知っておくべきだった
お知らせ
現在、一部の章をより良い形にするため、再翻訳・修正しています。
これまでこの作品を読んでくださった皆さん、そして貴重な時間を使って読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。
まだ細かな誤りが残っている可能性がありますが、少しずつ修正していく予定です。
また、現在の主人公の名前は**「ハリール」ではなく「ハリル」**です。
以前の翻訳では翻訳上のミスにより、名前が別の表記になってしまっていました。
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
これからも、より良い作品にできるよう頑張ります。
読んでくださって、本当にありがとうございます。
空港を出た。
……
最初に目に飛び込んできたものは?
光だった。
――あぁ……
夜なのに……
この街は眠らない。
スマホを取り出す。
22:00。
……
――やっとだ。
――着いた。
日本。
何年も何年も、ずっと口にしてきた言葉……
それを今、俺は本当にここで口にしている。
スーツケースを引く。
よし。
テンションが上がるのは後だ。
まずは……
ホテル。
スマホが震えた。
……
母さんだ。
思わず笑う。
まあ、当然か。
まだ空港を出たばかりだ。
電話に出る。
――もしもし。
……
――うん、着いたよ。
……
――いや、どこにも行ってない。
……
――うん。そのままホテルに向かうよ。
……
――わかった。
――着いたら連絡する。
電話を切る。
……
誓って言う。
もし「息子の心を読む」なんてスキルが存在するなら……
母さんは何年も前から持ってる。
スーツケースをタクシーに積み込み、乗り込む。
……
よし。
ここからが本番だ。
何年も日本語を勉強した。
何年もアニメを見てきた。
そして今……
俺は成功するか……
それとも間違えて「韓国までお願いします」と言ってしまうか。
唾を飲み込む。
――ココホテルまで……お願いします。
……
運転手が俺を見る。
それから、こくりと頷いた。
――はい。
……
はぁ……
生き残った。
最初の一言……
何も起きなかった。
車が走り出す。
俺は窓に頭を預ける。
……
うわぁ。
いや。
写真で見たのとは違う。
これは……
もっと綺麗だ。
……
――明日……
本当の旅が始まる。
思わず小さく笑った。
――なんて瞬間だ……
何度、この瞬間を夢見ただろう。
---
朝。
目を開ける。
……
ん?
……
ああ。
日本。
思わず笑みがこぼれた。
スマホを手に取る。
08:19。
……
チュニジアでは……
母さんはまだ寝てるだろうな。
スマホを脇に置く。
連絡するのは後でいい。
鏡の前に立つ。
……
うん。
悪くない。
迷子の観光客には見えない。
これも一つの成果だ。
鍵を手に取り、部屋を出る。
---
昼間の東京は……
また別の顔をしていた。
スマホを取り出す。
……
観光客としての義務を果たす時間だ。
カメラを起動する。
――やあ、みんな。
――俺がどこにいるか、当ててみて。
カメラを通りに向ける。
――日本。
再びカメラを自分に向ける。
――そう。
――本当に来た。
笑う。
――知ってるよ。
――俺が冗談を言ってると思った人もいるだろう。
肩をすくめる。
――でも、一度決めたことは……
やり遂げる。
……
少し黙る。
――まあ……
これは嘘だけど。
頭の中でいろいろ決めたことがあった。
そして今、その多くは夢と一緒に粉々になっている。
笑う。
――はは……
くそ……見えないダメージを受けてる気がする。
――でも、今回は成功した。
スマホを少し持ち上げる。
――全部見せてやる。
――羨ましがる準備をしておけ。
撮影を止め、スマホをポケットにしまう。
……
さて。
顔を上げる。
笑う。
――どこから始めようか?
最初の一歩を踏み出した。
ブォォォォォォン!!
……
……ん?
顔を上げる。
……
トラック。
……
いや。
いやいや……
マジかよ……
こっちに突っ込んでくる。
しかも、ありえないほどの速度で。
……
待て。
まさか……
本当にこの展開なのか?
トラック。
日本。
そして俺。
……
――Stop……Stop!
俺、まだ何もしてないぞ!
秋葉原にも行ってない!
マンガショップに一軒も入ってない!
フィギュアだって一体も買ってない!
……
おい……
異世界転生にも、もう少し礼儀ってもんがあるだろ!
せめて一日くらい楽しませてくれ!
ズッ!
