第204話 VS.《呪王》 - Part9
《呪王》が構える黄金の大太刀が、静謐な空気を裂いて輝く。
重苦しく広がる漆黒の翅が、ステンドグラスの光を抱いて呑み込む。
頭上に伸びるはたった1本のHPゲージ。
俺たちプレイヤーのものとさして変わりはしないだろうそれだけを懸け、《呪王》は今初めて、自ら戦場に立った。
……ステンドグラスの手前で、メイアが磔にされて眠っている。
黄金の太刀を携えた《呪王》の姿は、……あたかも、それを守るかのようだった。
だが、認めはしない。
お前にどんな思いがあろうとも――どんな絶望があろうとも。
メイアの、この世界の、続いていくはずの歴史を、途絶えさせていいわけがないのだから。
最後に生き残ったたった8人。
俺たちはそれぞれの武器を構え、それぞれに《呪王》に正対する……。
空気が、張り詰めた。
ぴたりと肌に貼りつくような沈黙。それが、礼拝堂の天井から床まで満ち満ちて。
開戦の一歩を、踏み出した。
「――――ぉおァああああッ!!!」
真っ先に飛び出した俺は、一息に《呪王》との間合いを詰め、魔剣フレードリクを袈裟に振る。
次の《呪王》の行動について、俺の脳裏には三つの選択肢が想定されていた。
一つ、大太刀で受け止める。
二つ、横か後ろに移動して躱す。
三つ、弾き返して反撃してくる。
そのいずれであっても、応手の準備があった。
気合いこそ出してみたが、この一振りは牽制に過ぎない。
必殺にはまだ早く、決着にはまだ遠い。
そういった、いかにもゲーム的な思考が、俺の中にはあったのだ。
――だから、《呪王》はそれを、真っ向から打ち砕いた。
「…………あ?」
俺の口から、疑問の声が零れる。
俺が振り抜いた魔剣は、《呪王》の肩口をしかと捉えていた。
だが……浅い。
当然だ、牽制のために繰り出した、防がれること前提の攻撃だったのだから。
しかしそれでも普段の俺ならば、攻撃のヒットを確認するなり、大きなダメージを見込める連撃に繋いでいたことだろう。
それが、できないのは。
《呪王》が突き出した大太刀が、俺のお腹を深々と貫いていたからだ。
「言ったはずだ、命と誇りを懸けろと」
ずるり、と。
赤いダメージエフェクトを激しく散らしながら、黄金の大太刀が引き抜かれる。
「貴殿らにとってはどうか知らないが――私にとってこの戦いは、お遊びなどではない」
改めて構えられた黄金の刃が、今度は俺の首を狙っていた。
「――命を懸けた戦いに、セオリーなどあるものと思ってくれるな」
ひやりと、本物の冷感が背筋を撫でた。
それは、死の気配だ。
たとえ首をはね飛ばされたところで死ぬことはない仮想世界で、それでも感じた、死の気配だ。
こいつは、ここで生きている。
だから、お前もそうあれと――《呪王》が、殺気で告げている!
「先輩っ!!」
「ケージ君っ!!」
稲妻と矢とが後ろから飛来して、器用に《呪王》だけを狙い撃った。
気付いた《呪王》は攻撃を中断、後ろに跳んでそれらを躱す。
そこでは終わらなかった。
《呪王》の回避を読んでいた火紹とポニータが、左右から《呪王》を挟撃する。
メイスと片手剣の同時攻撃に対して、《呪王》は器用に剣戟のタイミングをズラし、完璧に凌いだ。
「生きてますかっ、先輩!?」
跪いた俺の隣にチェリーが来て、ポーションの瓶を差し出してくれる。
俺はそれを直接口で咥えながら、
「悪い、油断した……。あいつは……あいつは、ガチだぞ」
「わかってますよ、そんなことは、最初から」
「呑まれるなよ」
「それもわかってます」
俺たちの中に、本物の勇者なんていない。
しかし《呪王》は本物の魔族だ。本物の王だ。本物の呪いの化身だ。
よくよく考えてみろよ。
そんな奴を相手に、平和な現代人がまともに戦えるはずがないだろ?
