第191話 呪転最終戦場ダ・アルマゲドン:攻略合宿最終会議
時計を見ると、午前9時だった。
ダ・アルマゲドン攻略3日目――最終日の朝。
俺にしては早い時刻を示しているそれを消すと、木目の天井を見上げて深く息を吸った。
「……うし」
気合いを入れて起き上がり、浴衣からいつもの装備に換装する。
視界の端に空腹警告アイコンがチカチカしていたが、ひとまず後回し。
朝飯の前に、下の様子を覗いとこう。
恋狐亭の客室を出て、年季の入った階段をギシギシと降りると、1階ロビーには存外多くのプレイヤーがいた。
談話スペースに集まっているのは、特に見知った面子だ。
セツナ。
ろねりあ、ショーコ、双剣くらげ、ポニータ。
ゼタニート、ストルキン、ジャック。
そして、チェリー。
セツナが企画した遠征攻略合宿のメンバーだった。
なんだかんだでなあなあになってしまったものの、元はセツナ主催の攻略合宿から事が始まったのだ。
そこにプロゲーマーの来襲だのメイアとの出会いだのがあって、ついには全プレイヤー規模での戦いに発展してしまった。
チェリーが人類軍総司令官に収まってしまったのもあって、ダ・アルマゲドンの攻略では行動を共にすることは少なくなったが、今でもこの合宿の目的は変わっていないはずである。
ナイン山脈を完全攻略する。
今日が、その達成を迎える日だ。
「あ、ケージ」
振り向くと、割烹着を着た狐耳の少女だった。
この恋狐亭の女将、六衣である。
「朝ご飯食べる? 食べるなら用意するけど」
「あー……いや、いいわ。お茶だけくれ」
「畏まりましたぁー」
機嫌良さそうに答えて、六衣は厨房のほうに消えていく。
元はNPC――っていうかボスモンスターだったあいつも、今となっては立派なメタNPC、電子人類である。
いや、本当にいろいろあったな、この1ヶ月弱。
「先輩、先輩。六衣さんのお尻をいつまでもにやにや眺めてないで、こっちに来てもらえますか?」
しみじみと微笑んでいると、チェリーの声が刺々しく耳朶を打った。
別に眺めてねえっつーの。
というかお尻なんか尻尾で見えねえっつーの。6本もあんだぞあいつ。
ソファーとローテーブルが設置された談話スペースに移動する。
ソファーに座ったチェリーの隣が、まるで図ったかのように空いていたので、俺はそこに座らざるを得ない。
少し身を強張らせながら腰を下ろすと、案の定、脇腹にがすっと肘を喰らった。
「ぐえっ! ……何!?」
「べっつにぃ? 朝から狐耳の美少女を眺めてにやにやしてる人に、言うことなんかありませんけど?」
「いや、あれはそういうにやにやじゃねえって……」
ここ最近あったことを思い出してしみじみとしていたことが、何やらお気に召さないらしい。
がすがすと繰り返される肘鉄を腕でガードしていると、
「はいはい、そこまで!」
パン! とセツナが空気を入れ換えるように柏手を打った。
「悪いけど、痴話喧嘩は後に回してね。僕らが朝から集まってるのは、残念ながら君たちが乳繰り合うのを眺めるためじゃないからさ」
「そうだぞーっ! 決してそのためにチェリーちゃんの隣を空けてたわけじゃないぞーっ!」
ビキニアーマーのツインテ女、双剣くらげが野次るように言った。
やっぱりわざとじゃねえか!
「くらげさんの言ったことはとりあえず忘れていただいて」
「もがもが!」
JK4人組のリーダー格、セツナと同じく配信者でもある黒髪ロングのろねりあが双剣くらげの口を塞いだ。
「夜の間にいろいろ情報が出揃ったので、皆さんに共有しようと思ったんです」
俺たちが寝ている間に、夜型人間の連中がカース・パレスに威力偵察でもしたのだろう。
オンラインゲームの攻略は、時にたった一晩で劇的に進むこともある。
とはいえ、さすがにたかが数時間じゃ、せいぜい出現モンスターの種類が出揃うくらいだとは思うが――
「データを出しますね」
ブウンと、談話スペース横の壁に映像が映った。
中央に大きな尖塔を有した壮麗な宮殿だ。カース・パレスの外観である。
スクリーンショットだろうか?