えっ!?
目の前から道が消えた。
ブオォォォッ!
トラックが俺の目の前を通り過ぎた。
……
……
はぁ……
はぁぁ……
……
俺……
生きてる?
自分の手を見る。
それから道路を見る。
……
――くそ……
死ぬところだった……
初日に。
背後から声がした。
――信号、赤でしたよ。
振り返る。
俺と同じくらいの年齢の青年が、信号を指差している。
……
信号。
……
赤。
……
ああ。
そうだった。
……
俺、自分の葬式の心配ばっかりして……
信号を見るのを忘れてた。
頭を下げる。
――すみません……
――俺のミスです。
彼は首を振る。
――日本人じゃないですよね?
――はい。
――旅行ですか?
――そうです。
――どこから?
――チュニジアです。
……
彼が固まった。
――チュニジア?
眉を上げる。
――知ってるんですか?
――ええ。
――父が何年か住んでたんです。
……
え?
日本中で……
俺が最初に出会った人が……
チュニジアを知ってる?
こんなの、シナリオに入ってなかったぞ。
――本当に?
彼は頷く。
――それに、二重国籍なんです。
――へえ……
思わず短く笑う。
――じゃあ、今度チュニジアに来ることがあったら……
彼を指差す。
――命の恩人として歓迎するよ。
――トラックちゃんから俺を救ってくれたお礼だ。
……
彼が瞬きをする。
――トラック……ちゃん?
……
あ。
口が勝手に動いた。
顔を逸らす。
――忘れて。
――意味は考えなくていい。
彼は笑った。
――本当に変な人ですね。
……
チッ。
何度も言われてきた言葉だ。
彼は腕時計を見る。
――そろそろ行かないと。
――そうですね。
手を上げる。
――ありがとう。
彼は手を振り、人混みの中へ消えていった。
……
……
あ。
……
名前。
名前を聞くの忘れた。
……
さすがだな、ハリール。
命を救ってくれた人に……
名前すら聞かないとは。
……
まあ、いい。
死なないことに必死だったってことにしておこう。
バッグを握り直し、前を見る。
……
東京。
俺は本当にここにいる。
……
へへ……
トラックちゃんから生還した。
指を一本立てる。
――第一段階……
クリア。
そして勢いよく手を上げる。
――さあ!
――オタクの聖地巡りの時間だ!!
……
……
あ。
頭を下げる。
――今のは聞かなかったことにしてくれ。
――誰も聞いてない。
そのまま歩き続ける。
……
うわぁ……
何もかもデカい。
建物ですら、こう言っているように見える。
『お前は蟻だ』
店の前を通り過ぎる。
……
欲しい。
次のショーウィンドウ。
……
これも欲しい。
……
いや。
落ち着け、ハリール。
今日来たばかりだ。
初日から……
銀行口座の命日を迎えるな。
……
ん?
スマホが震えた。
取り出す。
その瞬間――
バンッ!
――おっと!
誰かが肩にぶつかった。
……
いや。
いやいやいや……
指が滑った。
スマホが――
……
カツン!
地面に落ちた。
――俺のスマホ!!
慌ててしゃがみ、拾い上げる。
電源ボタンを押す。
……
……
何も起きない。
もう一度。
……
何も起きない。
……
え……
嘘だろ。
三度目。
……
……
沈黙。
画面を見つめる。
――マジかよ……
裏返して、もう一度ボタンを押す。
……
反応なし。
……
いや。
……
頼むって……
今じゃないだろ。
初日だぞ。
……
待て……
この展開……
ものすごく嫌な予感がする。
首を振る。
――いや。
――落ち着け。
冷静に考えろ。
スマホを手の中で回す。
画面は無傷。
傷一つない。
……
なら……
内部故障か?
……
俺は固まった。
待て。
スマホを見る。
……
――あ……
母さん。
……
もし今、電話してきたら?
心配する。
そのあと俺は説明することになる。
日本旅行を始めて……
二時間も経たないうちに……
馬鹿みたいにスマホを落として壊した、と。
……
あぁぁ……
なんて幸先の悪いスタートだ。
ため息をつく。
そして、勢いよく顔を上げる。
――すみません!
近くにいた人に駆け寄る。
――すみません、ちょっとお聞きしたいんですが……
その人は俺の横を通り過ぎた。
……
瞬き一つしない。
……
え?