ステータスでは拮抗しているかもしれない。
テクニックでも互角かもしれない。
だが、心は。
その精神だけは、およそ敵うはずもない。
だから、呑まれるな。
本物の覚悟を固めた、本物の命を懸けた、あいつの心に引きずられるな。
ゲーマーが勇者であれるのは、ゲームで遊んでいるときだけなのだから。
「…………ッ!?」
「うあっ……!?」
《呪王》と斬り結んでいた火紹とポニータが、勢い良く吹き飛ばされて礼拝堂の壁に叩きつけられた。
《呪王》が一呼吸入れるように俺たちに視線を走らせた瞬間、魔法が飛ぶ。
巡空まいるのダンシング・マシンガンが、ショーコの異種様々なデバフ魔法が、そしてチェリーの猛烈な《ギガデンダー》が殺到する。
「――ハァッ!!」
《呪王》が気勢を上げたかと思うと、大太刀を覆う黄金の光が一瞬だけ弾け散り、鱗粉のようになってすべての魔法の軌道を逸らした。
誰かが斬り結んでなきゃ魔法は通らねえってことかよ。なら……!!
HPを回復させた俺は、再び《呪王》との間合いを詰める。
今度は油断しない。《呪王》の強引な差し込みに注意しつつ、二、三度斬り結んでから二歩だけ間合いを取る。
下がった俺を追おうと《呪王》が足を踏み出すと、その瞬間を目ざとくチェリーが突いた。《ギガデンダー》の稲妻。その先端が《呪王》の横っ腹に突き刺さると、その全身が瞬時、硬直する。
《呪王》ほどの敵になると、麻痺する時間はほんのわずかだ。
おおよそ0.5秒ほどの硬直時間は、しかし俺にとっては充分すぎる。《風鳴撃》を叩き込み、システムアシストが終わるなり全力で後退した。
《呪王》は目だけで俺を追う。しかし足は踏み出さない。さっきの連携が効いている!
「――何を」
《呪王》の陰々滅々とした目が、俺を睨んでいた。
質すように――糾すように。
「何を、笑っている……!!」
横から火紹がメイスを振り下ろした。
《呪王》はそれをステップで躱し、左手から衝撃波を放って吹き飛ばす。
反対からポニータが盾を構えて突進した。
《呪王》は素早くポニータの後ろに回り込み、黄金の大太刀でその背中を斬りつけた。
「貴様ら――何がおかしいッ!!」
《呪王》の頭上から魔法の雨が降り注いだ。ブオンと振るわれた黄金の太刀が虚空に半月の残像を刻み、魔法の雨を吹き散らす。
そして、再び俺の出番が来た。
ぐんと間合いを詰めた俺の一撃を、《呪王》は太刀で受け止める。ギリリと刃が火花を散らした。
束の間の鍔迫り合い、間近にある《呪王》の瞳には疑問があった。
「ふざけているのか……! 事ここに至って、貴殿らは……!」
「ふざけてなんかねえよ。俺たちはみんな真剣だ」
「ならばなんだッ、その緩んだ口元は! 輝きに満ちた目は……!」
「楽しいから決まってんだろ?」
ギィンッ、と剣が弾かれ合う。
直後、繰り出した斬り上げ、逆袈裟斬り、フェイントを入れての突きも、《呪王》は見事にすべて打ち返した。
「俺たちの全力に、お前は全力で答えてくれる……! 打てば打つだけ、それ以上の力強さで響いてくれる! ゲームをやってて、これ以上に楽しいことが他にあるか!?」
「たの、し、いぃいい……!?」
ぐにゃりと、《呪王》の鉄面皮が激しく歪んだ。
「ふざっ……けるなあっ!! この《呪王》との戦いが! 世界のすべてが呪われんとする瀬戸際の今が!! よりにもよって『楽しい』だとッ!?」
「ぐッ……!?」
腹に衝撃が走ったかと思うと、俺は足を浮かせ、硬い床にしたたかに背中を打ちつけた。蹴り飛ばされたのだ。
