↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/8

1

初投稿作品です

よろしくお願いします


静かなオフィスに、カタカタとキーボードを叩く音だけが響いている。時計の針は既に夜の九時を回っていた。

「蓮、まだ残ってたの?」

声をかけてきたのは、同期の佐藤だった。手には缶コーヒーを二つ持っている。彼は蓮のデスクの端に腰を掛けると、片方を蓮のパソコンの横にポンと置いた。

「ああ、ありがとう。この資料だけ終わらせたくて」

「相変わらず真面目だなあ。あ、そうだ。明日からの出張の件だけどさ」

佐藤がフッ、と笑みを浮かべ、少し身を乗り出してきた。

「久保田さん、同行するんだろ? あの人、マジで男前だよな。お前さ、出張先でワンチャン狙ってみたら? 最近の久保田さん、お前に結構甘いし、押せばいけるんじゃないの」

からかうような、好奇心に満ちた声。蓮はキーボードを叩く手を止め、冷ややかに佐藤を見上げた。

久保田涼。蓮たちの直属の上司であり、誰もが目を奪われるほど端正な容姿と、圧倒的な仕事の出来を誇る男だ。そして――榛名蓮が長年、人知れず想いを寄せ続けている相手でもあった。

佐藤にとっては軽い冗談のつもりなのだろう。だが、蓮にとって久保田への感情は、そんな軽薄な言葉で弄ばれていいものではない。一度芽生えた感情を、蓮は数年間、ただ一途に温め続けてきたのだ。

「佐藤。そういう適当な噂話や冷やかしは、久保田さんに失礼だろ。やめてくれ」

冷淡に吐き捨てると、佐藤は眉をひそめた。

「なんだよ、冗談だって。ちょっと盛り上がろうと思っただけだろ? 固いこと言うなよ」

「仕事の場だ。面白半分で人の気持ちや立場を弄るなと言っているんだ」

ぴしゃりと言い放つ蓮の眼光に押されたのか、佐藤は「ノリ悪いやつ」と、吐き捨てるように缶コーヒーを残して立ち去っていった。

静けさを取り戻したオフィスで、蓮は深く息を吐いた。

佐藤のように、久保田の周りに上っ面だけで群がる連中や、好奇心で近づこうとする者は後を絶たない。

年齢は三十を前にした男盛りの色香と青年らしい精悍さが完璧な均衡で同居する男だ。無駄な脂肪のない百八十センチの長身は日頃から鍛え抜かれており、寸分の狂いもなく仕立てられた高級スーツをこれ以上なく優雅に着こなす。すっきりと短く整えられた艶やかな黒髪と、意思の強さを秘めた漆黒の瞳。その洗練された佇まいと圧倒的なカリスマ性は、性別を問わず見る者を惹きつけて離さなかった。

だが、その隙のない外見の裏で、仕事に対する妥協のない真摯さや部下へのさりげない気配りを持つことを、蓮は誰よりも知っている。だからこそ胸の中にある純粋な想いを守るように、蓮は静かに一線を画してきたのだ。


「……お疲れ様」

背後から低く熟した声が響き、蓮は跳ね起きるように振り返った。

いつの間にか、執務室の奥から久保田が出てきていた。いつも通りの完璧なスーツ姿だが、その瞳はどこか熱を帯びて蓮を見つめている。

「久保田さん……! いらっしゃったんですか。すみません、お見苦しいところを……」

「いいや。頼もしい部下を持ったと思ったよ」

久保田はゆっくりと歩み寄り、蓮のデスクの前に立った。そのままデスクに両手をつき、蓮の顔を覗き込む。

「佐藤の言う通り、俺は君に甘いよ」

「え……」

「他の誰かが俺に近づこうとどうでもいいが、君が俺以外の男と楽しそうに話していると、どうしようもなく苛立つ」

久保田の細い指が、蓮の顎を優しく掬い上げた。親指が唇をなぞる。

「出張先で押せばいけるか、だって?」

久保田は口元に微かな笑みを浮かべた。

「押す必要なんてない。俺はずっと前から、君にならどうされたっていいと思っているんだから」

真っ直ぐに注がれる熱い視線に、蓮の心臓が早鐘を打つ。長年温め続けてきた一途な想いが、今、確かに報われた瞬間だった。



地方出張の初日。予期せぬ集中豪雨によって公共交通機関はすべてストップし、予定していたクライアントとの打ち合わせは急遽翌日に延期となった。さらに最悪なことに、豪雨による落雷の影響で、蓮と久保田が宿泊するホテル全体が突然の停電に見舞われたのだった。

「榛名、怪我はないか?」

暗闇の中、すぐ近くから低く落ち着いた声が聞こえる。久保田だ。スマートフォンのライトを照らすと、逆光の中に久保田の整った顔立ちが浮かび上がった。焦りの色は一切なく、ただ真っ直ぐに蓮を気遣う眼差しがあった。

「はい、大丈夫です。ただ、エレベーターも止まってしまって……ルームキーは磁気カードなので部屋の鍵が開くかどうか」

「復旧までは少し時間がかかりそうだな。非常用照明のつくロビーへ戻るか、あるいは――」

久保田は言葉を切り、少しだけ声を低くした。

「俺の部屋に来るか。幸い、俺の部屋は非常用電源のコンセントが生きているみたいだ」

不意の提案に、蓮の胸が跳ねた。いつもは会社という枠組みの中でしか接することのない上司と、薄暗い部屋で二人きり。断る理由などどこにもなかった。

久保田の部屋に入ると、デスクライトの灯りだけがぼんやりと室内を照らしていた。外の激しい雨音が、室内のお互いの鼓動を際立たせるように響いている。

「トラブル続きで災難だったな。少し休むといい」

そう言って久保田が差し出してきたのは、熱いお茶の入ったマグカップだった。手が触れ合った瞬間、かすかな体温が伝わり、蓮は慌てて視線を泳がせた。

「すみません、久保田さん。出張の準備も、トラブルの対応も……俺の手際が良ければもっとスムーズにいけたのに」

自分を責めるような蓮の言葉に、久保田は小さく息を吐き、静かに蓮の隣へと腰掛けた。距離があまりにも近い。

「榛名。君はいつも自分を追い詰めすぎる」

久保田の手が伸び、蓮の頬に優しく触れた。普段の仕事モードの厳しさは影を潜め、そこにあるのは熱を帯びた一筋縄ではいかない男の顔だった。

「俺が今回、わざわざ君をこの出張に指名した理由がわかるか?」

「え……? 仕事の適性で……」

「違う。いや違わないがそれだけじゃない」

久保田はフッと口元を緩め、そのままゆっくりと顔を近づけてくる。息が触れ合うほどの至近距離で、久保田の瞳が蓮の姿を捉えて離さない。

「会社では立場がある。だが、こうしてトラブルでも起きない限り、君を独占して個人的な話をする時間すら作れなかったからだ」

「久保田さん……」

「俺は君が思っている以上に、君に対して余裕がないんだよ。仕事仲間としてではなく、一人の男として……もっと君を知りたいし、俺のことだけを見てほしい」

いつも完璧で隙のない上司が見せた、初めての独占欲と甘い弱音。蓮が一途に温め続けてきた想いと、久保田の隠されていた情熱が、停電の暗闇の中で静かに溶け合っていく。

「……俺もです。ずっと、久保田さんだけを見ていました」

蓮が絞り出すように伝えると、久保田は満足そうに目を細め、引き寄せるようにして蓮の唇を塞いだ。

窓の外を打つ雨音をかき消すように、二人だけの特別な時間が、暗闇の中で深まっていくのだった。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。