていた。
本当に間に合うのか。
その答えを、今はまだ誰も知らない。この世界の神であるはずの運営会社|《Nano.》でさえ。
これは台本のない物語。
現在進行形で紡がれる歴史なのだから。
『――先輩』
澄み切った、しかし警戒の籠もったチェリーの声が、配信から響いてくる。
『また部屋です』
配信画面には、黒いもやでできた、影絵のような部屋が映っていた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
綺麗な寝顔だと、最初はそう思った。
しかし、その唇に寝息はなく。
その肌には、本来生者にあるべき血色がない。
そして何より、俺の視界は涙によって大きく歪んでいた。
『……すまない……すまない……』
自分の口から、同じ言葉が何度も漏れる。
残留思念――五感再現ムービーの最中だった。
俺の意識は、愛する女性の亡骸を前に悲嘆に暮れる、ある男の内にあった。
……半ば予想していたことではあった。
やがて《呪王》となるこの精霊の男は、恋仲であったエルフの女性を、ついに救うことができなかった。
医者としてあらゆる手を尽くし、それでも減りゆく命を留めることはできず。
もはやどのような医術であっても届き得ない場所へと、恋人を連れ去られたのだ……。
『……すまない……すまない……』
男の口からはひたすらに、自らを責める声が続いている。
それに、……ちょうど、重なるような形だった。
【――、――、――】
耳元で、何かがざわめいている。
虫の羽音のような、ノイズめいた、声。
【――、――、――ナイ】
それは時を追うごとに、明確な言葉へと変わってゆく。
【――、――ハ、――ってイナイ】
『くっ……ぅう……!』
その声に抵抗するかのように、男は苦鳴を上げながら前髪を掴んだ。
なんだ、この声は。
意思らしきものは感じない。
なのに、これはよくないものだと、直感的にわかるものがあった。
【――くハ、マ――って、イナイ】
『黙れッ!!!』
怒鳴り声と同時に、耳元のざわめきは遠ざかった。
男は呻き声を上げて、荒く息をつく。
俺に見えるのは、膝の上で震える拳だけだ。
怒りを堪えるようなそれが、しかし俺には、決壊寸前の堰のように見えた。
『――ああ、よかった!』
そのときだった。
部屋のドアが開き、誰かが入ってきた。
視界が背後を振り返る。
入ってきたのは、背中に光でできた翅を伸ばした男だった。
顔は影のようになってよく見えないが、おそらくは精霊なのだろう。
男は気遣わしげな声音で、こちらに近付いてくる。
『ようやく解かれたのだな。心配していたぞ!』
『……は……?』
『覚えていないのか? その女が現れて以来、お前と来たら奇行の連続! 患者の診察は放棄するわ、霊薬とやらを探しに彷徨するわ、大変だったんだぞ! 何らかの攻撃ではないかと話し合っていたところだったんだが、やはりその女が原因だったか。もう安心だ、呪術の類は術者が死ねば解けるものだからな!』
心の底から、喜ばしそうな様子で。
その男は、寝台横の椅子に座ったこちらの腕を取って立たせようとする。
『さあ、快気祝いだ! 皆が待っているぞ、■■■!』
引っ張られるままに立ち上がり。
歪んだ視界で、男を呆然と見る。
『……君には……』
『ん?』
『……君には……この涙が……見えないのか?』
『ナミダ?』
視界の真ん中で、男は首を傾げ――
それから何かに気付いて、神妙そうに目を俯けた。
『これはすまなかった。いささか無神経だったな』
『…………ああ、いや……』
『疲れているのだな! まずは充分な睡眠を取れ! 欠伸で涙を零すなどお前らしくもない!』
男は快活に笑った。
視界は、愕然と男を見据えた。
同時。
耳元のざわめきが復活する。
【――ぼく ハ マチガって イナイ――】
【――おかシイ ノハ やつラノ ホうダ――】
その囁きが。
おそらく、男の背中を押した。
どこまでも深い奈落へと続く、崖の底へと。
『……そうか。やはり僕は……呪われていたのだな』
『そうだ! 俺は嬉しいぞ、古い友人のお前が無事正気に――――がッ!?』
腕が素早く伸び、男の首を掴み取った。
万力のような力で指を食い込ませながら、腕が男の身体を持ち上げていく。
『ぐッ……なッ……!』
『わかっているよ。僕たち精霊は生殖を必要としない。だから恋をしないし、理解もできない。まったく単純な理屈だよ』