「所詮は《渡来人》……異世界の客人か! 貴様たちは余所者だからそんなことを言えるのだな! この世界が滅んだところで、貴様らには痛くも痒くもないのだから!!」
「そんなわけないでしょう?」
言葉と共に、《ファラゾーガ》の火球が飛んだ。それは黄金の太刀に両断され、礼拝堂の壁に大きな焦げ跡を残す。
「ま、誰も彼もがこのゲームオタク先輩と同じだとは思ってほしくないですけど――今の発言は聞き捨てなりませんね。
痛くも痒くも、つらくも悲しくもありますよ。この世界がなくなったらきっと私は泣き喚いて、生きる気力がなくなるに違いありません。中には本当に自殺しちゃう人だっているでしょう。そのくらい、私たちにとってこの世界は大切なんです――この世界で生まれ育ったあなたたちにも負けないくらい、大切なんです」
それでも、とチェリーは続けた。
「私も、楽しかったですよ? 《呪王》さん――あなたと鎬を削り合ったこの3日、楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。ドキドキして夜も眠れなかったくらいです。――だからこそッ!!」
カンッ! と《聖杖エンマ》の石突きが、音高く礼拝堂の床を叩く。
「私は許せない。どうしても許せないんですよ! この3日、私たちの傍にメイアちゃんがいなかったことが!!」
「……なに……?」
「メイアちゃんがいればもっと楽しかった。メイアちゃんがいれば、私たち以上に楽しんでくれた! このゲームが最高に面白いときに参加する権利を、あなたは彼女から奪った!! そしてこれからも奪おうとしている……!! それが、何よりも許せないっ!!」
火の粉が、チェリーの周囲で渦を巻いた。
彼女の頭上で、太陽のような火球が膨らむ。それは炎属性魔法でも最大級の威力を持つ――
「言ったでしょう、命と誇りを懸けようと。懸けているんですよ、私たちも」
だって、とチェリーは杖を振り下ろした。
「――ゲームのない人生なんて、死んだも同然ですからね!!」
炎属性奥義級魔法《メテオ・ファラゾーガ》の特大火球が、《呪王》の身体を一瞬で覆った。
火球があまりに巨大すぎる。広大な礼拝堂からはみ出そうなそれは、黄金の太刀でも防ぎきれない……!
「――――わからない」
爆発があり、轟音があり、祭壇が燃え盛った。
しかし、それでも――紅蓮に棚引く炎の中には、依然として一人の男の影があった。
「私には、本当にわからない。私を愚弄しているのか。それとも貴殿らの頭がおかしいのか……? 本気で、本当にそんな理由で、私の500年来の願いを打ち砕き、命を奪い取らんとしているのか……?」
「お前の命なんて、別に欲しかねえよ」
俺は答え、魔剣フレードリクを肩の上に構える。
「俺たちはゲーマーだが、敵キャラだからって面白半分で殺すような真似はしない。そんな奴は俺たちにとっても敵だ。……だから、お前がメイアから――この世界から手を引くなら、別にそんなことはしなくてもいいんだ」
「……私が、手を引くと、そう思うか?」
「思わないな。だから今、俺たちはこうしてるんだろ。――だけど、それはそれとして、だ」
肩の上に構えた魔剣を、猛然と炎のエフェクトが取り巻いた。
「楽しまなきゃ損だろ? せっかく、こんなにやり応えのあるバトルなんだから!!」
炎属性奥義級体技魔法《龍炎業破》。
ドラゴンを模った炎に包まれて、俺は猛火の中に浮かぶ人影に突進する。
《呪王》のHPゲージは、もはや半分ほどが削れていた。
勝てる。
その身のこなし、剣の威力、どれも一級品だが、俺たちも慣れてきた。
長年の経験が戦況を判断する。――勝てる!
