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第42話 落城

まだまだ残暑が残る中、学校生活は通常通り送らねばならない。

ちょっとくらい待ってくれてもいいのに。なんてことを思うが、世界はそんなに優しくないらしい。


授業間の休み時間にトイレに行き、その帰り。

ムッとする空気を身にまとわせて歩いていると、ある生徒を目撃し、胃の底から憎悪がのし上がってくるのを感じた。


渡辺風香だった。


夏休みの間1度も顔を見ていなかったが、相変わらず濃い顔をしていて、どこか人を馬鹿にしたような顔をしている。

そう見えてしまうだけかもしれないが。


俺はうつむきがちに彼女とすれ違う。

真横に来た時、何か言われる、と身構えた。

しかし、意に反して彼女はこれといった反応を示さなかった。


そのことは、俺にとってものすごく衝撃的だった。思わず立ち止まって、振り返ってしまうほどに。


見れば、彼女の背中は屋上へ続く階段の方に向かって消えた。

そう、俺が因縁をつけられた場所へと。


風香がどこに行って何をしようと、俺には関係のないこと。

何より彼女が俺を見ても何も言ってこなくなったことはありがたいと思うべきなのだから。


自分にはそう言い聞かせるが、どうにも引っかかって仕方がない。

これは決して風香の様子を心配しているのではなく、不審に思っているのだ。


いじめる標的が変わった?