瞬きをする。
――なるほど……
――今日は透明人間らしい。
まあいい。
三人目だ。
――すみません、お兄さん……
……
何もない。
……
沈黙。
自分の手を見る。
それから顔に触れる。
――ある。
足を見る。
――ある。
顔を上げる。
――じゃあ、なんでみんな俺のこと幽霊みたいに扱うんだよ!?
……
胸に手を当てる。
――神様……
――俺、笑ってたんだぞ。
――存在感のないアニメキャラたちのこと。
自分の真似をする。
――「いやいや、そんなわけないだろ」
――「さすがに大げさだって」
短く笑う。
――はは……
そして笑いが消えた。
……
――いや。
――大げさじゃない。
顔を上げる。
――本当に……
痛い。
目に広告看板が入った。
人々がその前に立ち、内容を読んでいる。
……
看板を見る。
それから自分を見る。
……
――お前まで……
――俺よりカリスマあるのか?
空いているベンチに目を向ける。
……
――お前も?
……
――俺より先に友達ができても、驚かないからな。
ため息をつく。
――くそ……
その瞬間。
――すみません、お兄さん?
……
足が止まった。
……
え?
今度は……
俺に?
ゆっくり振り返る。
そして……
固まった。
……
猫耳。
瞬きをする。
一度。
……
二度。
……
気づかないうちに、一歩近づいた。
――本物?
止まる。
――いや……
――本物じゃない。
少し顔を上げる。
――でも、めちゃくちゃよくできてる。
……
うわぁ……
何年もアニメを見続けてきて……
初めて出会った猫耳少女。
俺は正気を失うと思っていた。
叫ぶと思っていた。
何かカッコいいことを言うと思っていた。
なのに……
口から出た言葉は――
――その服、暑くないんですか?
……
……
沈黙。
……
さすがだな、ハリール。
これを選んだのか?
世界中に存在する言葉の中から……
それ?
少女が笑った。
――ふふ……
それから言った。
――これはただのカフェの制服ですよ。
後ろを指差す。
――よかったら、中に入りませんか?
……
ドアを見る。
それから彼女を見る。
そしてまたドアを見る。
……
待て。
美少女。
入店のお誘い。
カフェ。
……
いや、ハリール。
落ち着け。
最初のシーンから恋愛ルートを作り始めるな。
日本に来てまだ数時間だぞ。
……
そして、あることを思い出した。
……
俺、腹減ってる。
しかも金はある。
……
……
――もちろん入ります。
勢いよく店内へ入った。
……
くそ。
声に出してしまった。
何事もなかったかのように顔を上げる。
――俺、金ならいっぱい持ってるから……
――どこから使い始めればいいのかわからないんだよ。
……
笑った。
店員の笑顔。
プロそのものだ。
でも俺の脳内では即座に翻訳された。
『いらっしゃいませ、お客様』
『さようなら、財布』
席に座る。
テーブルに手を置く。
――いいか、ハリール。
――目的は明確だ。
スマホを持ち上げる。
――これを直す。
それを指差す。
――これだけだ。
――それ以外は何もない。
……
数分後。
彼女がやって来た。
口を開く。
――猫耳のお姉さん……
――ブラックコーヒーと……
――ベリーのサンドイッチを。
……
……
目を閉じる。
……
おい、ハリール。
まだ三分しか経ってないぞ。
計画はどこへ消えた?
――かしこまりました、お客様。
彼女は離れていった。
店内を見回す。
……
ここ……
居心地いいな。
……
いや。
違う。
危険だ。
ものすごく危険だ。
スマホを持ち上げる。
――忘れるな。
――ここに来た目的はスマホを直すこと。
頷く。
――そう。
そして小声で付け加える。
――猫耳の女の子が働いてるからじゃない。
……
もう一度沈黙。
……
――本当にそれが理由じゃないからな。
彼女が出ていった扉を見る。
……
――……
……
――まあ。
――一パーセントくらいはあるかもしれない。
……
――一パーセントだけだ。
……
――そんな目で見るな。
俺だって自分を信じられないんだ。
---
料理が届いた。
――お待たせしました。
――ありがとう。
コーヒーを見る。
それからサンドイッチを見る。
……
指を一本立てる。
――まずはスマホだ。
サンドイッチを見る。
……
指を下ろす。
――わかった……
――スマホは待てる。
腹は待てない。
そして俺は食べ始めた。
---
三十分後。
――あぁぁ……
腹を撫でる。
――食事を発明した人に、神のご加護を。
時計に目を向ける。
……
11:00。
……
……
え?