「――――わかったぞ」
魔剣の切っ先が。
火の粉だけを突いた。
「私と貴殿らは……決して相容れないということが、わかった」
俺はハッと頭上を見上げる。
パキパキと弾けながら立ち上る火の粉の中に、《呪王》が浮遊していた。
背中に広がるは漆黒の翅。
俺は自分が思い込みをしていたことに気付く。《イザカラ》がそうだったから、《呪王》も空を飛びはしないのだと……!
「呪わせてやる。《呪王》の名にかけて――貴殿らに、私を呪わせてみせよう」
「な――」
頭上から、《呪王》の姿が消えた。
ふわりと風が頬を撫でる。違う、移動したんだ!
どこに行った!? 《呪王》の残像を数瞬遅れで目で追いかけ、
「――――あうっ」
甘ったるい声が、か細く呻くのが聞こえた。
「さて……一人」
目が追いついたとき、すでにUO姫が力なく倒れ伏すところだった。
その小さな背中に。
黄金の大太刀が、ブスリと無造作に突き刺さる。
あのUO姫が。
なんだかんだと生き残り続けた甘ロリ姿が。
遺言の一つもなく、人魂に変わった。
「――オォオオオッ!!!」
巨人騎士が怒りの咆哮を上げる。
巨躯の全身に魔法のエフェクト光を帯びながら、火紹は《呪王》に向けてメイスを振り上げた。
「そうだ――呪え」
次の瞬間、《呪王》の姿は火紹の頭上にあった。
さらに、次の瞬間。
火紹の太い首には、深々と赤いダメージエフェクトが走っていた。
「さて……二人」
2メートル半の亡骸が倒れるのも待たず、ブワッ!! と魔法の嵐が溢れ出る。
「このおっ!! いくら飛んだって、まいるの弾幕で……!!」
太刀を覆う光が弾け、宙にきらきらと舞い散った。
それを見るなり、巡空まいるの表情が失敗を悟ったそれに変わる。
乱射された色とりどりの魔法が急激に軌道を変え、一部は巡空まいる自身に反射した。
「きゃあっ――!?」
舞い上がる爆煙の中。
巡空まいるの、その背後に。
もうひとつの影が、現れる。
「さて……三人」
静かな声と同時、踊り子装束に魔女帽子の影がくずおれた。
「これ以上やらせるかっ……!!」
俺は床を蹴り、チェリーに向かって走る。
まずはあいつを……!
「おや。こっちはいいのかな」
ガションッ、と鎧が倒れる音がした。
見れば、ポニータが人魂に変わり、ショーコの前に《呪王》が立っていた。
「本性が出るものだ、人というものは……追いつめられたときほどな」
ショーコが長い前髪の向こうから、俺のほうを見る。
「ケージさ――――」
大太刀が、小柄な少女を袈裟斬りにした。
「さて……五人」
マズい。
《呪王》の近くにはろねりあがいる。
プリースト系のあいつには自衛手段がない!
「《メガデンダー》!」
チェリーが稲妻を飛ばし、《呪王》に襲いかからせた。
しかし《呪王》は、まるで予期していたかのように直上に飛び、丸みを帯びた天井近くでピタリと滞空する。
「弱い、弱い――手加減のし時でもあるまいに、この私に中級魔法とは」
《呪王》は無感情な目でチェリーを見下ろす。
チェリーは唇をきつく引き結んでいた。
俺は気付く――その腰のホルダーに、マナポーションの瓶がひとつもない!