新たな標的には申し訳ないが、俺と柚希にとってはいいこと、なのかもしれない。

だが、風香が懲りずにいじめをしているというのは問題な気がする。


とはいえ、今俺にできることなどないだろう。

俺は黒板の数式を手元のノートに書き写す作業に戻った。


そのまま惰性で授業を受け、放課後を迎える。

この日は柚希から連絡もなかったので、一人で帰る予定だった。


荷物をまとめ、足早に教室を出て、下駄箱への階段を下っていると──


「あ、ちょっと待ってよ」


背後から声がした。

その声の主には聞き覚えがあった。

できることなら、振り返りたくなかった。


「私のこと覚えてる~?」

「…」

「無視とか萎えるんですけど~、仲よくしようよ~」

一体どうして彼女は俺と仲良くできると思っているのだろう。

すでに多少イラついていた俺は、その疑問を投げかけてみることにする。


「悪いけど、俺は君と仲良くできそうにないな。ごめんね」


1ミリも謝意をこめず、謝る。

俺の感情は理解しているであろう風香だったが、彼女は続ける。


「おー、それは悲しいな。って言うか雰囲気変わった?彼女でもできたのかな~。あ、もしかしてあの保健室の子?仲良さそうだったもんね~」

「っ…」


この前真野先輩にされたカマかけとは違い、明らかに悪意を込めたカマかけだった。

もっとも、彼女の中では確信をもって言ってきているのだろうが。


「関係ないよね」

「うーん、まぁそうとも言えるかもね」

「だったら…」

「でも改めて忠告だよ。やめといた方がいいと思うよ、もう遅いかもしれないけど」

「てめぇ大概しに…んむっ」

「渡辺さん、いいところにいたわ~、ちょっと保健室までお願いできる?確認したいことがあるの」

「指田先生…」


俺が一線を越えそうになった時、とっさに口が何者かの手によって覆われた。

その手は理子のもので、彼女は俺に目もくれず、ただまっすぐに風香を見つめていた。


「え~なんですか、ここじゃだめなんですか?」

「ん~、私は別にいいけど。渡辺さんにとっては恥ずかしい話かもしれないね」

「むう、わかりましたぁ…」

「じゃ、行こうか」


風香は理子に連れられ、階段を下りて行った。

だが俺は聞き逃さなかった。


風香は俺の横を通る時、小さく舌打ちした。


今度は怒りでなく、純粋な恐怖が湧いてきた。


渡辺風香という、生き物に対しての恐怖。


だがその恐怖に、彼女に、俺は立ち向かわなければならない。


彼氏として。


俺はひそかに二人の後を追いかけた。


保健室に入っていく理子と風香を、近くの柱に隠れて見守っていた俺は、ゆっくりと保健室へ歩いていった。


仮に足音を立てても、彼女たちには俺だと悟られることはないが、なんとなく、音を立ててはいけないような気がして。


放課後の廊下は、思っているよりも人がまばらだった。

たまに通りかかる生徒たちは、保健室の前でドアに聞き耳を立てる俺を不審な目で見て過ぎ去っていく。

その視線をなるべく気にしないようにしながら、俺は意識を壁の向こうに向けた。




養護教諭の指田は、ワタシが中に入るなり、彼女のデスク前の椅子に座った。

キキッ、という音を立てて彼女の体重を受け止めた椅子は、そこそこ年季が入っている様相を呈している。


「で、どんな要件ですか?」

「そうそう、健康診断の結果で気になるところがあってね…」

「はい?」

「なーんて話をされると思った?」

「…いえ、健康診断の結果なんて、6月に返却されましたし。本題をお願いします」


ワタシを動揺させようという意図なのかは知らないが、子供をからかうような口調で話す指田に嫌気がさし、続きを促した。


「まぁそうよね。ある程度察しのいいあなたならわかると思うけど、古賀柚希のことよ」

「はぁ、そうですか」

古賀の名前を出されて、ワタシはあからさまにいやそうな態度を見せた。

もちろん、《《パフォーマンス》》として。


「具体的にどんなことをしたかっていうのは、私は把握してないんだけど、いじめとして本人が捉えられるようなことをしているのなら、辞めてね」

「はーいわかりました」

「彼女に何か、個人的な恨みでもあるの?」


かかった。


にやりと笑ってしまいたくなるのをこらえながら、ワタシは語り始めた。


「嫌いなだけです。あの明らかに顔に自信もって生きてる感じが。嫌いなんです」

「要はあなたは自信ないのね、顔に」

「はぁ?失礼なことを言うんですね、生徒に対してそういうこと言うの、今の時代グレーだと思いますけど」

「わかった、一応この会話は録音してるから、あとで何か訴えたくなったら、音声データをあなたにさしあげるわ。言いに来てね」

「ろく…おん?なんでそれ最初に言わないんですか!?盗聴じゃないですか、ほんとに訴えますよ?」

「ごめんなさい、渡辺さん、結構急いで話を進めたいようだったから、伝えるタイミングを見つけられないまま話し始めてしまったの。本当に、ごめんなさい」


正直予想外だった。自信のなさを指摘されたことも、録音のことも。

でも、彼女の真摯な謝罪を受ければ、それ以上責めることもはばかられた。


「別に公開したりするわけじゃないですよね?それならまぁ、いいです」

「もちろん。それに渡辺さんは、公開されて困るようなことも言わないでしょ?」

「っ…」

「もしかしてもう言ってた、かな?」

「…いっ、てないです」

「そう、ならよかった。じゃあ、続きを聞かせて。あなたは自分に自信が持てていない。それは正しい?」


その質問は、ワタシがずっと避けてきたもの。

答えることを避けてきた?


それもある。


でもそれ以上に、質問を受けることさえ避けてきた。


返答を考える間にも、自分の嫌いなところがどんどん頭の中を駆け巡って、しまいにはそれが形をとってこの世界に出てきてしまいそうで、怖くてたまらなかった。


でも、けりをつけよう。


「そうですね、正しいと思いますよ」

「そっか、じゃあ古賀さんに嫉妬してるんだ。自分に自信の持てない自分と、自信満々に見える彼女を比べて」

「なんなんですか!?わかったような、見透かしたような口利いて!!そんなに教師が偉いんですか!?」

「偉いよ」

「はっ…?」


彼女は言い切った。怖いものは何もない、自分を止めるものは何もない、そう思っていると感じさせるような口調で、はっきりと。


「私たち教師は、生徒より最低でも7年は長く生きてる。たくさん勉強もしてきてる。資格を取って、公務員としてあなたたちを教育している立場にある。それは、偉いとも表現できる」

突如としてつらつらと語りだした彼女は、さっきまでの人間らしさもなく、ただのロボットのようだった。


「でもね、あなたたちと知り合ってからの日数は、とても短い。だから、すべてを見透かしてなんかいない。だから私たちは、今まで学んだこと、経験したこと、全部を使って、あなたたちを導くこと。いろんなことを考えて、悩んで、何を伝えるべきか選んで、そうやってやってきてんのよ私たちは」

語気に確かな怒りを込めるも、指田は決して声を荒げることはなかった。


「偉いとか、偉くないとかじゃない。私たちが本気で生徒に向き合っているのだから、生徒たちも私たちの言葉と本気で向き合いなさい。そして、受け取った言葉と喧嘩しなさい。全部を素直に受け止めるなんて無理。そんなことを求めてるわけじゃない。自分の中で考えて、何とか答えを見つけるの。それが学生の責務よ。勉強でもそうね。教わったことをそのままノートに書いて丸暗記するんじゃなくて、自分の脳みそ使って、神経使って考える。そして、自分なりに正しい解釈を見つけ出す。だから今のあなたにもそれを課すわ」


指田はいつの間にか椅子から立ち上がっていて、私のすぐ目の前に立っていた。

そして、強く、静かに言い放った。


「あなたが古賀さんに対して抱く気持ちに、あなたなりの答えを見つけなさい。そしてその気持ちとどう向き合うべきか考えて、実行しなさい」


二人の間の、狭い空間に沈黙が流れた。

そしてその沈黙を破ったのは指田。


「あなたならできる」

「っ…」

「あなたなら、嫌がらせなんていう姑息な行為に頼らずとも、解答用紙を埋めることができるでしょ?」


ワタシは静かにうなずき、うつむいて涙する。


そんなワタシを指田は、優しく抱きしめた。




室内から、風香のものであろうすすり泣く声が聞こえてきて、俺はその場を静かに立ち去った。


そのころにはもう、校内はオレンジ色に染まっていた。




翌日の昼休み、風香が直接保健室にいる柚希のもとへ謝罪に来た、という話は、柚希からメッセージが来て知った。


驚いたのは、普段の濃いメイクを一切施さずにやってきた風香が、全くの別人の容姿をしていたらしいことだ。

俺は実際に見ていないものの、風香だと判別するのが難しいほどだったようだ。


「一晩で答え出したんだな」


誰にも聞こえないように静かに言った俺は、そっとスマホの電源を落とした。

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