――待て……
顔を上げる。
――十一時!?
席から飛び上がる。
――おい!
――スマホ!
額を叩く。
――そもそも俺、スマホを直すために入ったんだろ!
……
なんで忘れたんだ?
スマホを直しに入って……
三十分も飯を食ってる!
……
さすがだな、ハリール。
もし「忘れること」がスポーツだったら……
ワールドカップで優勝してるぞ。
――他に何かご注文なさいますか?
彼女を見る。
考えるより先に口が動いた。
――はい、もう一食お願いします。
……
……
……
手のひらで顔を覆う。
――くそ……
――くそぉぉぉ!
自分を見る。
――お前の人生、胃袋に操られてるのか!?
……
息を吸う。
――スマホは瀕死。
――なのに俺は二回目の昼飯と交渉している。
……
首を振る。
――いや。
――こんなことは許さない。
顔を上げる。
――お姉さん、ちょっと聞きたいんですけど――
彼女は即座に笑った。
――申し訳ありません。カフェの規則で、見知らぬお客様に個人情報をお教えすることはできません。
……
……
……
何かが俺の中で砕けた。
――うおぉ……
胸に手を当てる。
――いきなり!?
――前置きなし!?
指を一本立てる。
――誓って言うけど……
――電話番号を聞こうとしたわけじゃない。
……
止まる。
……
――まあ……
――一瞬だけ考えたけど。
……
――でも、俺が言おうとしたのはそれじゃない!
彼女は不思議そうに瞬きをした。
――では、何をお尋ねになりたかったんですか?
俺は慌ててスマホを取り出す。
――こいつです。
彼女の前に持ち上げる。
――こいつが……
――日本に来た初日に死ぬことを決めやがったんです。
彼女はスマホを見る。
それから俺を見る。
……
――あ……
――それは大変ですね。
外を指差す。
――このまま歩いて渋谷の交差点まで行けば、大きなスマホ修理店がありますよ。
頷く。
――ありがとう。
振り返る。
そして小声で呟く。
――メイドカフェ……
――男の心をコーヒーより先に破壊してくるのかよ……
ドアを開ける。
……
――お客様。
……
目を閉じる。
――神様……
――今度は何だ。
――もう十分だろ。
振り返る。
彼女が紙を差し出していた。
目を見開く。
……
待て……
まさか……
いや。
焦るな、ハリール。
頭の中でマンガ一本作るな。
彼女が笑った。
――お会計です。
……
……
……
――あぁぁ……
紙を見る。
それから空を見る。
――俺の夢まで請求書で殴られるのかよ。
---
会計を済ませた。
店を出る。
ポケットに手を入れる。
……
――いや。
――今日から……
――カフェとは友達にならない。
ため息。
――東京は危険じゃない。
レシートを持ち上げる。
――ここで人を殺すのは……
――請求書だ。
――そこのお兄さん!
……
足が止まった。
目を閉じる。
――いや。
――振り返るな。
――残った心まで壊されるぞ。
振り返った。
彼女だった。
手を振っている。
――これ、忘れてます。
紙を指差す。
――持っていてください。
彼女を見る。
――なんで?
――スマホを直したあと、何か困ったことがあったら連絡してください。
……
え?
連絡……
誰に?
紙を見る。
電話番号。
……
持ち上げる。
そして下ろす。
もう一度持ち上げる。
……
――待て。
――これ、電話番号?
彼女を見る。
それから番号を見る。
また彼女を見る。
……
うわ……
彼女はただ微笑んだ。
そして店の中へ戻っていった。
俺はその場に立ち尽くした。
紙を顔の前に掲げる。
……
――いや……
――そんなわけ……
小さく笑う。
――へへ……
――どうやら俺は、無料で精神的ダメージを受けた代わりに……
報酬まで手に入れたらしい。
指を一本立てる。
――よし、東京。
――さっきの言葉は撤回する。
スマホが先。
それから……
咳払い。
――電話しよう。
勢いよく首を振る。
――いや。
――苦情だ。
――正式な苦情。
紙を掲げる。
――「見知らぬ人」って呼ばれた件についてな。
頷く。
――そう。
――それが理由だ。
……
……
走り始める。
――そうだ!