「魔力の尽きた魔法使い、恐るるに足らず」
ビュンッと消えるように移動したかと思うと、《呪王》の姿はろねりあの傍に戻っていた。
骨張った手が、蛇のように伸びる。
ろねりあの細い首が掴まれ、そのまま宙に持ち上げられた。
「くっ……あっ……!」
「これで……六人か」
足をばたつかせ、苦しげに顔を歪ませるろねりあを眺めて、《呪王》は何の感慨もなさそうに呟いた。
「ゲーマーなどと名乗ったな。改めて訊こう。これでも楽しいか」
助けに行くべく動き出そうとした俺の足を、その言葉が縫い止める。
「理不尽に蹂躙され、虐げられ、痛めつけられ、それでも笑えるか。……否、答えはすでに出ているな。現に貴殿の顔に笑みはなく……最も大切な者の傍から、一歩たりとも離れようとはしない」
「…………!!」
「…………!?」
心臓が高く鳴った。
それはきっと、すぐ隣にいるチェリーも一緒だった。
「先ほど語った、『皆で楽しみたい』という信条……それは偽りなきものなのだろう。しかし、咄嗟のときには出るものだ。本能が守るべきものに優先順位をつける。『皆』などと、よくも綺麗事を抜かしてくれたものだ――貴様たちは自分たちが楽しければそれでよいのだ」
それは。
……それは。
「答えろゲーマー。これでも楽しいか! 楽しいと言うのなら何も言うまい。数千数万の仲間たちを捨て置いて、貴様たち二人だけで存分に楽しめばいい!!」
俺たちはクランに所属しない。
基本的に、他のプレイヤーとはパーティを組まない。
二人だけでいいと思っている。
二人だけがいいと思っている。
……そこに、他の連中の居場所はあるか?
UO姫は、セツナは、ろねりあは、双剣くらげは、ショーコは、ポニータは、巡空まいるは。
そして――メイアは?
「それが呪いだ。貴殿らは呪われている。その呪いが、本来の信条を歪ませている。哀れだ……まったくもって哀れだ」
静かな声が、しかし深々と背筋に突き刺さった。
「その呪いと共に――幸せに朽ち果てるがいい」
答えるべきだった。
違う、と反論すべきだった。
しかし、口は何も答えない。
なぜなら、それは、俺たちにとって。
この世で最も、否定してはいけないことだったからだ。
――だから。
「…………楽しい……です、よ」
答えは、俺たち以外からもたらされた。
「理不尽に蹂躙され、虐げられ、痛めつけられて……それでも、笑いますよ、わたしは……!」
首を掴まれて宙吊りにされた、ろねりあが。
にもかかわらず、うっすらと口元に笑みを広げて。
「たとえ、死んだとしても……! もう、自分たちでは、戦えないとしても……! 誰かが、きっと受け継いでくれる……! 遠いエンディングまで、連れていってくれる……! 何よりも――」
ろねりあの、指が。
震えながらも……スペルブックのページを、手繰っていた。
「――ケージさん、チェリーさん……! あなたたちみたいに楽しい人が、最後まで連れていってくれるなら! わたしは、負けたとしても……すごく、楽しいですっ!!」
不意に、背中を押された気がした。
誰がいるわけでもない。
心霊現象でもない。
単純に、見えている。
ろねりあの傍に浮かんでいる配信ウインドウに、おびただしいコメントが押し寄せているのが見えている。
「さあ、見せてくださいっ、いつもみたいにっ……!! こっちが恥ずかしくなるくらい、イチャつきながら! ボスを倒して、ハッピーエンドに辿り着く――MAO最強のカップルの力をっ!!!」
――《メザレクティア》。
ろねりあが唱えた瞬間、そのアバターが青白く燃え上がった。
その炎は二つに分裂し、宙を飛んで、俺とチェリーの身体に降り注ぐ。
熱くはなかった。
ダメージもなかった。
むしろ人肌の暖かさをもって全身を包み込み――減っていたHPとMPを、急速に回復させた。
支援回復系奥義級魔法《メザレクティア》。
自らの命と引き替えに、味方を完全回復させ、強力なバフ状態にする魔法……。