「夜の間、《ネオ・ランド・クラフターズ》の皆さんの調査で――カース・パレス内部の構造が大体わかりました」
次の瞬間、映像に映ったカース・パレスが半透明になった。
入り組んだ廊下、階段の位置、部屋の数に至るまで、細大漏らさず露わになった。
……へ?
「ちょっ……これって、カース・パレスのマッピングが終わったってことか!?」
「そうです」
「たった一晩で!?」
「曰く、『外から見てるだけでも大体わかる』だそうです。なので、結界があった頃からある程度当たりはつけていて、威力偵察の方たちと連携して答え合わせをした、と……」
「はぁ~……」
建築職の連中も、なんだかんだで変態だな。
「……なんですが」
ろねりあがそう言ってウインドウを操作した途端、カース・パレスのマップのほとんどが赤く染まった。
「この入り組んだ通路をどれだけ駆けずり回ったところで――残念ながら、《呪王》のもとへは辿り着けないみたいです」
「は?」
赤く染まったエリアは、カース・パレス全体の8割を占めていた。
残ったのは、東西南北に伸びる大きな4本の廊下のみ。
「夜の間に大勢の皆さんが宮殿内の探索を試みました。モンスターとのエンカウントやトラップなども多かったようですが、あったのは宝箱だけ……。《呪王》のいるボス部屋は発見できなかったそうです」
「だったら、《呪王》はどこに?」
「中庭をご覧いただけますか?」
カース・パレスは上部から俯瞰すると漢字の『回』のような形になっている。
宮殿がぐるりと四角形を描き、中央に大きな中庭を抱え込んだ格好だ。
その中庭の中心に、三角屋根の……礼拝堂のようなものが見える。
「《呪王》がいるのは、中心にある礼拝堂だと思われます」
……礼拝堂、か。
そういえば、『祝言を挙げる』だなんて嘯いていやがったっけな。
俺たちを煽るための台詞だとは思うものの……このステージセレクトには、何かしらメッセージ性を感じる。
「そして――礼拝堂のある中庭に通じる道は、ご覧の4つのみ」
東、西、南、北。
それぞれ2車線の道路くらいの太さがある、4つの長い大廊下。
「この廊下のいずれかを突破すれば、中庭に辿り着ける――そういうシンプルな仕組みなんですね?」
チェリーの確認に、ろねりあは「はい」と肯いた。
俺は眉にしわを寄せ、
「……言うほど簡単じゃあなさそうだな」
「もちろんだよ」
と通りのいい声で答えたのはセツナである。
セツナはろねりあの隣に行ってウインドウを操作した。
マップ映像がぐるりと動き、鳥瞰から地上視点になる。
南の大廊下の正面に移動したカメラは、グーグルストリートビューみたいに前進し、門を抜けて大廊下の中に入った。
「4本の大廊下には、行く手を阻む結界が張ってある。どのルートから行くにしても、中庭に入るにはこの結界を解除するしかない」
「また結界かよ……。またぞろ何か倒す必要があるのか」
「それこそシンプルさ――戦略十二剣将とカース・パレスを覆う結界がそうだったように、この大廊下の結界は、その場に現れるモンスターのすべてと光の糸で繋がっている。『全部倒せば先に進めますよ』ってわけさ」
「なるほど……。ラストダンジョンの割には簡単ですね。まあ嵐の前の静けさかもしれませんが――」
「1000体」
チェリーの言葉を遮るように、セツナが広げた両手を突きつけた。
「結界を1枚解除するのに1000体――そう聞いても、簡単だと思うかな?」
「……せ……せんたい……?」
「……うげえ、と反射的に思ってしまいますけど、そうですね、こっちも相当数の戦力があるわけですし、そのくらい――」
「結界1枚につき1000体――が、見える限りで10枚あるよ」
「「はあっ!?」」
合計1万体!?