――正式な苦情だ!
そして、心の中から別の声がした。
――嘘つけ。
……
――うるさい!
---
数分後。
人混みの中を進んでいた。
――はぁ……
小さな笑いが漏れる。
――なんか、レベルが急激に上がってる気がする。
手を上げる。
――この場所、好きだ。
そしてスマホを持ち上げる。
――まず、お前を直す。
咳払い。
――そのあと、彼女に電話する。
……
沈黙。
……
――あ。
――母さんに。
――もちろん母さんにだ。
---
さらに数分後。
足を止めた。
……
ん?
顔を上げる。
……
――嘘だろ……
渋谷。
目を見開く。
――着いた……
――本当に着いた。
信号が青になる。
その瞬間。
四方八方から人が動き出した。
そして俺も……
その流れの中へ入っていく。
小さく笑う。
――へへ……
動画じゃない。
YouTubeの切り抜きでもない。
夜中に画面を見つめていた時の映像でもない。
……
俺は今、ここにいる。
両手を背中に回す。
――待て……
――これは敬意を表すべき瞬間だ。
指を一本立てる。
――ここで……
――宿儺と魔虚羅が戦ったんだよな。
……
ああ……
なんて狂った話だ。
でも……
もう一本指を立てる。
――アニメーションは、いつも第一期みたいだったわけじゃない。
さらに一本。
――作画だって時々すごいことになってた。
三本目。
――制作会社もプレッシャーの中で必死に料理してた。
手を下ろす。
――それでも……
感心したように口笛を吹く。
――あの戦いは、マジでヤバかった。
歩きながら、ひとりで笑う。
――へへ……
――いや、あの翻訳な。
首を振る。
――「邪悪なキッチン」。
……
邪悪なキッチン!?
マイクを持っているつもりで手を上げる。
――皆さん、宿儺のクッキング番組へようこそ。
声を変える。
――本日の料理は何でしょう?
一度立ち止まる。
――ラーメン……
――新鮮な魔虚羅の肉を添えて。
……
――くっ……
吹き出す。
――誰だよ、この名前を採用した奴!
笑いすぎて出た涙を拭う。
――伏黒の話まで始めたら止まらないぞ。
手を上げる。
――シーズン中ずっとウサギと戦ってるんだぞ。
そして拍手。
――敵が現れる。
――ドン!
――「魔虚羅、出番だ」
……
おい……
少し落ち着け。
すべての問題を世界の終わりにする必要はない。
首を振る。
――時々思うんだ。
――伏黒が出てくると、論理が逃げていくんじゃないかって。
――ん?
顔を上げる。
……
店。
近づいて看板を読む。
……
『赤い目のウサギ屋』
……
……
――いや。
もう一度読む。
――いやいや。
――この名前、安心できる要素が一つもない。
店に入る。
――いらっしゃいませ!
……
半歩後ずさる。
――あ、俺はただ……
店員が割り込む。
――お得なキャンペーンがございます!
反対側から。
――限定商品もございます!
さらに別の店員。
――何をお探しでしょうか?
……
右を見る。
左を見る。
……
うわ……
罠だ。
これは明らかな罠だ。
慌ててスマホを取り出す。
――これの修理だけお願いします。
繰り返せ、ハリール。
これだけだ。
店員がスマホを受け取る。
裏返す。
眺める。
そして――
――あぁ……
……
固まる。
……
その「あぁ」は嫌いだ。
本当に嫌いだ。
店員はスマホを光にかざした。
――これは興味深いですね。
……
この野郎……
それも嫌だ。
唾を飲み込む。
――直せ……
――直せますか?
彼は自信満々に笑った。
――もちろんです。
手を上げる。
――赤い目のウサギに、不可能はありません。
……
じっと彼を見る。
……
朝の出勤前に、このセリフを暗唱してるのか?
彼はさらに熱を込めて続ける。
――以前よりも性能を向上させましょう。
――いや、俺はただ修理してほしいだけです。
――最新のソフトウェアも搭載できます。
――だから……
――追加の保護機能も。
――話を聞いてくれ……
――お客様だけの特別割引もございます。
……
……
目を閉じる。
深く息を吸う。
……
――くそ。
スマホを見る。
店員を見る。
そして出口を見る。
……
――くそ……
――わかった。
――あんたの勝ちだ。
俺は降参した。
---
数分後。
店を出て、後ろのドアを閉める。
……
――はぁぁ……
看板を見る。
――『Re:ゼロ』のウサギたち、覚えてるか?