俺は――魔剣フレードリクを握り締める。
チェリーもまた、聖杖エンマを握り締める。
そして、反論するのだ。
いつものように。
「――だから」
「カップルじゃ」
「ないって」
「言ってるでしょう!!」
青白いオーラが俺たちの身体を覆う。
瞼の裏の簡易ステータスを見れば、そこにはすべてのステータスが大幅アップしたことを示すアイコンが点灯しているはずだ。
だが今、見る必要はない。
見るべきはただひとつ。
ろねりあのいなくなった手の中を呆然と見つめる、《呪王》のみ。
「…………呪え」
陰々と。
滅々と。
《呪王》を名乗る男は、全世界に叫ぶ。
「呪え、呪え、呪え、呪え、呪え…………ッ!!!」
漆黒の翅を広げ、空中に浮き上がり。
形ばかり俺たちを見下して、未来のない望みを吼える。
「――――呪え――――ッ!!!!」
振り上げられた大太刀が、いっそう眩い輝きを放った。
その刃に、並々ならぬ攻撃力が宿っていることがわかる。触れる空気すら裂き、ビリビリと震動を辺りに撒き散らしているのだ。
翼のない俺たちに、《呪王》と真っ向から斬り結ぶ手段はない。
――と、思うだろ?
「先輩」
「ああ」
短いやり取りで、打ち合わせを済ませた。
直後、俺は《縮地》のスイッチを入れる。
バフの入ったAGIがさらに倍増し、俺に超人じみた跳躍力を与えた。
ドウンッ!!! と音高く床を蹴り、俺は猛然と跳び上がる。
目指すは《呪王》。一直線に、まるで立ち上る流星のように。
「……笑止……!!」
《呪王》は横に滑り、俺の突撃をあっさりと躱した。
俺は壁に向かって突き進み、
「悪あがきを! 翼なきその身でどうやってッ、――――ッ!?」
空気を蹴って、180度反転した。
まるでスーパーボールみたいに跳ね返った俺に対し、反撃を加えようとしていた《呪王》は対応が間に合わない。
斜めに、一閃。
すれ違いざまに、深々と斬撃が入る。
半分ほどのHPゲージが4割程度にまでガクンと減った。《呪王》はダメージエフェクトの燐光を撒き散らしながら錐揉み回転し、漆黒の翅を広げて体勢を立て直す。
「虚空を、蹴るだと……!? そのような力、一体いつ……!?」
《呪王》は礼拝堂を見回し、愕然と目を見開いた。
目を留めたのは、地上にいるチェリーだ。
チェリーがしきりに風属性下級魔法――《エアーギ》を放っていることに気付いたのだ。
あちこちに撒き散らされたその魔法攻撃こそが、俺が空中跳躍に使っている足場だということに、気が付いたのだ。
「――――は」
空中を鋭角に飛び回る俺の斬撃を凌ぎながら、《呪王》は、息を漏らす。
否、それは――
「は、ははは、はははははははははは――――!!」
笑いだった。
そうさ、俺たちのこれを見た奴はみんなそういう反応をする。
自分たちでもなんでできるのかわからない、変態的な連携。
この世のものとは思えない神業を見たとき、人であろうと魔族であろうと、できることは笑うことしかない。
ほら、どうだよ。
俺たちと戦うのは、楽しくて仕方がないだろ―――!!
「認めよう!」
横も縦も高さも、礼拝堂の空間を縦横無尽に使い尽くし、斬り結んでは飛び離れる。
「認めよう、貴殿らの在り方を!」
轟然と押し寄せる大太刀を跳び躱し、頭上から首を狙う。
「しかし、貴殿らに染まりはすまい。それは貴殿らの在り方だ―――!!」
そうだろう。俺たちの在り方は、プレイヤーだからこそのそれ。
この世界にとっての客人だからこそのものだ。
きっとお前には真似できない。命と誇りを、別の場所に置いているから。
だけど、メイアは違う。
あいつは俺たちと同じように育った。
モンスターを倒し、クエストをこなし、レベルやスキルを育て。
現実の日本を歩き、俺たちと椅子を並べて食事をした。
だから、巻き込んでくれるなよ。
お前と別の在り方を選べたあいつを、巻き込んでくれるなよ!