モンスターを1万体も倒さないといけねえのか!?
しかも今日中に!?
「まあ、そのうち4枚はすでに突破されたんだけどね」
「「4000体を一晩で!?」」
はっや。
俺らが寝てる間にどんだけハッスルしてんだよ。
この手の大量討伐系レイドバトルの逸話の中には、とあるソシャゲで1秒間に44体のペースでボスが倒されたなんてものもあるが、VRゲームじゃあ空間的な制限がある。
大廊下は相当広そうに見えるが、同時に戦える人数はせいぜい3~40人程度だろう。
それが4本あるので、同時戦闘参加人数は大体100人。
必然、討伐ペースにも限界が生まれてくるというわけだ。
「カース・パレスの結界解除から今までで約10時間――それも深夜帯です。深夜の10時間で4000体倒せたということは、1万体狩りも存外、難しくはないのかもしれませんね……」
「同時に100人で戦えるって考えると、まあ1パーティ4人として、1分に1匹は倒せるよな。とすると、分間25匹のペースか」
「1匹につき3秒弱ですね。1万体倒すのに3万秒弱。10時間は3万6000秒なので、本来はもう全部突破できててもおかしくないというわけですか……」
「何この人たち。計算速すぎて気持ち悪い」
双剣くらげが俺とチェリーの会話を聞いて失敬なことを言った。
けほん、とチェリーが咳払いをして続ける。
「計算よりも半分以上もペースが遅いということは、おそらく私たちの想定よりもモンスターが強いのでしょうけど……それを加味したとしても、もう10時間あれば充分、結界の突破は可能なはずです」
「話からすると、4本の大廊下の結界は全部繋がってるんだよな? 4本全体で1000体倒すごとに、すべての大廊下の結界が1枚消えるって認識でいいのか?」
「そう。それで大丈夫だよ」
「なら……今日の太陽が沈む前には、《呪王》のご尊顔を拝めそうだな」
「ええ」
俺もチェリーも、かすかに笑う。
この2日間、うっかり人類軍なんて大それた組織の中核になっちまって、慣れないことをやっていたが――《呪王》も気の利いたことをしてくれるぜ。
ひたすらモンスターを倒して結界を突破する。
このルールなら、俺もチェリーも、本来のプレイスタイルに戻ることができる。
「……タイムリミットの終了は、今日の23時だったな」
「ええ」
「残り13時間ってとこか」
「私の《聖杖再臨》のクールタイムが終わるのは、その15分前くらいです。……そこまでギリギリになるのは、正直勘弁してほしいですね」
「俺の《魔剣再演》の使い所はどうする?」
「ギリギリまで温存してください。《魔剣再演》は、劣勢を覆す打開力が売りの《聖杖再臨》と違って、弱った敵をボコボコにして息の根を止めるのが得意技ですからね」
「言い方!」
くすくすと周囲に笑いがさざめく。
……固くなりつつあった空気が、少しほぐれた。
これが狙いだったのか――と思いながらチェリーを見ると、一番わかりやすく肩を揺らして笑っていやがった。
嘘だぞ。絶対普通にディスっただけだぞ。
「……残り13時間」
待つ、と。
そう宣言して消えた男の姿を思い返しながら、俺は呟く。
「クソ誘拐犯にパンチをくれてやる前に、肩慣らしと行こうぜ、チェリー」
「ええ。せっかくのプレゼントですから、無碍にしては失礼というものです」
大量のモンスターで防壁を作る。
なるほど、臆病者を自称する《呪王》らしい策だが――
――残念ながら、俺たちにとっちゃ、それはただの経験値の掴み取りだ。
「さて、会議はこんなところでいいかな?」
合宿主催者のセツナが音頭を取って、俺たちを見回した。
「思った以上に長くなったけど、僕主催の攻略合宿は、泣いても笑っても今日で終わりだ。相変わらずの運営の無茶振りには困ったものだけど――みんな」
通りのいい爽やかな声で、しかし力強く、セツナは号令した。
「――明日、このMAOで、また会おう!」
威勢のいい応えが、重なってロビーに響き渡った。