看板を指差す。
――見た目は可愛い。
胸に手を当てる。
――でも現実は……
……
――怪物だ。
歩き始める。
――最初は笑顔。
――次に優しく話しかけてくる。
――そして……
一度、手を叩く。
――気づいたら、自分でも存在を知らなかった商品まで買ってる!
……
――うわ……
――恐怖体験だ。
ポケットを叩く。
――でも……
顔を上げる。
――俺は生き残った。
笑う。
――全財産までは取られてない。
レシートを取り出す。
見る。
……
……
眉を上げる。
……
――おい……
もう一度見る。
……
――いや……
――魂の半分まで持っていかれてるじゃねえか。
レシートを素早く折る。
――二度とお前の顔は見たくない。
呪われた物でも扱うようにポケットへ押し込む。
---
顔を上げる。
……
空。
……
笑う。
――ああ……
日本。
俺は本当にここにいる。
桜の花びらが舞う。
目を見開く。
――おお……
これは……
これは写真に残さないと。
スマホを取り出す。
……
……
レシートを見る。
……
ため息。
――せっかくのロマンチックな瞬間まで……
――お前らが台無しにするのかよ。
全部ポケットに戻す。
――後でいい。
手を叩く。
――大丈夫だ。
今日はまだ長い。
マンガショップ。
秋葉原。
俺を待っているものは山ほどある。
……
そして思い出す。
――あ!
指を一本立てる。
――映画!
――青いスライム!
笑う。
――待ってろ。
――今、会いに行く。
……
――ああああああ!!
……
足が止まる。
……
いや。
この声……
絶対に好きじゃない。
振り返る。
――逃げろ!!
――ナイフを持ってるぞ!!
……
……
うわ……
人々を見る。
全員が走っている。
そして、そいつを見た。
ナイフ。
笑っている。
――殺す……殺す……ハハハハハ!
……
顔から血の気が引いた。
……
――いや……
――いやいやいやいや……
なんで俺なんだよ!?
今日一日……
なんで今日一日、俺を殺したがってるんだよ!?
唾を飲み込む。
――考えろ、ハリール。
――早く考えろ!
指を一本立てる。
――異世界転生……
主人公が死ぬ。
そして……
転移する。
周囲を見る。
でも……
これは現実だ。
ここで死んだら……
スキルもない。
システムもない。
やり直しもない。
何もない。
……
目を見開く。
――ふざけんな……!
――こんなの、インチキ異世界転生じゃねえか!!
振り返る。
――逃げろ!!
走ろうとした。
……
ん?
足。
……
俺の足!
――動け、このクソ足!
――今、硬直してる場合じゃねえ!
全力で力を込める。
そしてようやく……
足が動いた。
――ああああ!!
走り出す。
――死ぬか!!
――まだマンガを一冊も買ってないんだぞ!!
――秋葉原すら見てないんだぞ、クソ野郎!!
---
数分後。
壁の裏へ転がり込んだ。
……
――はぁ……
――はぁ……
俺は生きてる。
……
俺は……
生きてる。
手を上げる。
……
――トラック。
指一本。
――ナイフを持った狂人。
指二本目。
途切れ途切れに笑う。
――へ……
――へへ……
――なんて休日だ……
一歩踏み出す。
――でも……
――俺はもう、怖がったり――
ドォォォン!!
……
その場から飛び上がる。
――あああっ!!
振り返る。
……
電柱。
巨大な電柱が……
俺が立っていた場所に倒れている。
……
固まる。
一歩近づく。
そして二歩下がる。
……
――いや……
――いや……
――冗談だろ……
地面を見る。
それから電柱を見る。
そして、さっきまで自分が立っていた場所を見る。
……
――うわ……
――うわ……
――うわ……
震える両手を上げる。
――俺……
――俺、ここにいたぞ!!
急いで顔を触る。
――ある。
腕を動かす。
――ある。
足。
――二本ともある。
……
息を吸う。
――よかった……
……
一秒。
……
そして突然――
――あああああ!!
後ろへ飛び退く。
――死ぬところだった!!
――くそ!!
――地面の上でパンケーキにされるところだったぞ!!
両手で頭を抱える。
――なんなんだ、この呪われた一日は!?