『やめッ……なにをッ……まさか、まだッ……!』
『そうさ、まだ僕は呪われているよ。術者が死ねば解けるだって? むしろ逆だ。この呪いは、きっと彼女が死ぬことで完成した』
掴み上げられた男の背にある翅は、当初は緑がかった光で構成されていた。
それが、今……根元から、徐々に、漆黒の光に置き換わりつつある……。
『よせッ……よせえええッ……!! 俺のッ、俺の中にそんなモノっ……!!』
『わからないんだろう、僕の気持ちが。この涙が何のために流れたか、少しも理解できないんだろう? だったら、これはいい機会だ。私が教えてやろう。何、簡単なことだ――』
藻掻く男の顔に、もう一本の腕が差し向けられる。
『――君も一度、呪われてみればいい』
そして視界が、真っ黒な呪いに覆われた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
二つ目の影絵のような部屋を抜け、俺とチェリーは脈動する道を奥へと走る。
脳裏には、まださっきの残留思念がこびりついていた。
「……精霊は、生殖を必要としない」
隣のチェリーがぽつりと呟く。
「だから恋をしないのが普通で……あのエルフの女性を愛した《呪王》は、精霊の中ではバグのような存在だった」
「……何とも言えないな」
俺は呻くように答える。
「想像もつかない。感情そのものをバグ扱いされるってのが、どういう気持ちなのか……」
「そうですか?」
ちらりと、チェリーがこちらを見た。
「私はなんとなく、わかりますけどね。何度言っても人には理解してもらえない――自分でもよくわからない、そういう気持ちって……ありますから」
「……そうかも、な」
俺とチェリーは、恋愛関係にはない。
カップルなんかじゃ決してない。
それを余人に説明したところで、理解してもらえたためしはない。
ラベルの貼れない感情なんて、タチの悪いバグみたいなものだ。
説明できない。理解もされない。
だからひたすら、自分たちの中に抱えておくしかない。
曖昧なそれが崩れ去ってしまわないように、相手と同じ気持ちを通わせながら。
……だから、もし。
気持ちを通わせる相手が、この世にいなくなったら。
一体どうやって、自分の気持ちを支えてやればいいんだろう?
「――あ。先輩! 上!」
「ん?」
言われて天井を見上げると、そこに影絵が踊っていた。
揺れる焚き火が落とした影のように、忙しなく動き続けるそれは、おそらく影絵のアニメーション。
大量の異形と、人の形をした影とが、喰らい合うように激突する……。
「……かくして精霊の男は魔族へと堕ち、自らの名前さえも呪い、封印した」
チェリーが小さく付け加えたナレーションをまるで聞いていたかのようなタイミングで、耳元で声がした。
悲しげな。
しかし、どこまでも冷たい。
『――僕の名前を呼ぶのは、永遠に君だけでいい――』
だから、男は《呪王》となった。
誰にも理解されなかった男は、ゆえに自らを、そういうモノとして再定義したのだ。
誰にもわかってもらなくて構わない。
ただ、自分と彼女だけがわかっていればいい、と。
そして《呪王》はかつての同胞たちと戦い……敗れ去った。
《魔神》軍の残党と共に竜母ナインによって封印され、500年もの歳月が――
大きな空間に出た。
俺たちは立ち止まり、空間を見渡す。
黒いもやによる影絵が、神殿のような光景を形成していた。
最奥に祭壇のようなものがあり、その手前には――
「……女の子?」
そうだ、一人の女の子が、手を組んで跪いているのだった。
祭壇に祈りを捧げるその姿は、シスター――あるいは、巫女のよう。
「……巫女」
「もしかして、メイアちゃんの……?」
メイアの実の母親である、先代の竜巫女。
100年に渡って竜母ナインと対話し、ダ・アルマゲドンの封印を管理していた……。
「なんで《呪王》の残留思念にメイアの母親が……?」
「――あ、そうか……」
チェリーが密やかに息をつき、口元に手を当てた。
「メイアちゃんが言っていたでしょう、先輩――100年間、竜巫女が対話していたのは……」
「そうか! 竜母ナインは最初から呪転していた――100年間、竜母ナインだと思われていたのは、それを操る……」
跪く少女の前の祭壇に、人魂アイコンが灯った。
俺とチェリーは、そっとそれに近付き、三つ目の残留思念を再生した――