「―――ここで終われッ、《呪王》―――!!!」
鋭さが、上がる。
速さが、上がる。
俺とチェリーの呼吸が、瞬時、ワンテンポ上昇する。
わずかだった。
たった一度だった。
俺が空中を跳ねるタイミングが、チェリーが《エアーギ》で足場を作るタイミングが、いつもよりほんの0.1秒早かった。
それが、趨勢を決めた。
「――――ぐッ、!?」
魔剣フレードリクの切っ先が、《呪王》の鳩尾に深々と突き刺さる。
その頭上に伸びたHPゲージが、1割にまで減る。
煌びやかなダメージエフェクトが、《呪王》の口から痛々しく散った。
「ああッ……あぁああああああッ……!!」
獣のような唸り声を上げる《呪王》を、俺は突き刺したままの剣を振り回して前方に投げ飛ばした。
ステンドグラスに、男の背中が叩きつけられる。
極彩色のガラスがけたたましく割れ砕け、花火の残滓のようにきらきらと散る。
その空前のチャンスを――ただ二人生き残った俺たちが、見逃すはずもなかった。
「《龍炎》――――!」
「《メテオ》――――!」
俺とチェリーのアバターを、それぞれ猛炎が取り巻く。
俺の炎は竜を。
チェリーの炎は太陽を模り。
ナイン山脈を漆黒に閉ざした王を、強烈な光で照らし上げた。
「――――《業破》!!」
「――――《ファラゾーガ》!!」
業火に呑まれる、その刹那。
冷え切っていた《呪王》の瞳が、暖かに輝いたように見えた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
耳元でファンファーレが鳴り響く。
俺とチェリーのアバターを光の螺旋が取り囲み、パッと弾けて消えた。
それは……レベルアップの演出。
強敵を打ち倒し、膨大な経験値を得たことの証……。
礼拝堂に満ちた粉塵エフェクトが、徐々に晴れていく。
あれほどの激闘の後だというのに、壁や床には焦げ跡程度しか残っていない――しかしステンドグラスは割れ砕け、宙に磔になったメイアは闇の中に沈んでいた。
「……タイム、リミットは……」
極限の集中から解き放たれた直後のくらくらとした意識で、俺はクロニクル・クエストの制限時間を確認する。
残り、38分。
…………間に、合った。
間に合ったんだ。
俺たちは――
「……メイア――!」
「メイアちゃん――!」
俺とチェリーは、依然として磔になったままのメイアを見上げ――
…………、…………、…………。
依然として、磔になったままの?
「――――ぁ、ぁアぁあア」
呻き声がした。
ゾンビか何かのような。潰れたような呻き声が。
粉塵に包まれた祭壇から――《呪王》がいるはずの場所から聞こえたのだ。
「……わタシ、は……ワタシ、は、ノロわれてナドっ……!! チガう……ちガウっ……!! ワタシ、じゃなイ……ワタシジャなイ……!! オマえタちの……っ!!!」
粉塵の中で、何かが膨らみつつある。
なんだ――あれは?
泥のような。
肉のような。
真っ黒なものが、ぶくぶくと!
煮え立つように膨らんでっ……!?
「ワタシガ――ノロワレテいると、イウのなラ!!」
小山のようになった、真っ黒な泥肉が。
「オまえタチモいちド――ノロわれてミるガイイッ!!!」
叫びと共に、バチャンと弾けた。
「――チェリー!」
「――先輩っ……!」
お互いに手を掴み合うのが精一杯だった。
押し寄せた真っ黒な泥肉の波濤に、俺たちは為す術もなく飲み込まれた……。