――誰がこんなシナリオを書いたんだよ!?
――今すぐ作者と話をさせろ!!
……
沈黙。
――君、大丈夫か?
顔を上げる。
作業員たち。
……
――大丈夫!?
電柱を指差す。
――このクソ電柱、俺をペーストにするところだったぞ!
――でも、ちゃんと警告しましたよ。
……
――え?
彼らを見つめる。
――いつ?
――倒れたあとです。
……
……
――……
絶望的な笑いが漏れる。
――くっ……
――最高のタイミングだな。
手を上げる。
――「シートベルトを締めてください」って言う人が……
――事故のあとに来るみたいなもんだ。
首を振る。
――いや……
――この国のことを理解しようとするのは、もうやめよう。
振り返る。
――十分見た。
---
通りへ出る。
……
はぁぁ……
やっと。
静かだ。
……
一秒。
……
シュュュュュッ!!
……
顔を上げる。
……
車。
……
こっちへ滑ってくる。
……
――いや。
――いやああああ!
空へ向かって両手を上げる。
――俺がお前らに何したっていうんだよ!?
走り出す。
――俺はただ休暇が欲しかっただけだ!!
――休暇だよ、クソ野郎!!
――まだ映画を見てない!!
――どこにも行ってない!!
――マンガ一冊すら買ってない!!
……
――母さんに殺されるぞ、東京に殺される前にな!!
---
長い時間が経って。
俺は立ち止まった。
……
――はぁ……
――はぁ……
膝に手をつく。
……
脚の感覚がない。
肺も。
そして俺の尊厳すら。
顔を上げる。
――俺は……
息を切らしながら。
――俺は……
息を吸う。
――異世界転生なんかに……
……
……
ようやく。
終わった。
……
だよな?
……
チン……チン……チン……
……
前を見る。
……
柵。
……
――くそおおおお……
――いや……
――いやいやいや!!
警報。
鉄柵。
電車。
……
目を閉じる。
――頼むから、俺を追いかけるのやめてくれ。
動こうとする。
……
ん?
自分の足を見る。
……
挟まってる。
……
――なにぃ!?
引っ張る。
……
抜けない。
もう一度。
……
抜けない。
――出ろ、このクソ足!
全力で引っ張る。
……
電車が近づいてくる。
……
震えた笑いが漏れる。
――へ……
――へへ……
――もちろん……
――そうだよな。
もう一度引っ張る。
――俺は……
引っ張る。
――死な……
電車の轟音が近づく。
――ない……
最後の力を込める。
……
抜けた。
地面に転がる。
――はぁぁ!!
自分の足を見る。
それから電車を見る。
……
通り過ぎた。
……
本当に……
通り過ぎた。
……
俺は……
生きてる。
勢いよく立ち上がる。
――よし!
――見たか!?
――俺はそう簡単にはやられないぞ!
一歩。
……
そして……
止まった。
何か……
……
顔を上げる。
……
トラック。
……
こっちへ突っ込んでくる。
そして背後から――
――殺す……殺す……ハハハハハ!!
……
顔が引きつる。
トラックを見る。
電車を見る。
狂人を見る。
そして、もう一度トラックを見る。
……
……
――ああ……
乾いた笑いが漏れる。
――わかった。
――全部わかった。
狂人を指差す。
――こいつは俺を待ち伏せしてたんだ。
トラックを指差す。
――こいつは任務を完遂するために来た。
電車を指差す。
――こいつは予備。
……
息を吸う。
……
――よし。
――降参だ。
両手を上げる。
――おめでとう。
――お前らの勝ちだ。
顔を上げる。
――次は何だ?
――地震か?
――火山か?
――隕石か?
……
止まる。
目を細める。
……
――いや……
さらに顔を上げる。
……
飛行機。
……
墜落してくる。
それを見つめる。
……
……
――……
突然、笑いが爆発する。
――ははははは!!
――いやああああ!!
――さすがにやりすぎだろ!!
一度拍手する。
――恐竜まで出てきたらフルセット完成だぞ!!
……
また笑う。
でもそれは……
完全に壊れた人間の笑いだった。
――へ……
――へへ……
――異世界転生さんよ……
――お前の勝ちだ。
頭を下げる。
……
――俺……
――母さんに電話しとけばよかった。
……
ドォォォォン!!
……
……
……
沈黙。




